3-4 相方としての本音

「…………っ」


 一瞬だけ、息の仕方がわからなくなった。

 それくらいの衝撃が、侑芽夏の心を襲っている。


 いったい、「無理」に勝る言葉がどこに存在するのだろう?


 はっきりとした諦めの言葉を、侑芽夏は受け取ってしまった。

 憧れのアニソン戦争と、相方の思い。

 二つの気持ちが混ざりに混ざって、自分でもよくわからなくなってしまう。


「キ、キミ……あの、ね……」


 頭がぐるぐると回転する。

 きっと、宗太は全部わかっているのだと思う。

 Lazuriteがアニソン戦争に選ばれたことも、そのアニソン戦争が『娯楽運びのニンゲンさん』であることも、水琴が宗太に伝えられない理由も。

 全部、察している。


(…………そんなの、キミだって理解してるか)


 それを水琴に伝えたところで、何かが変わる訳ではないだろう。

 だって、水琴はとっくに絶望してしまっている。

 そんな水琴の心を救う方法は……。


「キミ」



 ――アニソン戦争、辞退しよっか。



 喉まで出かかった言葉が、心の奥深くへと沈んでいく。

 きっと、アニソン戦争を辞退したら一時的には救われるのかも知れない。でも、そんなことはないのだと言い切れてしまうのだ。

 すべてを諦めてしまったら、絶対に水琴は後悔する。「大丈夫だよ」と気を使う宗太を目の当たりにするのは変わらない訳で、まったくもって解決策にはならないのだ。

 それに。


 辞退してしまったら、侑芽夏の気持ちはいったいどこへ行くのだろう。


 侑芽夏は元々、声優に憧れていた。

 でも、同じくらい歌うことも好きで、アニソンシンガーにも憧れを抱いていたのだ。声優のオーディションも、アニソンのオーディションも、どっちも挑戦して偶然掴んだのが声優の道だった。


 だからこそLazuriteとしてデビューできたことは嬉しくて、いつかLazuriteでアニソンを担当できたらと思っていて、それで……。


 今、チャンスを掴めているというのに。


「大丈夫だよ」


 こんなところで立ち止まりたくないな、と思った。

 だから侑芽夏は無理矢理にでも笑うのだ。


「私がいるから大丈夫だって、前に言ったでしょ。キミ、私を信じて」


 はっきりと言いながら、侑芽夏は再び水琴の手を握ろうとする。

 しかし、水琴はまるで逃げるようにして手を引っ込めた。


「ごめん、わからない」

「今は苦しい気持ちでいっぱいなのかも知れない。でも、今度こそきっと」

「だからっ、そうじゃなくて」


 キッ、と水琴の瞳が牙を剥く。

 音を立てて倒れるパイプ椅子など気にもせず、水琴はただまっすぐ侑芽夏に迫ってきた。反射的に後ずさると、意図せず壁ドンのような形になってしまう。


「……キミ……?」


 すぐ近くに水琴の顔がある。

 黒いリボンでハーフツインテールにした浅葱色の髪に、つり目だけど怖い印象はなくて、むしろあどけなさが残る可愛らしい容姿。小柄だが女性らしいプロポーションをしていて、腰はきゅっと引き締まっている。あぁ、やっぱり可愛いなぁと侑芽夏は密かに思った。


「……………………キミ?」


 もう一度、名前を呼ぶ。

 両手を壁について抱き着く寸前になっている彼女は、必死に何かを伝えるように口を開いていた。でも、声にはならない。何度か息を吸う素振りはあったが、心の中の何かが蓋をするようで、顔をしかめるばかりだった。


