3-5 いつもと違う喫茶店
こんなにもネガティブな気持ちに包まれるのは初めてのことだった。
……なんて言うと、大袈裟に思うかも知れない。
水琴がアニソン戦争に対してやる気がないと知った時も、アイリのライブに圧倒された時も、確かに心は震えた。
でも、そこには確かな情熱が灯っていたのだ。
憧れのアニメソングが目の前にあるのだから、頑張りたい。そう思うのは当たり前のことで、水琴の態度に困惑しながらもただまっすぐアニソン戦争を見つめていた。
それが、今はどうだろう?
謎のやる気のなさを見せていた水琴の本心を、今まで本気で知ろうと思ったことはあったのだろうか?
アニソン戦争ばかりに浮かれていて、Lazuriteとして出場することにちゃんと目を向けられていただろうか?
きっと、その答えはNOだ。
心のどこかで楽観的な気持ちがあって、水琴のことは自分の情熱で説得すれば良いと思っていた。でも、真実はそんなにも簡単なものではない。
宗太の大好きな作品の声優オーディションの話が来て、落ちてしまった。自分だけじゃなくて、大切な家族の夢も乗せていたのに。
アニソン戦争の話が来て前向きな気持ちになれるほど、水琴の心は強くなかった。……いや、決して水琴だけの問題ではないのだろう。
侑芽夏が同じ状況になったら、耐えられる自信がない。憧れのアニソン戦争なのに、恨めしいとすら感じるだろう。
ラジオの収録は滞りなく終わった。
プライベートでも仲の良い同期の声優との番組だし、コーナーに沿った温かいメールもある。自然と声優・古林侑芽夏になることができたし、やっぱり天職なのだなぁと感じる。
まぁ、収録後には「何か調子悪そうだったね」と色んな人に言われてしまったのだが。
「……何か、夢から醒めちゃった感じだな」
ラジオブースを出た途端に、侑芽夏はぼそりと呟く。
少なからず、心のもやもやは表情に出てしまっていたのだろう。それでも収録中は楽しくて、水琴との出来事を頭に隅に置くことはできていた。
でも、終わってしまえばそうもいかない。
「古林さん」
「…………あっ、す、すいません。ぼーっとしちゃって」
マネージャーの茜に話しかけられたのにも拘らず、一瞬だけ気付くことができなかった。侑芽夏は苦笑を浮かべて、茜に頭を下げる。
「いえ、それは……。大丈夫なんですが」
気のせいだろうか。
どんな時でもキリッとしている茜の表情が、心なしか陰っているように見えた。茜には水琴との出来事について何も話していない。水琴がアニソン戦争にやる気がないと知ったことも、今日告げられた本音も、何もかも。
でも、それで良いと思っていた。
侑芽夏がアニソン好きであることも、アニソンシンガーに憧れを持っていることも、茜は知っている。アニソン戦争のことを伝えてくれた時も、一緒になって喜んでくれた。
ずっと傍にいてくれた人だから、弱音は吐きたくない。
と言うか、吐く必要すらないとつい最近までは思っていたのに。
「お話ししたいことがあるんです。明日の午後、お時間ありますか?」
小さく息を吐く仕草をしてから、茜は葡萄色の瞳をこちらへ向ける。
反射的に、「何の話だろう」と思考を巡らせた。あのオーディションだろうか。それとも、新しいオーディションの話? ラジオとかイベント方面の話かな? ……なんて、必死になってポジティブに考えようとする。
「あ、あぁ……大丈夫ですよ。大学も午前だけなので、午後なら」
何とかして平然とした声を返す。
でも、心は確かにざわついていた。
***
翌日の午後三時。
茜と会う時はいつも決まって同じ喫茶店だ。しかし今回はそうではなく、初めて訪れる和喫茶だった。
モダンな雰囲気漂う木造の店内は、まさしく『和』な空間だ。いつもの喫茶店も落ち着く場所ではあるものの、こちらはそこに高級感がプラスされた感じ……と言えば良いだろうか。
「古林さん、こちらです」
少しだけ緊張していると、すぐに茜が手を挙げてくれた。
ほっと安心しながら、侑芽夏は茜の向かいの席に座る。まだ注文はしていないようで、さっとメニュー表を見せてくれた。「わぁ」と言いながらメニューを眺めるも、侑芽夏は内心ヒヤヒヤしている。
(三鴨さん、今日はスーツじゃないんだ)
茜がスーツ姿の時は、だいたい真面目な話がある時だ。
しかし、今はフォーマルな紺色のワンピースに身を包んでいる。色合い的にはいつもとそんなに変わりはないが、スーツもパンツスタイルのことが多いため、スカート姿であるのがまず新鮮なのだ。
「三鴨さん、そのワンピース似合ってますね」
「……そうでしょうか。私はやっぱりスーツの方が落ち着きます」
「でも、今日はスーツじゃないんですね」
つい、気になっていた本音がポロリと零れる。
すると何故か、茜はうっすらと微笑んだ。
「今日は、愚痴でも何でも聞きますから」
「…………っ」
――その一言で、侑芽夏はすべてを理解した。
きっと、聞かれていたのだろう。
あの時は、自分も水琴も感情を剥き出しにしすぎていた。だって、二人だけの空間だったのだ。楽屋付近にいる関係者に聞かれてしまうかも知れないなんて、まったく考えられていなかった。
「みがもざん、私……」
早くも感情が決壊しそうになる。
そんな侑芽夏の様子を見て、茜ははっと目を剥いた。
動揺させてしまっただろうかと思っていると、
「あ、待ってください。まずは注文してからで。せっかく予約したんですから」
冷静にそんなことを言われてしまう。
侑芽夏は思わずぷっと吹き出し、瞳から溢れそうになるものもどこかへ飛んでいってしまった。茜が不思議そうにポカンとしているものだから、その反応がまた面白くて仕方がない。
「どうしました?」
「いえ、三鴨さんはやっぱり三鴨さんだなって思ったので」
「よくわかりませんが……。とにかく、今日は私にとってもご褒美タイムなんです。このお店、ずっと気になっていたのですがなかなか来る機会がなかったので。古林さんに付き添っていただきました」
言いながら、茜は丁寧にお辞儀をする。
釣られて侑芽夏もお辞儀をすると、自然と笑みが零れた。
「三鴨さんはコーヒー好きだと思っていたので、意外でした。ここ、抹茶専門店みたいな感じですよね?」
「そうです。抹茶のチョコレートフォンデュがあるとかで、気になっていまして」
「わっ、ホントだ、美味しそう……。これ注文しても良いんですか?」
「もちろんです。一緒に食べましょう」
茜の表情がいつにも増して柔らかいような気がする。
普段の茜は冷静で、でもその中にある優しさが見え隠れする感じだ。なのに、今はその冷静さすら薄れているような印象があった。
「ありがとうございます、三鴨さん」
ほとんど無意識のうちに、侑芽夏はお礼の言葉を漏らす。
小さすぎて茜にはよく聞き取れなかったようで、小首を傾げられてしまった。
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