第7話 ボーナスクエスト
9月4日、23時50分。
「いよいよだ……!」
いよいよ、【
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「この機械、信用できるのか?」
俺の部屋には、心配顔の両親。
「大丈夫だって。戦争で使ってんのと、同じ機械だよ」
「でも、ごはんもトイレもいらないなんて」
母親は簡易マニュアルを睨みつけている。
「大丈夫だって」
【
「これが特殊生体機能保護液かぁ」
父親が覗き込む。
「なるほど。羊水みたいなもんかな?」
と、一人で納得している。
「それじゃあ、月曜の朝まで潜るから」
「本当に大丈夫なのね?」
「心配性だな、母ちゃんは」
「だって……」
「緊急ボタンだってあるんだからさ」
【
「父ちゃん、母ちゃんが押さないように見張っといてくれよ」
「わかったよ」
「でも、ここ見てよ」
母親が簡易マニュアルの一点を指差した。そこには、『危険:心身の健康が保たれている時に限りログイン可能』の文字。
「健康じゃないときに入ったら、どうなるの?」
「そんなの、便宜的に書いてあるだけだよ」
「そうかしら……」
母親が簡易マニュアルを睨みつけながら、チラッと俺の方を見た。
(これは、何かを企んでいるときの顔だ)
そう悟った瞬間、母親が腹を抱えてうずくまった。
「いたたたたたた! お腹がイタイ!」
(棒読みにも程がある……!)
父親も同じことを思ったのか、天を仰いでいる。
「……大丈夫か、母さん」
数秒遅れて、父親が声をかけると、母親はさらに身体を丸めた。
「だめだぁ! いたくて動けない!」
「母ちゃん、変なもの食べたのか?」
「わかんない! でも亮平が看病してくれたら治ると思う!」
「とりあえず、部屋に行って横になろう?」
「だめ! 動けない! ここで横になる!」
言いながら、母親はもぞもぞと俺のベッドに潜り込んでしまった。
父親は再び天を仰いでから俺の方を見た。その意は『どうする?』だ。肩を竦める俺。その意は『残念だけど、しょうがない』である。
「わかったよ。今日はゲームやめて、母ちゃんの看病するよ」
俺のセリフもたいがい棒読みだが、こればっかりは許してほしい。
「ほんと?」
布団から顔を覗かせる母親に、ため息が漏れた。
「ほんと」
「そう。それなら、明日の朝には治ってるわね。きっと」
そうして、母親は再び布団に潜り込んだ。
(恥ずかしいなら、やらなきゃいいのに)
「父ちゃん、布団もう一組持ってきてくれ」
「いいけど、どこに敷くんだ?」
言われて、はたと気づいた。俺の部屋の空きスペースは【筐体】によって塞がれている。布団を持ってきたところで敷くスペースなどないということに。
(だからって、高校2年生で母親と添い寝は……)
その夜、俺は究極の選択を迫られたのだった。
=====
【蘭丸】:母急病、本日ログインできず。
【
【蘭丸】:十中八九、仮病です。
【リボンナイト】:どゆこと?
【蘭丸】:俺が
【RED】:あ、そういう。
【
【蘭丸】:
【RED】:さすが蘭丸の母ちゃんwww
【リボンナイト】:wwwww
【蘭丸】:そういうわけで、今日は不参加で。
【リボンナイト】:しょうがないね。
【蘭丸】:ご機嫌取りの週末になりそうです。
【
【蘭丸】:がんばります。
【
【蘭丸】:はい……(涙)
=====
メッセージのやり取りをしている間に、母親はすっかり寝入ってしまった。
(みんな、今ごろ楽しんでるんだろうなぁ)
そんなことを思いながら、俺も眠りについたのだった。
* * *
グループチャットに入ってきた幼馴染からのメッセージ。そういえば、彼の母親は心配症だったと思い出した。
(うちとは大違いね)
三人姉妹の末っ子である私。両親は仕事が忙しくて帰ってこないし、二人の姉も既に自立して家を出ている。今夜も家には一人きりなので、ゲームをするのに何の障害もない。寂しくないかと言われれば寂しいような気もするが、もう慣れた。
(ちょっとだけ、羨ましいな)
そんなことを思いながら、私は服を脱いだ。マニュアルに、『使用の際は衣類非着用を推奨』と書かれていたからだ。
「下着は、どうすればいいんだろう……」
申し訳程度にしか膨らんでいない胸だが、それでもちゃんとブラジャーを着けている。『いつ何があってもいいように』と姉に口酸っぱく言われているので、今日も可愛らしい白レースの上下セットだ。
「うう……。下着は、このままにしよう」
家族不在とはいえ、何が起こるか分からない。そのときに真っ裸では恥ずかしすぎる。
(推奨ってことは、別に着用しててもいいんだもんね……?)
