3-6 救いの言葉

「ひえぇ、可愛い。これ、マネージャーさんと行きましたって投稿しても良いですか?」

「そうしてください。Lazuriteファンの聖地になってしまうかも知れませんね」


 注文した抹茶のチョコレートフォンデュと抹茶ラテが運ばれてくると、侑芽夏はすぐさまパシャパシャと写真を撮った。


「うーん。男性ファンが多いからどうなんでしょう……。周り、女性客ばっかりですよ?」

「それでも熱心なファンの方は来てくださるかも知れないですね」

「それは……確かにそうですね」


 ついつい、みそおでんくんを始めとするLazuriteガチ勢の方々の名前が浮かぶ。きっとSNSで報告してくれることだろう。


「古林さんはこうして見ると、普通の大学生っていう感じですね」

「……すいません。ついつい写真を撮ってしまう癖が」

「あぁいえそうではなく。…………その服装は私には着られませんから」


 言いながら苦笑する茜の姿に、侑芽夏は思わず「えっ」と驚きの声を漏らす。

 今日はボーダーのカットソーにデニムのサロペットスカートを合わせた服装だった。季節が夏へと近付いていくと、侑芽夏はついついデニム生地の服をよく着てしまうのだ。


「いやいやそんな。だいたい、三鴨さんには三鴨さんに似合う服装がありますから」

「でも、私はもう三十代半ばです」

「……ええっとぉー…………」


 唐突の自虐に、侑芽夏は苦い笑みを零しながら頭を掻く。

 しかし、茜は至って真面目な表情のまま言葉を続けた。


「よく、結婚しないんですか? と訊かれるんです。でも私は仕事第一で、その気はまったくなくて。……きっと、古林さんみたいに若かったらそんなことを訊かれることもないんでしょうね。羨ましいです」


 言いながら、茜にしては珍しくため息を吐く。

 侑芽夏は完全に困惑してしまった。「愚痴でも何でも聞く」と言いながら、茜が愚痴を零してしまっている。

 こんな茜の姿を見るのは、もちろん初めてのことだった。


「三鴨さんは素敵なマネージャーさんだって、私が一番わかっています。美人さんで、優しくて……ぶっちゃけ、結婚がどうのって関係なくないですか? そんなの無視しちゃえば良いんですよ。それに、三鴨さんは全然二十代で通りますから!」


 侑芽夏が思ったことをそのまま、茜にぶつける。

 普段お世話になっているマネージャーだからこそ、こんなにも必死になってしまったのかも知れない。


「古林さん」


 すると、何故か茜に優しい笑みを向けられてしまった。

 意味がわからず唖然としていると、茜は小さく息を吐く。


「困らせてしまってすみません」

「え、あ……はい」

「実は、古林さんを困らせるとわかっていて言ったんです」

「…………へっ?」


 多分きっと、自分は随分ときょとんとした顔をしていることだろう。

 真面目を絵に描いたような茜の言動とは思えなくて、間抜けな声まで漏れ出てしまった。


「でも、そういうことだと思うんです。年齢のことを考えたって何にもならないんですよ。私は私ですし、古林さんは古林さんです」

「あ……」


 また、間抜けな声が零れ落ちる。

 さっきから不思議に思っていた茜の言動の訳が、するりと頭の中へと溶け込んでいった。



「あなた達は声優であり、Lazuriteなんです。これから、たくさんの壁が立ちはだかるかも知れません。でも、二人なら大丈夫だと私は信じています」



 ――私も、支えになりますから。


 そっと最後に付け足されたのは、耳を澄まさなければ聞こえないほどの囁き声だった。

 嬉しくて、小っ恥ずかしくて、だけどやっぱり心は温かくて。

 気付けば、瞳が潤んできてしまう。


「……ごめんなさい、三鴨さん。私…………自分だけが頑張れば良いと思っていました。でも違う。いくらキミが辛い経験をしてるからって、そんなのただの言い訳です。支えるんじゃない、支え合わなきゃ意味がないのに、私……そんな簡単なことにも気付けませんでした」


