桃子の告白

「桃子、君は本当に女らしいね」

 長く伸ばした黒髪をすきながら雄二はそのように問いかけた。

 女らしいとはどういうことだろうか。桃子がいの一番に想像したのは、ヒステリックを帯びたかなぎり声ををあげるモンスターであった。「なんでわかってくれないの?私のことを察してよ。寂しい」

 桃子にとって女とは、母の象徴であった。桃子の母は、常に自分が一番でないと気が済まない女であった。桃子が鏡に座って化粧をすれば、「桃子ちゃんは化粧なんていらないでしょ、何をしたって変わらないんだから」けらけら桃子の努力を笑い、化粧道具を取り上げたと思えば、自身は通販でいくらかもわからない化粧品をいくつもいくつも買い、そのたび自分の肌に塗りたくり文句をぶつぶつつぶやく。

 桃子はこの行為をまだ桃子は若いのだから、化粧に興味を持たなくても肌は綺麗だから何もしなくてよいとと言いたいのだと解釈していたが、そうでないことに気が付いたのは、高校一年の時であった。

 父が、母と桃子に口紅を買い与えたことがあった。桃子が包装紙を解くと真っ赤なルージュの口紅が現れた。普段贈り物をしない父が突発的に買ったものであるが、プレゼントというものに縁遠かった桃子はその口紅を大層喜んだ。同じように包装紙を紐解く母を横目で確認すると、母には薄いピンクの儚い桜を模したような口紅を送ったようだった。 

 母は、桃子のをまじまじと見比べると、色を分けたのね……。と小さな声でつぶやいた。この深紅の色は父親に似て目鼻立ちがはっきりしている私には非常に似合うのだが、幸が薄そうな薄い顔で和風美人を地で行く母にはどうしても似合わない色であった。

 母はその口紅を見ておいおいと泣き出したのだ。

「私には、それが似合わないという当てつけなのね。ええそうよ。私には似合いそうもないわ。だからこんなに地味で何とも言えないものになるのね」

 勿論、父もその気がなく、単純な思考回路で買い与えたに過ぎなかったのだが、おいおいなく母を見て可哀そうに思ったのか、桃子に与えたその口紅をその場で床にたたきつけた。「大丈夫。そんなことは一度も考えていない。悪かったね」

 桃子はその様子に大層心を痛めたが、母に植え付けられた自尊心の低さと父に対しての同情もそこに存在したがため、その行為に対して文句を言おうとは一切考えなかった。 ただ、母を傷つけまいと「私もこの口紅使わないし、お母さんにもきっと似合うと思うよ」と一生懸命励まし続けた。それでも泣き続ける母に父が「もうこんなことはしない」と母を抱きしめた瞬間、母は私に向かってかすかに微笑んだのだ。

 それは何とも言えない不気味な表情であった。いやそれが女の表情であった。桃子はその瞬間にこれまでの母の言動は、母は桃子を女としてみており、女として勝負をずっと仕掛けていたのだと理解した。

 桃子へのこれまでの言動は、桃子が女として自身を上回らないよう圧力をかけていたのだ。桃子はそんな母に絶望し、また父のすぐ騙される純粋さに辟易した。

 この状態は桃子が実家を出るまで続いた。母は、私が女であるしぐさをするたびに、母は父へ桃子の太平楽さや自身をどんなに傷つけたかを主張し、父を味方につけることで自分の帝国を築き上げていた。本当に太平楽なのは母であるのに。桃子はそのような思いを一思いに飲み込むことしかできなかった。

 何を言っても母は自身に攻撃していると思い込み、女からの女への挑戦状をたたきつけられているかの如くヒステリックに反抗する。

父もそれに加勢しさらに桃子を攻め立てた。母の帝国内に買われている奴隷に自由はなかった。徳川家康は、不自由を常と思えば不足なしというが、果たして本当にそうであろうか。奴隷は奴隷であるということを常と思い、そうであることを受け入れると不満を持たなくなるというのはきっときれいごとだ。不満はとどめなく溢れ続け、その汚水をひたすらに飲み込んでいくと、汚水は沈水し一つの壁を作る。耐え難い「不信感」という名の分厚い壁を。

 不足なしではない。不足なしに見せかけることが出来るが正しい。不自由を常だと思い続けると、不足から不信感という一つの壁を作り上げるのだ。

 桃子は女になることを心底嫌がった。桃子にとって女になることはこの勝負からずっと逃れられないことを意味しており、またそれを受諾し母のような姿になるということだった。

 先ほどの雄二の言葉に裏切りのファンファーレだけが脳内を駆け巡る。横で桃子の髪をすき続けるこの男に馬鹿な父の姿が重なり、激しく落胆とともに何かが急激に冷めていくのを感じた。

桃子は男のペニスを思い切りぎゅっとひねると、「じゃあ、あなたが男らしいと言えるのこれだけじゃない」と言い、のたうち回るほど痛がりながら、情けなく桃子の名を呼ぶ男を尻目に服を早々に着替え、ホテルから出ていった。

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