第5話 どこかの戦争


「ゲームは、何すんの?」


 栄藤好きな子との会話が成立していることに、俺の心は浮ついた。ついでに、声も上ずった。


「【ORPHEUSオルフェウス】」

「へえ。俺もやるんだ」

「さすがに知ってる。『瞬殺の【蘭丸】』だっけ?」

「いや、それダサいからやめてくれよ」

「ふふふ。いいじゃん。みんなの憧れでしょ?」


 栄藤が笑った。


(かわいい……)


 もちろん、声には出さなかった。キモいからな。


「まあな。……栄藤は、その……、職業は?」

「魔術師」


 なんとか会話を続けようとひねり出した質問にも、彼女はちゃんと答えてくれた。彼女の方も、俺との会話を続けるつもりがあるらしいとわかって、胸を撫で下ろす。


「中級か。上級職は?」


 【ORPHEUSオルフェウス】は、様々な遊び方が用意されているVRMMOだ。俺たちのようにクエスト攻略の最前線を駆け抜けるプレイヤーもいれば、レア素材を集めて強い装備を作ることだけにこだわっているプレイヤーもいる。はたまた、畑を開墾して農業を楽しむスローライフ派もいる。

 だが、上級職への転職を目標にしているプレイヤーが最も多いと聞いたことがある。上級に上がれば、それだけ挑戦できるクエストの幅が増えるし、手に入れる素材のレア度も一気に上る。

 彼女もそうではないかと、当たりをつけたのだ。


「レベルが足りない」


 ということは、やはり彼女も上級職を目指しているのだ。『魔術師』なら、『賢者』や『聖女』を目指すことになる。


「……それじゃあ、さ」

「……なに?」

「今度、一緒に行かないか? クエスト」


 二人の間に、沈黙が落ちる。


(失敗したか?)


「お、俺も上級職目指してて! 『剣士』なんだけどさ。レベル上げなら、一緒にどうかと思って!」


 思わず言い募ると、栄藤が少しだけ笑った。


「いいよ」

「マジ?」

「うん」


 約束をしてしまった。これは大事件だ。その事実に慄いていた俺は、背後から迫る気配に気づかなかった。


「なに話してるの?」


 宇佐川だ。


「えっと……」


 何故か気まずい気持ちになって言い淀む俺に、宇佐川が首を傾げる。


「秘密よ」


 言ったのは栄藤だ。


「え?」


 宇佐川の傾げた首の角度が、さらに深くなる。ちょっと恐い。


「私と森くん、二人の秘密。ね?」

「お、お、おう」


 よくわからないが、とりあえず頷いた。


「……私だって、秘密あるもん」


 小さくつぶやいた宇佐川が、俺の腕を掴んだ。


「私と森くんだって、二人の秘密あるもん! ね?」

「お、お、おう」


 これにも、とりあえず頷いた。


(そんなことよりも……当たってるよな、これは)


 俺の左腕に、柔らかい感触。


(いや、これは違う。なんでもない。ただの……そうだ。ただのパンケーキだ)


「ふうん。……それじゃあ、森くん。約束、忘れないでね」

「うん」


 現実逃避しかけた俺に、栄藤が手を振る。その手には、いつの間にか弁当袋と水筒がぶら下がっていた。


「私達も、お昼食べよ?」

「お、おう」


 なんだかよくわからないまま、宇佐川と一緒に昼飯を食べることになった。俺たちはただの幼馴染でゲーム仲間、変な関係ではないと言い続けている俺が、宇佐川と一緒に昼飯を食べている。その様子にクラスメイトたちがざわついたが、俺はそれどころではない。


(俺、栄藤好きな子と遊ぶ約束をした!)



