4-3 ラズライト

 流石にお腹も苦しかったのか、ゆっくりと時間をかけて歩くこと約三十分。


「ユメ」

「……わかってる。見ちゃ駄目。匂いも嗅いじゃ駄目だよ」

「うん、行こう」


 何故か小声でやり取りをし、そそくさと建物の中へと入っていく。

 その訳は――紅レンガ倉庫が絶賛イベント中だったからだ。

 どうやら全国のパンが集まったフェスティバルらしく、かなりの賑わいを見せていた。芳醇なパンの香りも漂っていて、これでもかというほどに侑芽夏達の鼻を刺激してくる。

 さっきまであんなに食べていたというのに、不思議な話もあったものだ。


「私、朝はご飯派なのにな」


 建物内に入るや否や、侑芽夏はぽつりと呟く。


「……あたしも」

「なのに何だろう、この気持ち。すっごく切ない」

「わかる」


 水琴も同じ感情に包まれているようで、真面目な顔で頷いていた。

 今まで侑芽夏が経験した旅行は、家族旅行とアニメの打ち上げ旅行くらい。まさか、誰かと二人きりでの旅行がこんなにも誘惑に溢れているなんて知らなかった。

 割と計画は立ててきたつもりだったのに、それがことごとく崩れていく。


「あ、そうだ! 明日の朝食用に買うとかどう?」


 パンを諦めきれない様子の水琴は、名案と言わんばかりにぱっと顔を明るくさせる。


「キミ、明日の朝はホテルのビュッフェがあるよ。朝食ありのプランだから」

「そっか。……夕食は?」

「それはどこかに食べに…………いやでも高校生のキミを夜出歩かせる訳には……」

「ふぅん?」


 水琴の目が細くなる。

 腕組みをしながらこちらを見てくる水琴に、侑芽夏は「あ、あははー」とわかりやすく苦笑いをした。


「いやあのそれは冗談として、でも……夜用にパン、買っちゃう? 夜にパンって少ないかもだけど、お昼食べすぎちゃったし」


 まるで言い訳をするように早口気味に告げると、意外にも水琴はすぐに腕組みを解いてくれた。自分のお腹に一瞬だけ目を向けてから、水琴はじっと見つめてくる。


「そうしよっか」


 どうやら、納得してくれたようだ。

 瞳から圧が消えるのを感じ、侑芽夏は内心ほっとするのであった。



 その後はアパレルショップや雑貨屋を中心に見て回った。「あとで選んであげる」と水琴が言っていた侑芽夏用のロングスカートも無事購入し、ミッションコンプリート。あとはパンを買ってパファーム横浜に寄り、ホテルへ向かうだけだ。

 と、思っていたのだが。


「あ、これラズライトだ」


 アクセサリーショップで足を止め、侑芽夏は水琴に手招きをする。

 そこにあったのはラズライト――Lazuriteの由来にもなった石のブレスレットだった。ラズライトはラピスラズリの主成分の鉱石と言われている。ラピスラズリのアクセサリーはよく見かけるものの、ラズライトは珍しいような気がした。


「ホントだ。ラピスラズリじゃなくて、ラズライトって書いてある」

「ね、珍しい。……買おうかな」


 手に取りながら、侑芽夏は呟く。

 値札に目を落とすとなかなかのお値段だったが、ここで巡り会えたのも何かの運命だと思った。ラズライトの効果には、「ネガティブな感情を癒す」だったり、「本来の明るさを取り戻す」だったり、「勝利へ導く」という意味がある。

 むしろ、買う以外の選択肢はないような気がしてきた。


「あたしも買おっかな」

「……!」

「いや、そんなに嬉しそうな顔されても。…………二人で身に着けた方が、二倍意味があるかも知れないじゃん」


 それだけだから、と付け足してから水琴はそのままレジへと向かってしまった。「待ってよ」と侑芽夏も追いかけようとする。

 しかし、ピタリと足が止まった。


(確か、ラズライトって集中力を高める効果もあったよね)


 ふと思ったのだ。

 漫画家を目指している宗太にもピッタリな石なのではないか、と。


(でも流石にブレスレット二つは厳しいなぁ…………あ)


 宗太にもプレゼントしたい。でも財布的には厳しい。

 どうしたものかと悩んでいると、ストラップにもラズライトがあることに気が付く。これなら宗太も気を使わずに受け取ってくれるかも知れない。


「何してるの?」

「ごめんごめん。ちょっと目移りしちゃって」

「それ、宗太に渡す訳じゃないよね?」


 ――流石ブラコン。目ざとい。


 笑顔を引きつらせる侑芽夏を見て何も感じない訳もなく、水琴は大きなため息を吐いた。


「抜け駆けなんて……。まったく、油断も隙もない」

「抜け駆けって。一応言っておくけど、宗太くんのこと恋愛対象として見てないからね?」

「ふぅん、どうだか」

「いやいやいや」


 いったいどこからどこまでが本気なのか、水琴の表情からはまったくわからない。でも、自分で「恋愛対象ではない」とはっきり言いながらも、だんだんと心の中がもやもやしてきた。


「僕、漫画家になるんだ」


 あの日、はっきりとそう宣言した宗太。

 心がぎゅっと掴まれて、宗太も自分にとって大切な人なのだと気付いた。

 好きなのだ。水琴のことも、宗太のことも。君嶋家自体が侑芽夏の特別な存在になっているから。


「とりあえず、私も買ってくるね。パン買って、パファーム横浜に行こう」


 言って、侑芽夏もレジへと向かう。


 ――キミの本気になった顔を見てみたい。


 宗太が自分に夢を伝えてくれたように、自分も水琴に本音をぶつけたい。

 一週間後の未来を明確な勝利に変えるために。

 彼女と向き合おうと、侑芽夏は心に誓っていた。

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