「良いんだよ」


 やがて、侑芽夏は優しく微笑んでみせる。

 君嶋水琴は完璧な声優だ。

 演技も、歌も、容姿だって、全部。褒めすぎだって思うかも知れない。でも、元々ファンだったのだから仕方がないではないか。


 水琴に対する『好き』は、もう憧れだけのものではない。

 ユニットとして隣に立つ人間だからこそ、水琴の力になりたい。


「思ってること、全部ぶつけちゃえば良いんだよ。だって私、キミよりお姉ちゃんなんだもん。年上として、もっとたくさん頼っても……」



「――――それだよ」



 息が詰まって、苦しくなる。

 え? と思った時には、すでに水琴の瞳に光はなくなっていた。

 水琴は壁から手を離して、一歩だけ下がる。それでも顔が近いのには変わりなくて、侑芽夏は思わず視線を逸らしてしまった。

 まるで、逃げるかのように。


「何で年齢のことをそんなにも気にしてるかわからないけどさぁ、あたしらって対等の立場なんじゃないの?」


 ――いや、実際に逃げていたのだろう。


 吐き捨てられた水琴の言葉が、侑芽夏の心の中に無理矢理入り込んでくる。

 抉られるような痛みと苦しみが襲いかかって、それでもやっぱり身動きは取れなかった。


「最初は別に良かったよ。ユメは明るくて話しやすくて、この人とならやっていけるって思った。でも……大学生になった途端にユメは変わった。高校生ユニットじゃなくなったからって何? LazuriteはLazuriteなんじゃないの。何で急に気を使い始めるの。ユメばっかりが、引っ張ろうとしてるの?」


 水琴の疑問が、刃となって侑芽夏の元に降り注ぐ。


「…………ぁあ……ぁ……」


 ついには堪え切れなくなった感情が、声となって零れ落ちた。

 辛い。苦しい。悲しい。

 それらの感情すべては、単なる自業自得だ。


「きっと、ユメが頑張るだけじゃこの問題は解決しないんだよ。私がいるから大丈夫。私を信じて。……そう言われてあたしが頷いて、それでアニソン戦争に挑んで……。そんなの、最早ユニットの意味、ないよね」

「…………っ」


 言葉が出てこない。

 全部、水琴の言う通りだった。大学生になったからって変に心が焦って、頑張りが空回りしていて、そんなことにも気付けずアニソン戦争へ向かって……。

 あまりにも馬鹿で滑稽な自分の姿に、泣きたくなってくる。

 でも、今はもう後悔している場合ではない。


「キミ、私……」

「ごめん」

「…………えっ?」


 謝って、前に進む。

 どんなに情けなくたって、自分の姿に絶望したって、方法はそれしかないと思っていた。なのに何故か先に頭を下げられてしまい、侑芽夏は思い切り動揺する。


「散々弱音を吐いておきながら、何言ってんだって話だよね」

「そんなこと……」

「ある。っていうかいつまで衣装のままなんだろうねあたし達。次の現場に遅刻しちゃうよ」


 へらり、と笑いながら水琴は頭を掻く。

 瞳には光が戻っていた。いつも通りの、君嶋水琴の瞳だった。


「さっき言ったことさ、全部……いや、半分くらい忘れてね」

「え……?」

「あたしは全部言えてスッキリしたもん。あとはもう、頑張るだけだよ。『娯楽運びのニンゲンさん』のためにも、仕事をこなすだけ。……怖い気持ちもあるけど、逃げる訳にはいかないってことはちゃんとわかってるからさ」


 そこには、完璧の皮を被った君嶋水琴の姿があった。

 これ以上話すことはない。まるでそう言いたいように、私服に着替え始める水琴。


「…………」


 このまま話を終わらせて良い訳がない。

 わかっているはずなのに、上手く声が出せなかった。

 ふと壁かけ時計に目を移すと、思った以上に時間が経ってしまっていることに気付く。水琴に次の現場があるように、侑芽夏にも今日は別の仕事が入っていた。出演しているアニメのラジオ収録だ。

 こんなにも心がざわついているのに、ラジオで明るく話せるのだろうか。


(……私もちゃんと、仕事をこなさなきゃ)


 水琴との関係も、アニソン戦争も大切ではある。

 でも、それ以前に自分は声優だ。

 だから、今は目を逸らさなくてはいけない。

 自分の声で皆を幸せにすること。


 それが、侑芽夏がこの道を進む理由なのだから。

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