第四章 キミの瞳にユメは映る
4-1 プライベートな非現実
それは、六月も半ばに差しかかり、アニソン戦争まで残り一週間にまで迫った休日のことだった。
侑芽夏はだぼっとした桜色のロングTシャツに、デニムのショートパンツ。足元は動きやすさを重視したスニーカーで、大きめのリュックを背負っている。
そして、
「しっかし良い天気すぎるよねぇ……。ちょっと暑い」
隣でしかめっ面になっている水琴は、普段と雰囲気の違う黒いパーカーワンピース姿だった。いつものハーフツインテールでもなく、ライトグレーのキャスケットで小さな頭を包み込んでいる。
手元には黒いキャリーバッグがあり、アニメキャラクターのステッカーが遠慮なく貼られているのが印象的だ。
「ってゆーかユメも少しは変装してよ。休日の横浜なんて人だらけなんだからさぁ」
「そういうキミも帽子くらいなんじゃない?」
「でもいつもよりは地味な恰好だし。ユメはいつも通りじゃん」
不満たっぷりにジト目を向けてくる水琴に、侑芽夏は「ごめんごめん」と軽く流す。
水琴がさらりと言った通り、侑芽夏と水琴は横浜駅に降り立っていた。
周りにスタッフもいなければもちろんマネージャーもいない。
アニソン戦争が一週間後に迫ったこの土日は、奇跡的に二人ともスケジュールが空いていたのだ。
まさか、水琴とプライベートで旅行をする日が来るなんて。
二人きりで電車に乗っていた時も違和感を覚えてしまったが、いざ大きい荷物を持って駅に降り立つとますます非現実感が襲ってくる。
「何、その顔」
「いや、ホント……マネージャーさんには頭が上がらないなぁって思ってさ」
「あぁ、それねぇ」
思わず零れ落ちた侑芽夏の言葉に、水琴も渋い顔で頷く。
今回、二人が横浜旅行をすることになった訳は、マネージャーの茜に告げられた『提案』がきっかけだった。
横浜には、『娯楽運びのニンゲンさん』のアニソン戦争が開催される会場である「パファーム横浜」がある。五千人ほどが収容でき、アニソン戦争としては異例の広さだと言われている会場だ。
ワンマンライブすら経験のないLazuriteにとっては、もちろん想像できないくらいに広い場所である。アニメのイベントで何度か侑芽夏もホール会場に立ったことはあるが、それでもせいぜい二・三千人くらいだろう。
「私の場合は、外観だけでもパファーム横浜を見に行けば何か気持ちが変わるんじゃないかって言われたよ。キミは?」
「あたしは単純にリフレッシュして来いって。考えすぎるところがあるから、一度まっさらな気持ちになった方が良いって」
「…………そっか」
一瞬だけ言葉を詰まらせてから、侑芽夏はか細い声を漏らす。
すると、水琴があからさまにむっとした表情になった。
「考えすぎちゃ駄目って言ってるじゃん。せっかくの旅行なんだからさ、楽しもうよ」
水琴の胡桃色の瞳がまっすぐこちらを向いていて、侑芽夏は吸い込まれるままに頷く。
弱音と本音を零してからの水琴は、驚くほどにいつも通りの姿へと戻っていた。すべてを吐き出してスッキリしたのか、それともいつも通りを演じているのかはわからない。
わからないから、侑芽夏は微笑んでみせた。
「そうだね。……とりあえず、荷物をホテルに預けに行く?」
「えー。それよりユメの帽子を買った方が良いんじゃ」
「……買わなきゃ駄目?」
「駄目」
「うぅ…………。じゃあ、荷物預けてからね」
どうやら、少しでも顔バレを防ぐための帽子は必要らしい。
水琴もキャスケットと地味な服装だけでは放たれるオーラを誤魔化し切れていない気もするのだが。まぁ、どちらにしろ可愛いことには変わりない、と侑芽夏は納得することにした。
それから水琴と二人でみなとみらい駅へと向かい、今晩泊まる予定のヨットの帆をモチーフにしたホテルに荷物を預けに行く。
横浜自体は、リリースイベントやCDリリース日の店舗への挨拶回りなどでよく訪れている。そのため、果たして旅行気分になれるのか、という不安はあった。
しかし、今まで仕事ついでに観光することはなく、だいたい家族以外と旅行することも初めてだ。プライベートでもよく会う水琴なのに、今日ばかりは特別感が漂っているように見える。
つまりは、「旅行気分になれるのか」なんて不安は一瞬で吹き飛んだということだ。
「ねぇユメ、まずはどこ行くっ? っていうかこのホテル凄くない? 確か、泊まる部屋ってスイートルームだったよねっ?」
身軽になった水琴がルンルンしながらホテルを出た……と思ったら、透かさず侑芽夏に詰め寄ってくる。
あまりのテンションの高さに驚き、侑芽夏は思わずふふっと笑ってしまった。
「キミ、落ち着いて。気持ちはわかるけど。とりあえず私の帽子を買いに行くんじゃなかったの?」
「あ、そっか。忘れてた」
「忘れてたんかい」
ペシっと、侑芽夏は水琴の肩に突っ込みを入れる。
キミユメ放送局! では侑芽夏がボケボケで水琴が突っ込みに回ることが多いため、何だか不思議な感じだ。
「スイートルームなのも、何とか予約が取れたのがその部屋だったんだよね。夜景が綺麗みたいだから、楽しみだなぁ」
「そだねー。……あーあ、これでちょっと関係がピリピリしてるユメと二人きりじゃなかったらなぁ」
「こらこら」
反射的に再び突っ込みを入れるも、心の中は「こらこら」では済まされていなかった。やっぱり、水琴も水琴も無理をしている部分があるのだろう。
平気そうな顔をしているのも、「リフレッシュして来い」と言われているのが原因なのかも知れない。
「パファーム横浜はすぐ近くにあるけど……」
「それはラストでしょ。ってゆーか、ユメの帽子が最優先だった。さっ、行こう!」
帽子のことを再び忘れたのかと思ったが、そういう訳ではなかったらしい。強引に手を引かれて早足で歩くこと数分。ホテルからそう遠くない場所に帽子屋があったらしく、水琴は迷わず店内へと入っていく。
さては事前に調べたな、と密かに思う侑芽夏だった。
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