 肩が震える。茜の顔をまともに見られない。

 ずっと辛かった。一人だけで戦っているような気分だった。

 でも、目の前にはこんなにも自分のことを想ってくれる人がいて、もっと向き合わなければならない人もいる。

 ぐるぐると渦巻いていた感情が、一気に解き放たれるようだった。


「古林さん」

「……はい」


 名前を呼ばれて、侑芽夏はようやく顔を上げる。


「憧れのアニソン戦争が迫っているんです。せっかくなので勝ちましょう」

「…………っ!」


 もしかしたら、侑芽夏は誰かに背中を押してもらいたかったのかも知れない。

 今までずっと、水琴のことが気がかりで、心配で、必死に頑張ろう頑張ろうと言い聞かせていた。


 ――勝ちましょう。


 単純なその言葉が、侑芽夏の胸を熱くしていく。


「古林さん、目が真っ赤ですよ」

「それは、だって……うぅ。…………ありがとう、ございます……」

「良いんですよ。そんなことより、食べましょう」


 言いながら、茜は一足先に苺を抹茶チョコレートにつけて頬張る。

 格好良いのか、可愛いのか、いったいどっちなのだろう。

 幸せそうに頬に手を当てる茜に、侑芽夏はすっかり感情が迷子になっていた。


「三鴨さんのそんな表情、初めて見ました」

「……すみません。古林さんを元気付けたくて、少し演技も入りました」


 指摘されて我に返ったのか、茜の表情はいつも通りの生真面目なものへと戻ってしまった。少し残念に思いながらも、侑芽夏もチョコレートフォンデュを一口食べる。甘すぎない抹茶チョコレートと瑞々しい苺が絶妙にマッチして、ついつい茜の真似をして頬に手を当ててしまった。

 ピクリ、と茜の眉が微かに動く。


「もしかして、からかわれていますか?」

「そんな訳ないじゃないですか。想像以上に美味しかったからですよ」

「……なら、良いんですが」


 どうにも納得できないように眉根を寄せたまま、茜は二つ目の苺を口に運ぶ。すぐにまた表情を緩ませる茜に、侑芽夏は内心ニヤニヤが止まらなくなってしまった。


「何ですか?」

「いやぁ、その……。マネージャーが三鴨さんで良かったなって思ったんです」

「半笑いで言うことですか?」

「あれ、バレちゃってます?」


 大袈裟に目を瞬かせながら、侑芽夏は両手で口元を隠す。

 内心でニヤニヤ……どころではなく、どうやら思い切り漏れ出てしまっていたようだ。でも、それが何だと言のだろう。


 すっかり沈みきった侑芽夏の心に手を差し伸べてくれたのは、他でもない茜だ。

 まだ解決した訳ではない。それでも、茜は侑芽夏の中に隠れていたスイッチを押してくれた。

 嬉しくて笑ってしまうのは、仕方がないことだと思う。


「まぁ、その顔が見たくてお誘いしたので、これ以上の文句はないですよ」


 すると、まるで心の中を読んだかのようなことを茜に言われてしまった。

 真面目の中にひっそりと浮かぶ微笑は、これでもかというほどに侑芽夏を安心させる。ここから先は自分の力で頑張らなくてはいけない。でも、水琴とアニソン戦争のためなら自然と頑張れるような気がした。


「三鴨さん。今日は本当にありが……」

「ところで本題なのですが」

「…………えっ」


 改めてお礼を言おうとした口が、ピタリと止まる。

 本題。

 茜は確かに今、本題と言った。


「い……今までのが本題じゃなかったんですかっ?」


 驚きのあまり声のボリュームが大きくなってしまう。

 はっとなって身体を縮こまらせてから、茜の反応を窺った。


「先ほどまでは古林さんを励ましていただけなので」

「いやでもさっき、その顔が見たくて私を誘ったって」

「それはそれ、これはこれ、です」

「うーん……?」


 これはいったいどういうことなのか、訳もわからず首を捻る侑芽夏。

 やっぱりオーディション関連の話なのだろうか。でも今日の茜はスーツじゃない。スーツじゃない日の茜はほぼほぼ世間話をするだけのようなもので、報告があってもラジオのゲスト出演が決まった程度のことだ。

 あれやこれやと考えを巡らせていると、茜がさらりと答えを口にした。


「ここから先は提案です」

「提案、ですか……?」


 またも侑芽夏の頭の中にクエスチョンマークが飛び交う。

 アニソン戦争に関することだろうか? それとも……と再び考えようとする侑芽夏。しかし、その前に茜が口を開く。


 茜の言う『提案』は、侑芽夏の想像よりも少し外れたものだった。

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