第6話 【エウリュディケ】


(また、この夢か……)


 フワフワと浮かんでは沈んでいく意識の中で、俺はこれが夢だとすぐに気付いた。


 俺の5歳の誕生日の出来事だ。

 あの日のことは、忘れようと思ってもなかなか忘れられるものではなく、こうして時々夢に見る。



『亮平!』


 その日、俺は両親と一緒に買い物に来ていた。家から少し足を伸ばしたショッピングモール。大きなオモチャ屋があって、誕生日プレゼントを買ってもらうことになっていた。

 不運にも、そこで俺たちは強盗に巻き込まれてしまったのだ。


『どけぇ! こいつをころすぞぉ!』

『やめて! はなして!』


 逃げ遅れて強盗に捕まった俺。首には男の太い腕が巻き付いていたので、声を出すことも出来ない。ただ、母親の悲鳴だけが聞こえていた。


『母さん!』


 父親は俺を助けようとする母親を懸命に押し留めていた。


『かあ、ちゃん……!』


 なんとか絞り出した俺の声が聞こえたのか、母親が叫びながら父親を押しのけた。


(母ちゃんが危ない!)


 そう思った俺は、とっさに目の前の腕に噛み付いた。


『いってぇ!』


 男の腕が緩んで、俺はそこから逃げ出して。


『亮平!』


 母親の腕の中に飛び込んだ。


『この、クソガキィ!』


 振り返ると、男がナイフを振り上げていた。母親が俺を抱き込む。その肩越しに、ギラリと光る刃が見えた。


 ──バキィ!


 だが、それは一瞬だった。何かが砕ける音とともに、男の身体が吹っ飛んだのだ。


『大丈夫か?』


 腰を抜かして動けない母親と恐怖で震えるだけの俺に声をかけてくれたのは、また別の男だった。俺を捕まえていた男よりも、もっともっと大きな人だった。それでも今度は恐怖を感じなかった。その男は優しく微笑んでいたから。やわらかな光を放つチョコレート色の瞳で、じっと俺を見つめていた。


『よく頑張った』


 大きな掌が、俺の頭を撫でてくれた。


『その勇気に見合った、強い男になれよ。小さな戦士くん』


 今でも俺は、あの大きくて優しい人の言葉を忘れることができない。



 * * *



「ん……」


 目覚めは緩やかに訪れた。水の底から浮かび上がるように、フワリと視界が明るくなる。


「……久しぶりに見たな、この夢」


 俺はベッドから起き上がって、枕元の目覚まし時計を確認した。


「2時か」


 再びふとんに潜り込むが、それは無駄なことだと、俺はもう知っている。


(この夢を見た後は、眠れないんだよな)


 胸がドキドキして、目が冴えてしまうのだ。


(はやく俺もあんな風になりたいな)


 ヴァーチャルじゃない、現実の世界で。大切な人を守れるように。


「……行くか」


 今日は9月3日。【筐体きょうたい】を使ってログインできるのは明日以降だが、【ORPHEUSオルフェウス】にログインできないわけではない。

 俺は、ヘッドギアを手に取った。


「これでログインするのも、今日で最後だな」


 なんだか感慨深い。このヘッドギアはお年玉とお小遣いを貯めて、ちょっとだけ父親に援助してもらって買ったものだ。かなり愛着がある。


「どうせ眠れないから」


 誰に聞かせるでもなく、俺は言い訳をしてからヘッドギアを装着したのだった。



 * * *



「人、すくな……」


 思わず唸った。

 【ORPHEUSオルフェウス】は世界中で大ヒットしているゲームだが、プレイ人口が最も多いのは日本だ。日本企業が運営しているから当然といえば当然か。

 必然的に、日本時間の1時を過ぎた頃には、ログインしているプレイヤーの人数がガクッと減るのだ。


「単独で、どっか行くか」


 そんなことを考えながら、クエスト一覧を開く。


「うーん。やっぱり上級職じゃないとなぁ」


 『剣士』では受注できるクエストに限りがある。いつもなら、上級職の『聖女』である【Rabbitラビット】か『姫騎士』の【リボンナイト】、上級のさらに上である『大賢者』の【REDレッド】がいるので、クエストは選びたい放題なのだ。


