第3話 淡い恋心
「亮平! いい加減に起きなさい!」
至近距離で聞こえた母親の怒鳴り声に、俺はベッドから飛び上がった。時計を見ると、7時30分を過ぎている。
「遅刻!」
「何度も起こしたのよ! 急げ!」
慌てて起き上がって着替え始めた。その様子を母親がため息を吐きながら見ている。
「明日からしばらく、ゲームは23時まで」
「ぐっ……」
「わかった?」
「……はい」
しょんぼりと返事をした俺に、母親が再度ため息を吐く。
「週末は朝まで遊んでもいいから」
「ありがと!」
「急ぎなさい」
「うん!」
学校までは自転車で全速力を出しても20分はかかるのだ。急がなければ、本当に遅刻する。
「朝ごはん、おにぎりにしといたから」
「サンキュー!」
転がるようにリビングに下りれば、困り顔の父親が待っていた。
「亮平、ゲームもほどほどにしろよ」
「分かってるって」
返事をしながら、おにぎりを頬張る。うまい。最後はお茶で流し込んで、慌てて玄関へ。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてな」
「いってらっしゃい」
母親と父親に見送られて、家を出た。今日もいつもどおりの平和な朝だ。
「【蘭丸】くん!」
自転車に荷物を放り込んだところで、声をかけられた。
「おはよう、宇佐川」
【
「【蘭丸】は勘弁してくれよ」
「あ、ごめん! おはよう、森くん!」
「おう。急ごうぜ」
「そうだね」
二人揃って、勢いよく自転車を漕ぎ出した。
「間に合うかな!」
「急げば大丈夫だよ!」
俺の後ろを同じように自転車で走る宇佐川が叫ぶ。俺も叫び声で返した。
「昨夜はなかなか寝付けなくて、寝坊しちゃった!」
「俺も!」
「ああ!!」
急に大声で叫んだ宇佐川に、俺は慌てて自転車を止めた。
「どうした!」
「数学の問4、教えてもらうの忘れてたー!」
楽しそうに笑いながら、宇佐川が俺を追い抜いていく。
「おどかすなよ!」
「ふふふ」
俺は再び自転車を漕いで、彼女を追いかけた。
「数学は5限だよね。昼休みに教えて」
「その代わり、今日は俺の素材集めに付き合ってくれよ」
「いいよ! 私の〈翼竜の卵〉も」
「分かってるって。ちゃんと付き合うよ」
「ありがとう!」
二人はなんてことない世間話をしながら、学校への道を駆け抜けたのだった。
* * *
「おはよう」
俺と宇佐川が連れ立って教室に入ると、すぐにクラスメイトに囲まれてしまった。
「おめでとう!」
「世界最速クリアって!」
「すごすぎぃ!」
口々に言われて、俺は思わずにやけてしまった。宇佐川の顔を見れば同じような表情で。褒められるのも祝われるのも、悪い気分じゃない。
「ありがとう!」
宇佐川が言うと、男子たちがポワンとなった。それも仕方がない。現実の宇佐川も、可愛いのだから。色素の薄いフワフワのくせっ毛を長く伸ばして、ゆるめに結んでいる。耳の前に一房垂れる髪が最高にカワイイのだと、誰かが言っていた。くりくりの瞳も色素が薄くて、儚げな印象を与える。ゲームの中のフワフワとした可愛らしいイメージにかなり近い。
「亮平すげえな!」
「俺、プレイ動画見たぞ!」
【
「さっすが『瞬殺の【蘭丸】』!」
「だから、それやめてくれって」
「なんでだよ!」
「かっこいいじゃん!」
「えー」
若干引き気味の俺を無視して、クラスメイトたちが盛り上がる。
「パッシブの〈抜刀術:Lv99〉って、マジでヤバいよ」
「俺、まだレベル12なんだけど」
「剣術だけひたすら鍛えたって聞いたけど、マジ?」
問われて、俺はニヤリと笑った。
「マジ。俺、剣術しかできないから、上位職に転職できない」
