第12話 正義と犠牲


「悪いが、ちょっと整理させてくれ」


 【REDレッド】が頭を抱えながら言った。


「いいわよ」


 栄藤友美、もとい【エウリュディケ】が頷く。


「まず、俺たちは日本政府に【VWO】の兵士としてスカウトされた。そして、俺達はそうとは知らずに【筐体きょうたい】を受け取り、【VWO】に転送された」


 【REDレッド】が人差し指を立てた。


「あんたたち【オルフェウス】と名乗るテロリスト集団は、この転送を利用して【VWO】にハッキング。【エウリュディケ】を【VWO】に潜りこませることに成功した。さらに、転送された俺たちのPCのコントロールを掌握。現在、日本国軍は俺たちを見失ってロストしている状態」


 今度は中指。続いて薬指が立てられる。


「俺たちは自らログアウトすることは出来ず、ここで死亡すれば現実世界の肉体が凍結される」


 さらに小指。


「俺たちの肉体が入っている【筐体きょうたい】はあんたらに保護されている状態」


 最後に、親指だ。


「現実世界に戻りたければ、あんたらに協力しろ、と。そういうことでいいんだな?」

「その通り」


 【エウリュディケ】が頷いた。私も【リボンナイト】も頷いた。話は分かった。状況の理解は出来た。しかし……。


「馬鹿じゃないの!」


 怒鳴ったのは【リボンナイト】だ。


「協力って、なんでそんなことしなきゃいけないのよ!」


 【エウリュディケ】に掴みかからんばかりの勢いの彼女を、私と【REDレッド】で押しとどめる。


「そんなことより、今すぐ私達を帰してよ!」

「できない」


 【エウリュディケ】が首を横に振った。


「なんでよ! 緊急ボタンが無理なら、フタをこじ開ければいいじゃない!」

「【筐体きょうたい】に攻撃が加わった時点で、中の人間は凍結される。そうプログラムされているわ」

「そんなの信じられない! だって、あんたは私達を脅してるのよ!」


 【リボンナイト】の言うとおりだ。彼女は私達の身体、つまり命を盾にして協力させようとしているのだ。


「それは違う。私達は、あなたたちも救いたい」

「は?」

「私達の最終目標は『死のはこ』の秘密を全世界に暴露して、【VWO】を破綻に追い込むこと。そして、凍結された人々を救い出すことよ」

「でも、それはできないのよね?」


 私が問うと、【エウリュディケ】が頷いた。


「今はね。だから、解除コードを手に入れなきゃならないの」

「解除コード?」

「【筐体きょうたい】のフタを開けるためのコードよ。これが手に入れば、あなたたちも元に戻れる」


 三人とも押し黙った。【リボンナイト】も、肩を怒らせながらも息を整えようとしている。彼女の言うことにも、一応は筋が通っているのだ。


「でも、信用できないよ」


 今度は私が【エウリュディケ】にズイと身体を寄せた。彼女は信用できない。それには理由がある。


「栄藤友美が転校してきたのは、3ヶ月くらい前よね?」

「……そうよ」

「3ヶ月前といえば、私と【蘭丸】くんが【チームR】に加入した頃。私も彼も、世界的に名前を知られるようになった頃でしょ」


 そこまで言って、【REDレッド】も息を飲んだ。


「あなた、私達を監視していたのよね?」

「……ええ」

「それじゃあ今日、私達が【筐体】でログインすることを知っていた。違う?」

「そんな!」


 【リボンナイト】が叫ぶ。次いで、【エウリュディケ】に掴みかかった。今度は、私も【REDレッド】も止めなかった。


「あんた達には私達を【筐体きょうたい】に入らせずに、助けるチャンスがあったってこと!?」


 胸ぐらを掴まれた【エウリュディケ】。顔を伏せているので、その表情は分からない。


「……そうよ」


 【リボンナイト】が右手を振り上げた。


 ──パシッ!


 【エウリュディケ】の頬を打つ前にその平手を受け止めたのは、【REDレッド】だった。


「落ち着け」

「でも!」

「俺たちを犠牲にして、そのチャンスに乗った。そういうことだろ?」

「……そうよ」

「あんた!」


 【リボンナイト】が【REDレッド】に掴まれた手を振りほどこうともがいた。やはり、【エウリュディケ】の表情は見えない。


「だったら、俺達に真実を話したのは失敗なんじゃないか?」

「え?」


 首を傾げたのは私と【リボンナイト】だ。


「どういうことですか?」

「真実は伏せたまま、もっと分かりやすく俺たちをコントロールする方法だってあったはずだ。ゲームのクエストを装って、解除コードを手に入れるためのハッキングを仕掛けさせるとかな。どうして、そうしなかったんだ?」