私は下着だけの格好になってから、【筐体】の中に横になった。特殊生体機能保護液は身体の半分が沈む程度の水深で、妙に暖かな液体に背中側の半分だけがつかる形になる。
──シュウ、ガコン。
音を立ててフタが閉まった。真っ暗になったのは一瞬のことで、フタの内側、つまり私の目の前にコントロールパネルが現れる。
『
パネルの表示が目まぐるしく移り変わっていく。
『ログイン先を選んでください』
画面には、現在リリースされているVRMMOゲームがいくつか表示された。
「へえ。他のもプレイできるんだ。まあ、私は【
(だって、森くんは【
今日も彼がログインしないなら自分も、と思った。しかし、二人も抜けてしまっては【チームR】は機能しないので仕方がない。
──ピッ。
【
『ログインします。よろしいですか?』
「『YES』っと」
『YES』ボタンをタップすると、再び真っ暗闇に包まれた。
──ジジジジジ。
「なに?」
耳障りな電子音に続いて、再びコントロールパネルが開いた。真っ赤なウィンドウに映し出されたのは、『DEATH CAGE』という真っ黒な文字。
「バグかな?」
思わず身構える。
「『DEATH CAGE』……死の
その文字が見えたのは一瞬のことだった。すぐに再び暗闇に包まれる。次いで、背中に感じていた液体の感触がせり上がってくるのがわかった。特殊生体機能保護液が、私の身体を包み込んでいく。もちろん鼻も口も塞がれて息ができなくなるわけだが、これはマニュアル通りに我慢する。数秒我慢すれば、ログインが完了するからだ。その後は、この液体が肺を満たして酸素を送り込んでくれるらしい。
思わず、目を閉じた。真っ暗な世界の中に数秒。
その次の瞬間、私の身体は見慣れた姿に変化していた。背格好はリアルとほぼ同じキャラクターメイク。容姿はエルフをモデルにした。以前、彼が好きだと言っていたから。装備は彼が好きだと話していた天使系の装備を好んで身につけている。今は〈
「ここは?」
PCはいつもどおりの姿でログイン出来たようだが、転送された場所は違った。ログイン後は必ず〈城塞都市アウリス〉に転送されるはずだが、ここは見たことのない場所だ。ログイン後の落下の演出もなかった。
崖の上。いや、崖というよりも闇の中に浮かぶ一本道と表現したほうがいいかもしれない。
(下は……落ちたら死ぬわね)
「【
呼ばれて振り返れば、そこには二人の仲間がいた。【
「あなたも無事にログインできたのね」
「はい、お二人も」
「それで、ここはどこだ?」
「さあ」
【
──ピコン!
三人で唸っていると、私達の眼前に見慣れないウィンドウが開いた。『DEATH CAGE』と表示されたのと同じ、真っ赤なウィンドウだ。
『ボーナスクエスト解放! 〈いざ、冥界へ!〉』
一瞬、全員が固まった、こんなウィンドウを見たのは初めてだ。
「何だ? これ」
最初に言ったのは、やはりリーダーの【
「ボーナスクエスト?」
首を傾げている間に、ウィンドウの表示が切り替わる。
『注意:強制クエスト 途中棄権不可』
「は?」
あまりのことに、【
「おかしいぞ、これ」
「ボーナスって、もしかして世界最速クリアのご褒美なんじゃないの?」
眉間にしわを寄せる【
「いや。ログインの時からおかしかった」
「あれですね。『DEATH CAGE』って表示」
「そうだ」
私の言葉に【
「そういえば」
彼女も、あの表示を見たのだ。
「……ログアウトしよう」
「えー!」
【リボンナイト】が不満そうに声を上げた。
「だって、ボーナスなのに! これ、すんごいレアアイテムとか出てくるかもしれないのに?」
「かもしれんが、これはまずい」
「まずい?」
「俺の勘が、そう言ってる」
これには【リボンナイト】も何も言い返せなかった。彼の勘によって助けられたことは一度や二度ではないのだ。
「ボーナスにしたって、バグにしたって、様子がおかしすぎる。しかも『DEATH CAGE』とは、冗談にしても行き過ぎだ」
「そうですね」
私も同意した。運営のシャレかもしれないとも思ったが、その考えは一瞬で消えた。【
「ログアウトしよう。どっちにしても、今日は【蘭丸】がいないんだ。ボーナスだっていうなら、今度【蘭丸】と一緒の時に来るべきだ」
「……それもそうね」
とりあえず【リボンナイト】も納得したところで、三人揃ってメインメニューを立ち上げた。
(ログアウトは、一番下……)
画面を追っていた指が、固まった。
「ない」
【
「ログアウトが、ない」
メインメニューの一番下に表示されるはずの『ログアウト』ボタン。
それが、どこにもないのだ──。
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