「まあ、中位でレベル上げするか……」


 転職のためには、防御系のスキルと聖魔法を少しばかり覚えなければならない。いずれも自分のスキル一覧から外してしまっているので、レベルはゼロだ。


「ってことは、まずは下級クエスト行って、スキルを覚えるとこから? やってらんねー」


 頭を抱えていると、俺の隣に新たなプレイヤーがフワリと着地した。長い黒髪に真っ白のドレスが印象的なPCだ。


「え」


 その顔が見えた途端、俺は思わず声を上げてしまった。


「栄藤!?」


 その女性キャラは、俺の好きな子と全く同じ顔をしていたのだ。眼鏡はないが、間違いない。


「……ああ、森くんか」


 栄藤は俺の顔を訝しげに見てから、ポンと手を打った。


「顔が違うから、分からなかった」

「普通は変えるだろ、顔」


 【ORPHEUSオルフェウス】ではキャラクターメイクで、自分の好きなように顔や髪の色を設定することが出来る。自分とそっくりなキャラを作ることももちろんできるが、ほとんどのプレイヤーは自分の理想のキャラを作っているはずだ。


「そうかしら?」

「ってか、こんな時間にログインしてんのかよ」

「そっちも」

「う……。ちょっと、寝れなくて」

「私も、そんなとこ」


 言いながら、栄藤がシステムウィンドウを開いた。


 ──ヒュン。


 何かが飛んでくるような音はメッセージ受診の通知音だ。慌てて俺もシステムウィンドウを開くと、そこには新着メッセージが一件届いていた。


『【エウリュディケ】からフレンド申請が届きました! 承認しますか?』


「【エウリュディケ】?」

「私のプレイヤーネーム。フレンド、なってくれる?」

「もちろん!」


 俺は速攻で承認ボタンをタップした。


「じゃあ、あの約束。今から行こうよ、クエスト」

「もちろん、いいよ」


 俺は弾む心をサトラレ内容、できるだけ平坦な声を出すように務めた。


「どこ行く?」

「レベル上げれるなら、どこでも」

「じゃあ、中位の難関にしようか」


 クエスト一覧を見ながら、その一番下に表示されているクエストを指差した。中位クエストの中でも、最難関と言われているクエスト〈セイレーンの祠〉だ。


「俺なら単独でもクリアできるから、二人なら余裕だろ」

「〈セイレーンの祠〉を単独でクリアって……。やっぱりすごいのね、【蘭丸】くん」

「まあな」


 くすぐったくて、俺は思わず鼻を掻いた。


「じゃあ、よろしく」

「おう」



 * * *



 俺と【エウリュディケ】は、なかなかのコンビだった。中位最難関クエスト〈セイレーン祠〉を、約1時間でクリア。コンビでは世界ランク100位に入る成績だ。


「すごいじゃん、栄藤」

「【エウリュディケ】」

「あ、ごめん」


 ゲーム内では、本名で呼び合わないのがマナーだ。うっかり呼び間違えて、俺はすぐに謝罪した。


「いいよ。急に呼び方変えるなんて難しいよね」

「だよな。クラスメイトと遊ぶと、よく呼び間違えて怒られる」

「あるあるだね」

「そう。この前も『田中〜!』って叫んじゃってさ」


 2人で手に入れた素材を山分けしながら、他愛もない話をした。


(これは、悪くない展開だ……!)