 * * *



「午前はお疲れ様。安田特殊教官から、今日は一段と頑張っていたと聞いたぞ」


 日本史の武田先生は上機嫌だ。軍から派遣されてきた特殊教官が満足して帰っていったから、教員はみんな気分がいいだろう。俺たちのおかげだ。もっと褒めてほしい。


「これに驕ることなく、これからも精進しろよ」


 武田先生が黒板に今日の授業内容を書いていく。『現代史、戦争はVRの時代へ』だ。



「日本は今、してんだからな!」



 国際法により、現実世界での戦争行為が禁止されて30年が経とうとしている。それでもなお、人間は戦争をやめられなかった。世界の偉い人たちは、IT技術を駆使して【VWOヴァーチャル・ウォー・オンライン】と呼ばれる仮想現実世界を構築。


 その中で、今でも戦争が行われている。


 といっても、俺達にとっては遠い世界の出来事だ。戦うのは徴兵された65歳以上の高齢者と、その他の志願兵。徴兵っていっても、彼らは【筐体きょうたい】から【VWO】に接続するらしいから、実際は天国だろう。年をとって言うことをきかなくなった身体は【筐体きょうたい】の中で完璧にケアされて、精神はヴァーチャルの世界で自由に動き回る。当然だが、怪我をすることも死ぬこともない。俺の祖父母も喜んで徴兵されていった。


「困ったわぁ」

「ほんとよねぇ」


 学校からの帰り道、近所のおばさんたちの井戸端会議が聞こえてきた。


「仕事どうしましょう」

「駅前のスーパー、求人出てたわよ」

「あら、ほんと? 助かるわ」

「でも、ほんとに仕事なくなっちゃうなんて」

「ねえ」


 おばさんの一人が仕事をクビになったのだろうか。最近では、よく聞く話だ。人口が減って仕事が減っているらしいということは、俺たち高校生にも聞こえてきている。高卒で就職予定の同級生にとっては死活問題だ。

 とはいえ、これも一時のことだろうと先生は言っていた。


「ヘルパーなんて、一生働き口には困らないと思ってたのに」

「こんなことになるだなんてね」

「嫌な世の中になったわね」

「しっ!」


 道の向こうを、武装した憲兵が歩いていく。物々しい雰囲気に、おばさんたちが口を噤んだ。


「気をつけなきゃね」

「三丁目の山田さん、連行されてから帰ってきてないって」

「ほんとに?」

「それじゃあ、ホントのホントだったの? あの噂」

「そういうことよね」

「まあ」

「恐いわぁ」


(あの噂って、なんだろう?)


 気にはなったが、『また、いつものやつだろう』と納得した。


(SNSに『戦争反対』とか書いたんだろうな。どうせ)


 そんなことよりも、急いで帰らなければ。外出許可時間は18時まで。特例が認められるのは、一部の職業だけだ。憲兵に捕まりたくなければ、早々に帰宅するのが吉。おばさんたちもそれに気づいたのだろう。俺が交差点を曲がる頃には、そそくさと解散していた。


「ただいま」

「おかえり。ねえ、ちょっと教えてほしんだけど」

「なに?」


 帰ってきた俺を出迎えたのはいつもどおりの母親だったが、今日はなんだか慌てている。


「これこれ。見れなくなっちゃったのよ!」


 母親が俺の顔前にズイッとタブレット端末を押し出してきた。画面には、『JADIA日本国軍国防情報局』のロゴと『閲覧不可』の真っ赤な文字。


「なに見ようとしたの?」


 ヤバいものでも見ようとしたのかと疑いの眼差しを向ければ、母親は慌てて首を横に振った。


「友達のブログよ! 昨日の記事のレシピ、夕飯に作ろうと思って」

「どうせ、コメント欄とかに変な単語があったんだろ」

「変な単語?」

「最近、規制が厳しいって学校でも噂してた」

「そうなんだ」

「やましいことがないなら、またすぐに公開されるよ」

「そっか。残念だわ」

「仕方ないよ」

「そうね」


 母親が、しゅんと肩を落とした。


「……飯、いつものでいいよ」

「いつもの?」

「別に、新しいレシピとかじゃなくてもいいってこと」

「あら! じゃあ、今日はハンバーグにしよっか?」


 母親が俺の顔を覗き込むので、ふいと視線をそらした。


「なんでもいいよ!」

「ふふふ。お母さんの作るものなら、なんでもいいってこと?」

「そこまでは言ってない」


 俺と母親は、声を出して笑いあった。


 戦闘訓練はだるいし、情報統制はうざい。でも、それだけのことだ。どこかで起こっている、遠い場所の出来事。それが俺にとっての戦争で。


(戦争なんて、俺達には関係ない)


 この時の俺は、そんな呑気なことを考えていた。

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