第13話 【オルフェウス】


 部屋から出てきた俺を見て、高野が座っていたパイプ椅子がギシリと音を立てた。


「起きたか」

「いや。寝れなかった」

「そうか」


 沈黙が落ちた。

 高野は責任を感じているのだろう。俺に、生身の人を斬らせてしまったことに対して。だが、あの状況では仕方がなかったということはわかる。それを伝えようとして口を開きかけたが、やめた。まだ、そんな気にはなれなかった。

 代わりに思い出したのは、幼馴染のことだ。


「宇佐川は? ここにいるのか?」


 俺が入るはずだった【筐体きょうたい】と同じように、彼女が入っている【筐体きょうたい】も回収されたはずだ。


「案内する」


 高野が立ち上がる。案内してくれるらしい。

 地下施設ということで、窓はない。最低限の灯りしかないので、かなり薄暗い。廊下の造りも真っ直ぐではなく、右へ左へ、上へ下へと曲がりくねっている。何度か人とすれ違ったが、大人二人がすれ違うのがやっとの幅という場所もあった。枝分かれも多く、案内がなければ確実に迷子になっているだろう。


「後で地図をやる。構造を覚えておいたほうがいい」

「いいのか?」


 この地下施設の地図。それは、彼らにとっては重要機密のはずだ。


「なにかあれば、両親を連れて逃げろ。それがお前の役目だ」


 先を歩く高野は振り返らなかった。


「あの時も……。お前は、両親を守るために敵を斬った。それだけのことだ」


 何も答えられなかった。俺が敵を斬ったのには理由がある。だからといって、割り切れるものではないのだ。


 二人で連れ立って歩くこと約10分、一つの部屋の前に着いた。周囲の廊下には人が溢れていて、慌ただしく動いている。様々な国籍の人がいるようで、ここが大規模な組織であることを再認識した。さらに戦闘職ではなさそうな人の姿もあり、この部屋の周辺が中枢だということが分かる。


「入れ」


 そこも、冷たいコンクリートの壁に囲まれた部屋だった。台車の上に乗せられたまま横たわる、4つの黒い箱。【筐体きょうたい】だ。そのうちの3つからは不気味な機械音が漏れていて、稼働していることがわかった。


「一番右だ」


 言われて、思わず駆け寄った。だが、そこには物言わぬ箱があるだけ。結局、何が出来るわけでもなく立ち尽くすしかない。


「宇佐川の家族は?」

「別の地下施設で保護している」

「他の二人は?」

赤畠あかはた修司しゅうじ紅瀬くぜ恵利えりだな」


 聞き覚えのない名前だが、【REDレッド】と【リボンナイト】の本名であることはすぐにわかった。


「二人共一人暮らしで、家族は遠方だ。この二人についても、連絡がとれた家族は別の地下施設で保護している」


「そっか」


(よかった)


 現状、どう言い訳したところで俺たちはテロリストの仲間だ。いまさら日本国軍に保護を頼んだところで拘束されるだけ。【筐体きょうたい】に関する真実を知った以上、もう普通に暮らすことはできないだろう。


「これから、どうなるんだ?」

「我々の仲間の一人が【VWO】に侵入している。彼らと合流して【筐体きょうたい】の解除コードを手に入れる手はずになっている」

「だけど、【VWO】の中じゃ魔法は使えないだろう?」


 当たり前のことだが、それが一番のネックだ。彼ら三人は強い。だが、それはあくまでも【ORPHEUSオルフェウス】の中での話だ。魔法が使えない世界で、彼らが戦えるだろうか。


「だから、まずはメインシステムに【ORPHEUSオルフェウス】のシステムの一部をインストールする」

「そんなことできるのか?」

「できる【ORPHEUSオルフェウス】の開発チームのお墨付きだ。いったんインストールされると、【VWO】のシステムの中で自らファイア・ウォールを構築するようにプログラムされている。簡単にはアンインストールできん」

「すごいな」

「魔法が使えるようになれば、彼らに敵はいない。そこから、さらに深部に侵入して【筐体きょうたい】の解除コードを手に入れるんだ」


 話だけ聞けば、実現可能のように思う。だが、簡単なことではないはずだ。第一、【筐体きょうたい】に入った状態で戦うことになる。あちらで死ねば、こちらの身体が凍結されてしまうのだ。


「……俺にできることは?」


 思わず、聞いた。


「今は、ない」

「……わかった」


 頷いてから、俺はその場に座り込んだ。


「おい」

「ここにいる」

「だが……」

「仲間なんだ」


 ピクリと、高野が伸ばしかけた腕を止めた。


「戦ってるなら、俺も近くにいたい」

「そうか」


 言ってから、高野も俺の隣に座り込んだ。


「……俺が言うべきことではないと思うが」


 前置きをしながら、高野が両手を揉んだ。やはり、言うべきか否かを考えているのだろう。


「『我々は正義のために多くを犠牲にしなければならない。だからこそ、その犠牲に対して誠実でなければならない。その理念だけが、我々を人間たらしめる』」


 一気に言ってから、高野が息を吐いた。


「我々、【オルフェウス】のスローガンみたいなものだ」


 今度は息を吸って、俺の顔を見た。まっすぐに。


「お前が斬った兵士は、俺が撃った弾で死んだ」


 ひゅっと冷たい息が俺の喉を通り過ぎた。全身が冷え上がって、手足の先が震える。


「俺は、この犠牲に対して誠実でありたい」


 そう言ったきり、高野は黙り込んだ。




(なんで)


 疑問が頭をもたげる。


(あえて辛い道を行くんだ?)