 プレイの相性も良いし、次を誘っても何らおかしくない。むしろ誘わないほうが不自然だ。


「あとはスキルレベルを効率よく上げれば、1週間もあれば上級に上がれるよ」


 【ORPHEUSオルフェウス】では、それぞれの職業で指定されるスキルのレベルが基準を達成すれば、その職業に転職できるというシステムだ。


「手伝ってくれる?」


 【エウリュディケ】が小さく首を傾げて尋ねるので、俺の鼓動が高鳴った。


「おう」

「ありがと」


 【エウリュディケ】が笑った。だけど、その表情が少し寂しそうで。


「どうしたんだ?」

「え?」

「なんか、心配事でもあるのか?」


 尋ねた俺に、【エウリュディケ】は眉を下げた。


「【蘭丸】くん、優しいね」

「え、あ、いや、普通、だと思うけど」


 ドギマギして口ごもる俺に、【エウリュディケ】がクスクスと笑う。


「ねえ、聞いてもいい?」

「なに?」

「なんで、【ORPHEUSオルフェウス】やってるの?」

「なんで、って……。みんなやってるから?」

「なにか、目標とかあるんじゃないの?」


 ここまで訊かれて、俺は『ああ、なるほど』と思った。たいていのプレイヤーは、なにがしかの目的や目標があってプレイしているものなんだろう。特にトップランカーともなれば。


「プロに転向とか、プレイ動画公開して広告収入で荒稼ぎとか、女子にモテたいとか、学校で目立ちたいとか?」

「うん。そういうの、ないの?」

「俺は、ない、かな」


 意外だったのだろう、【エウリュディケ】が驚いている。


「俺、もともと陰キャのコミュ障でさ」

「……とても、そうは見えないけど」

「だろ? ゲームのお陰なんだ」

「ゲームの?」

「そ。小学校4年生くらいかな。引きこもって漫画読んでばっかりの俺を心配した両親が、隣の家のお母さんに相談したんだ。で、次の日にその家の子が俺を誘いに来てくれた」

「あ、それが【Rabbitラビット】?」

「そ。で、一緒にゲームした。『これなら、他のクラスメイトもやってるよ』って。その時は【ORPHEUSオルフェウス】じゃなかったけど」


 あの頃のことを思い出すと、すこし恥ずかしい。


(ゲームなんて馬鹿のやる遊びだって、イキってたなぁ)


「俺にとってゲームは、コミュニケーションツールだよ。これがなかったら、クラスメイトとも上手く話せないと思う」


 だから、【エウリュディケ好きな子】とも、こうして話ができているのだ。


「そっか……。もう一つ、聞いてもいい?」

「ああ」

「ゲーム、苦手?」

「え?」


 俺は思わずフリーズしてしまった。


「苦手って、俺、下手だった、かな……?」

「違う違う! そういう意味じゃなくて!」


 肩を落とした俺に、【エウリュディケ】が前のめりで言い募る。その手が俺の肩に触れて、現実でもないのにドキッとした。触れた場所が、ポッと温かくなる。


(こういうとこ、リアルに作られてるんだよなぁ)


「モンスター倒した時、ちょっと辛そうだったから」

「辛そう?」

「うん。こんな顔してた」


 【エウリュディケ】が眉を寄せて口をへの字に曲げた。


「俺、そんな顔してた?」

「してた」

「そうか?」

「対人のバトルも、自分からはやらないよね?」


 【ORPHEUSオルフェウス】ではプレイヤー同士のバトルも楽しむことが出来る。トーナメントも開かれるくらいだが、俺は参加したことがない。対人バトルをするのは、喧嘩を仕掛けられた時だけだ。


「……確かに、苦手かも」


 思い返せば、そうかもしれない思った。


「俺、モンスターが消える瞬間とか、人が傷つく瞬間とか、ちょっと苦手かも」

「そういう人、たまにいるよね」


 VRとはいえ、【ORPHEUSオルフェウス】はかなりリアルな作りになっている。敵を倒す瞬間が苦手でやめていくプレイヤーの話はたまに聞く。


「まあ、俺はやめないけど」

「そうなの?」

「うん。それを差し引いても楽しいし。仲間もいるし」


(こうして、好きな子とも遊べてる。【ORPHEUSここ】じゃなかったら、誘うことすらできなかった)


「そっか……」


 話は、それで終わってしまった。

 夕日が沈んでいく演出を2人で眺めながら、俺達は現実の朝が来るのを待った。


 【エウリュディケ】が少し寂しそうに笑っていた。


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