4-8 キミがいるから
そういえば、京ケン先生の特番を観るのを忘れていた。
ということに気付いたのは、プロデューサー達へと連絡が終わり、一息ついてからのこと。「あっ」と思って時計を見ると、番組はとっくに終わってしまっていた。
「まぁ、録画したのを観れば良いか」
未だに抑えられない高揚感を覚えながら、侑芽夏は自分を落ち着かせるようにぼそりと呟く。すると、不意に水琴が肩を叩いてきた。
「ユメ。明日、あたしの家で一緒に観ない?」
「あー、うん。そうだね。せっかくだし……」
「宗太とも、ちゃんと三人で話したいからさ」
侑芽夏を見据えながら、水琴ははっきりとした声色をぶつけてくる。
その瞳には、確かな覚悟が映っていた。
侑芽夏は「わかった」とだけ返事をして、見つめ返す。しかしすぐに真面目な空気に耐えられなくなったのか、水琴は窓の外に視線を移した。
「見て。観覧車とかめっちゃ綺麗」
「……ホントだねぇ。もうすっかり夜景って感じだねぇ」
「何でニヤニヤしてるの」
「いやほら、綺麗だからだよ」
水琴の言う通り、夜景は綺麗だ。
ついさっきまで夕日に照らされていたはずなのに、今では市街地の灯りや観覧車のイルミネーションがキラキラと輝いて見える。
忘れたくない、と侑芽夏は思った。
目の前に広がるこの光景も、それとはまったく違うところにある、ふわふわと宙に浮いた気持ちも。
全部、特別な感情だから。
***
結論から言うと、二人の要望はすんなりと通った。
むしろ、あまりにもとんとん拍子で話が進んでいくものだから、こちらが驚いてしまうほどだ。
もちろん、第一声は「え?」だった。
プロデューサーも、昼岡さんも、二人のマネージャーも。皆が皆、最初は戸惑っていた。
当たり前の反応だろう。今更何を言っているのだという話だ。
そう思いながらも、侑芽夏はこれまでの経緯を必死に説明した。水琴とのすれ違いも、水琴の歌詞を見て感じたことも、すべて。
すると、決まって言ってくれるのだ。
「やってみましょう」
――と。
水琴の話によると、昼岡さんも最初は驚いていたものの、最終的には力強く頷いてくれたという。『peace sign TREASURE‼』以上に素晴らしい曲を作りましょう、と。
謝ってばかりの水琴の声を覆い隠すように言い放ってくれたらしい。
本来であれば、明日もゆっくり過ごしてから帰るつもりでいた。
しかし、この旅行での目的はすでに果たしている。むしろ、もう時間がないのだ。今まで目一杯悩んだ分、ゴールまで駆け出さなくてはいけない。
Lazuriteの音楽チームやマネージャーの力を借りながら。
大切な宗太の想いも乗せながら。
水琴と二人で向かっていくのだ。
明日は午前中に帰り、すぐに打ち合わせをすることになっている。
きっと、アニソン戦争当日までバタバタとしてしまうのだろう。そう思うと、今こうして水琴と二人で夜景を眺めているのが、まるで夢の中にいるような感覚だ。
「あっ」
しかし、その夢を打ち破ってしまうような間抜けな声が、侑芽夏の口から零れ落ちてしまった。水琴に睨まれるのも気にせず、歌詞の書かれたノートとペンを手に取る。
「ちょっと借りるね」
すでにペンを走らせながら言ってしまったが、まぁ細かいことは良いだろう。
訝しげな顔でこちらを見つめる水琴に、侑芽夏はノートを見せつけた。
「『キミの世界でユメは輝く』……?」
「そう! どうかな、新しい曲のタイトル!」
「……うーん……」
侑芽夏的には「これだ!」とビビっときた曲名だった。
いかにも『キミの瞳にユメは映る』のアンサーソングっぽいタイトルだし、『娯楽運びのニンゲンさん』の異世界を旅するキラキラ感もある。
しかし、
「いや、いくら何でもあたし達のための曲……って感ありすぎじゃない?」
眉をひそめながら、水琴に言われてしまった。
「あ……そ、そっか」
「そんなに露骨でガッカリしないでよ。だったらさ」
あからさまに落ち込む侑芽夏に呆れながらも、水琴は侑芽夏からノートとペンを受け取る。侑芽夏が茫然としていると、さらさらと何かを書き始めた。
「これだったらどう?」
小さく首を傾げながら、水琴はノートを見せてくる。
――君の世界で夢は輝く。
そこに書かれていたのは、単に「キミ」と「ユメ」を漢字に変えただけのものだった。なのに何故だろう。
まるで最後のピースが当てはまったような感覚が駆け巡り、侑芽夏は反射的に頷いていた。
「君の世界っていうのは、ヒロインのセレナがいる異世界ってことでしょ。それで、主人公が異世界を通じてたくさんの夢を見つけて、輝いていく……」
「……ね、悪くないでしょ? 世界観に寄り添いながら、あたし達らしく歌える曲だって思う。……って言っても、これから昼岡さんに頑張ってもらわなきゃだけど。でも、『peace sign TREASURE‼』を超えられる曲になるって、そんな予感はしてるよ」
ニヤリと口の端をつり上げながら、水琴は自信満々に言い放つ。
まさか、アニソン戦争にこんなにもまっすぐな水琴の姿が見られるなんて思ってもみなかった。だから侑芽夏も釣られて微笑む。
「キミ」
刺々しい印象があるはずの水琴のつり目が、今ばかりはとんでもなく優しいものに感じられた。胡桃色の瞳に吸い込まれそうになるままに、侑芽夏は言葉を零す。
「絶対に勝とうね」
水琴の本音を聞いてからは、そんな前向きなセリフは言えないと思っていた。その考え自体が間違いだって、まったく気付けないままに。
今までは一人だった。たった一人でアニソン戦争に挑もうとしていた。
だけど、そんな気持ちはどこかへ飛んでいってしまったようだ。
「当ったり前でしょ」
彼女が隣にいるだけで、こんなにも力が湧いてくる。
彼女が得意げな笑みを浮かべるだけで、こんなにも嬉しい気持ちに包まれる。
彼女が何の迷いもなく頷いてくれるだけで、こんなにも心が燃え上がる。
――あぁ、あとはもう勝つだけだ。
なんて、当然のことのように思ってしまった。
月影アイリが手強いことも、ここからの一週間が大変なことも、本当は全部わかっている。わかっているからこそ、侑芽夏の心は震えてしまった。
怖いのではない。
……いや、一ミリくらいはそういう気持ちもあるのだろう。
でも、それを吹き飛ばしてしまうほどの嬉しさが侑芽夏の胸に灯っていた。
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