 自らの正義に酔ってしまった方が楽だ。正義のために必要だからと、あらゆる犠牲を割り切ってしまえばいい。都合よく忘れてしまえばいい。そうでなければ、人間の神経は戦争なんてものには耐えられない。そういうものだと思っていたのに。


(彼らは、それをしない)


 人間のままで、戦争をはじめた。そして、人間のままで正義を貫こうとしている。


(俺には、そんなこと……)


 できない。そう思った。




 ──バン!


 どれくらいの時間、二人で座り込んでいただろうか。それすらも分からなくなった頃、部屋の扉が乱暴に開かれて、武装した男と女の二人組が入ってきた。相当慌てている。


「高野!」

「何か問題か!?」


 高野が、素早く立ち上がった。つられて俺も立ち上がった。


「【エウリュディケ】からの連絡が途絶えた」


 それは彼女のプレイヤーネームだと、すぐに分かった。


「どうして、栄藤が……」


 俺が呟くと、高野がはっとして俺を見た。


「そうか。お前は、友美と【ORPHEUSオルフェウス】の中で接触しているんだったな」

「はい」

「彼女は、【オルフェウス】の工作員の一人だ」


 俺は驚きのあまり声を失った。


「彼女は、お前と宇佐川美沙を監視するために、あのクラスに転校していたんだ」


 そんな馬鹿なと思ったが、同時に納得もした。クラスの中で浮いていた彼女、【ORPHEUSオルフェウス】でのプレイの巧みさ、そして、転校してきたタイミング……。

 今、それらの点と点が先で繋がったのだ。


「状況は?」


 驚く俺を尻目に高野が問うと、男がタブレット端末を見せた。表示されていたのは、ゲームのプレイ動画で良くみる画面だ。VR内のPCを後ろから追いかける視点で撮影される動画。画面の中には、黒髪に白いドレスの女性の後姿が映っている。


(【エウリュディケ】だ)


 だが、その動画は停止したまま動かない。


「何か問題が発生したんだ。【筐体きょうたい】は?」


 三人の視線が、稼働している三つの【筐体】を探る。特に変化は見られない。


「まだ凍結されていないな」


 背筋を冷たいものが伝った。


「あの」


 俺が声をかけると、はっとしたように高野が振り返った。


「何が起こってるんですか?」


 高野以外の二人が、うろたえて視線をそらす。だが、高野だけは俺の目を見た。


「さっき話した、【VWO】に潜入している仲間が【エウリュディケ】だ。彼女との連絡が途絶えた。メインシステムへのハッキング作戦の最中に。何かあったのかもしれん」

「何かって?」

「わからん。こちらとの回線が、メインシステムのファイア・ウォールに遮断されただけかもしれんが……」


 高野が黙り込む。扉の外もにわかに慌ただしくなってきた。部屋の中には、武装した人や作業着の人がどんどん入ってくる。想定外の緊急事態を、どうにかしようと必死で動いているのだ。


『だからこそ、その犠牲に対して誠実でなければならない』


 俺の頭の中に、高野の言葉が響く。


(俺は既に渦中にいる。他人事じゃない。当事者だ)



「俺が行く」



 部屋の中がざわついたのは一瞬だった。すぐに沈黙が落ちる。


「【VWO】にログインしている端末がここにあるってことは、通り道はあるってことだ。追加で俺一人を潜り込ませるくらいできるだろ?」


 問われた高野が天を仰いだ。


「できる」


 喉から絞り出したような声だった。


「じゃあ、行くよ。ちょうどいいハードウェアが、そこにある」


 俺が指差した先には、不気味な黒い箱。──4つ目の【死の筺】が静かに横たわっている。


「……いいのか」

「世界一になったパーティーの一員で、だから軍にスカウトされたんだ、俺」


 おどけて言うと、高野が苦笑いを浮かべた。


「ここに、俺以上にVRの中で戦える人がいるなら別だけど」

「いない」


 断言した高野だった。


「行ってくれるか」

「そう言ってるだろ」


(【エウリュディケ】も仲間たちも、俺が助けてみせる!)


「……頼む」


 その瞬間、部屋の中が一気に慌ただしくなった。【筐体きょうたい】のそばに、様々な端末が運び込まれてくる。俺には握り飯とお茶を差し出されたので、ありがたくいただいた。


(これが最後の食事にならないようにしないと)


「亮平!」


 しばらくすると、両親もやってきた。部屋に飛び込んだままの勢いで、母親が俺にしがみつく。


「駄目よ! 行かないで!」


 叫びながら俺にしがみつく母親とは対照的に、父親は黙ったままだった。黙ったまま、俺の肩を叩いた。


「俺は行くよ」

「亮平!」

「母ちゃん。俺は、もう普通の高校生には戻れない」


 言った瞬間、母親の身体が膝から崩れ落ちた。今度は、俺が母親の身体を抱きしめる。俺が普通の高校生に戻れなくなったように、俺の両親も普通の親には戻れない。


「ごめん。でも、きっと生きて帰ってくるから」


 父親は、やはり何も言わなかった。ただ、頷いた。


「行ってくる」


 高野に肩を引かれる。時間がないのだ。

 【筐体きょうたい】まで歩く間に、肩に腕に拳が当てられる。厳つい顔の男たちが俺に檄を飛ばしてくれているのだ。女性たちは、すかさず両親に駆け寄った。


「行ってきます」


 俺が【筐体きょうたい】に入る頃には、母親も顔を上げていた。懸命に涙をこらえて、俺に手を振る。


「いってらっしゃい」

「気をつけてな」


 いつもの朝の見送りと同じセリフで──。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る