「それはそれでウケる」
【
「剣術しかできないって、防御は?」
「全く強化してないな」
「ウケる」
俺の返事にクラスメイトたちが笑い転げた。
「抜刀術以外は、何鍛えてんの?」
「パッシブは〈落下耐性〉と〈自然回復〉、あとは〈持久力〉だな」
「アクティブは?」
「〈見切り〉、〈三段突き〉、〈燕返し〉、〈
「見事な剣術縛り……」
「ああ、あと〈死んだふり〉もLv26まで伸ばしたぞ」
「なんでだよ!」
再び笑い転げるクラスメイトたち。
「ところで、さ」
クラスメイトの一人が、頬を赤くしながら言った。
「【
この話題転換には、【
「さあ、どうだろうな」
俺は興味なさそうに返事をしてみたが、心の中はそわそわしている。
「あれって、値段いくらくらいするの?」
「家を建てられるくらいって聞いたけど」
「関係者とか、セレブしか持ってないんだろ?」
今回の世界最速クリアのご褒美として贈られる【
「あれ使うと、飯いらないってほんと?」
「らしいよ」
「トイレも行かなくていいんだろ?」
「睡眠もいらんのだろ? まあ、それはいつも捨ててるわけだが」
「いや、睡眠はとれよ」
「中、どうなってんだろうな?」
「飯もトイレも睡眠もいらないってことは、永遠に潜れるってこと?」
「つまり、そういうことだ」
ごくり。
その場にいた全員の喉が鳴った。当の本人である俺や宇佐川よりも、クラスメイトの方が盛り上がっている。そんな様子を、俺達はニコニコ顔で見ていた。
(その【
ちょっとした優越感とわくわくで、俺も宇佐川も胸を躍らせていた。
──キーンコーンカーンコーン。
「朝から盛り上がってるな。森と宇佐川はおめでとう。すごいな、世界一なんて!」
「ありがとうございます」
「先生も動画見たんですか?」
「まあな」
「じゃあ、先生も寝不足ですかー?」
「ノーコメントだ」
教室中から沸き起った笑い声に、先生は苦笑いを浮かべた。
「寝不足とはいえ、英単語のテストはやるぞ」
「えー!」
「80点以下は追試だ」
配られるテスト用紙に頭を抱えるゲーマーたち。その様子を見て呆れながらも笑顔の他のクラスメイト。誰もが明るくて楽しそうだ。こういうクラスだから、毎日が楽しい。
だけど、たった一人だけ。彼女だけはいつも通りを貫いていた。
俺の隣、窓際の一番うしろの席の彼女。無表情のままテスト用紙を見つめていて。右手に握ったシャーペンは淀みなく動いている。
(
長くて艶々の黒髪。白い肌に桃色の唇。黒縁メガネの向こうの瞳は綺麗なチョコレート色で、たまにキラリと光る。
彼女はクラスに馴染むつもりが端からないようで、女子たちも早々に話しかけるのをやめた。思春期の男子たちは、そもそも美少女に話しかける勇気を持ち合わせていない。
(あの瞳で、俺のことも見てくれたらいいのに)
口に出したら気持ち悪いセリフも、心のなかでつぶやくだけならオッケーだ。
そう。俺は彼女に淡い恋心を抱いているのだ。
(ここが【
曲がりなりにも、世界一になったパーティーの一員だ。しかも『瞬殺の【蘭丸】』なんて呼ばれる、まあまあ有名なプレイヤー。現実でなければ、『クエスト、一緒に行こうぜ』なんて声をかけられるかもしれない。
(……ゲームの中なら、な)
現実の俺は、本当ならただの陰キャだ。幼馴染の宇佐川に誘われて、たまたま始めたゲームで成功した。ゲームの話題がなければクラスメイトと打ち解けることもできなかったかもしれない。
そんな俺が、女の子に声をかけるなんて。
(そんな勇気、俺にはない)
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