 【エウリュディケ】が乱れた胸元を直した。そうしてから、ゆっくりと顔を上げた。


「『我々は正義のために多くを犠牲にしなければならない。だからこそ、その犠牲に対して誠実でなければならない。その理念だけが、我々を人間たらしめる』」


 何かの合言葉なのだろう。【オルフェウス】と名乗る彼らの。


(苦しそう)


 眉間にしわを寄せ、桃色の唇も形が歪んでいる。チョコレート色の瞳が、薄い水の膜の向こうで揺れていた。女神とは名ばかりの、人間らしい表情だと思った。


「もう一つ、確認だ」


 【REDレッド】が、重々しい雰囲気の中で再び口を開いた。


「【VWO】のログインには、原則として【筐体きょうたい】が使われる。だから、今回のハッキングにも【筐体きょうたい】を使ったんだよな」

「そうよ。【筐体きょうたい】を使うことで、ハッキングのハードルを何段階も下げることが出来た」

「それじゃあ、お前は?」


 私も【リボンナイト】も、ハッとして【エウリュディケ】の顔を見た。


「お前も、【筐体きょうたい】からログインしているのか?」

「……そうよ」


 しんと静まり返った。


(彼女も同じなんだ。【筐体きょうたい】の解除コードが手に入らなければ、現実に帰ることができない。……私達と同じように)


 同じことを思ったのだろう。【リボンナイト】もきゅっと唇を噛んでいる。


「そういうことは、先に言え」


 【REDレッド】がため息を吐いた。確かに、【エウリュディケ】自身も私達と同じリスクを背負ってここに来たと言うなら、それを先に言えば良かったのに。それをしなかった彼女は、不器用すぎるほどに誠実なのだ。


「……俺は犠牲になるつもりはない。2人は、どうする?」


 【REDレッド】が問う。

 答えは、決まっている。



 * * *



 気がつくと、冷たいコンクリートに囲まれた部屋に寝かされていた。


「亮平……」


 母親が心配顔で俺を見ている。扉の外からは、父親の怒鳴り声。


「母ちゃん?」

「亮平!」


 母親が俺の身体に飛びついてきた。ぎゅうぎゅうに抱きしめられて、窒息しそうになる。


「母ちゃん、苦しい」

「ああ、亮平! 心配したんだから!」


 母親の叫び声が聞こえたのだろう、父親と高野が部屋に飛び込んできた。


「目が覚めたか」


 父親が安堵の息を吐いて俺の肩を叩く。母親は、俺にしがみついたままだ。


「ここは?」

「【オルフェウス】の地下施設だ。安全は保証する」


 高野もほっと息を吐いている。


「ここに着いてすぐ倒れたんだ。といっても1時間ほどだがな」


 ということは、ここまでは自分の足で歩いてきたらしい。全く覚えがないので、首を傾げた。


「覚えてないのか?」

「すみません」

「謝るな。……悪かった」


 高野が頭を下げた。


「お前に、刀を使わせてしまった」


 言われた途端、あの瞬間の情景が俺の頭の中を駆け抜けた。柄を握った右手に伝わってきた肉を断つ感触。倒れ伏した身体から染み出した赤色の何か、そして。鼻をついた鉄の匂い。


「うっ」


 こみ上げる吐き気を、我慢できなかった。


「亮平!」


 母親が俺の背を撫でる。


「ゴホッ、ゴホッ」


 幸い長時間食事をしていないので、俺の口から漏れ出たのは嗚咽とすえた臭いだけだった。


「出ていってください」


 母親が高野に詰め寄る。


「出ていって!」


 高野は、何も言わずに部屋を出ていった。


「はい」


 父親が差し出したのは、温かいお茶だった。よく見ると、部屋の中には簡易的なキッチンがあった。電子レンジもある。狭い部屋にベッドが三つ押し込められているひどい部屋だが、最低限の生活はできそうだ。


「ここにいれば安全だと言っていた。とにかく、休もう」


 父親が俺の背を撫でる。


「もう、戦う必要なんかない」

「……うん」


 促されて再び横になるが、とても眠れそうになかった。右手を握る、そして開く。それを何度繰り返してみても、あの感触が消えないのだ。


(俺は、人を斬った。あの人は、死んだかもしれない)


 俺が斬ったのは腕だ。死んだとしても、止めを刺したのは高野。だが、そのきっかけを作ったのは他でもない。俺だ。


(俺が、殺した……)


 両親の顔を見ることができずに、頭から毛布をかぶった。母親の手が、毛布越しに俺の肩を撫でる。二人とも何も言わなかった。正直、ありがたかった。





 いつの間にか、部屋の灯りが消えていた。両親もベッドに入って眠っているようだ。


(疲れてるよな)


 当たり前だ。誰かに背負われていたとはいえ、戦場の中を移動してきたのだ。


(少しだけ)


 そう思って、ベッドから下りる。施錠されているかもしれないと思ったが、ドアはすんなりと開いた。


「起きたか」


 部屋の前には高野がいた。






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