2-2 手羽先くんか、きしめんくんか。

 お渡し会が終わって楽屋に戻ると、何故か水琴が盛大にため息を吐きながら机に突っ伏した。


「キミ、どうしたの?」

「……みそおでんくんの名前、咄嗟に出てこなかった……」

「え、そこっ?」


 本気で悔しがっているように顔を歪める水琴。

 水琴のことだから、てっきり「アニソン戦争の話題多すぎ」とでも言うのかと思っていた。侑芽夏はついつい目を丸くさせる。


「隣でユメがみそおでんくんの名前を出した時、あたし……心の中で絶叫してたよ」

「そんなに?」

「だって、顔はすぐにわかったんだもん。いつもありがとうございますーって言いながら、あれ? 手羽先くんだっけ、きしめんくんだっけ、みたいな」

「な、名古屋名物……」


 真顔で名古屋名物の名前を挙げる水琴に、侑芽夏は思わずふふっと笑みを零す。


「みそおでんくんってかなりの古参じゃん? だから名古屋から来てくれてる人ってのはすぐに思い出したんだけど、何故か名前だけ度忘れしちゃって。名古屋名物をたくさん思い浮かべたんだけど、結句駄目だったよ」

「みそ煮込みとか、みそかつとかが浮かんだら思い出せたかもね」

「た、確かにぃ……」


 水琴は再び机に突っ伏しながら、「みそおでんくん、ごめんよー」と小さく零す。

 リリースイベントは何度も経験しているが、水琴がここまで一人のファンのために項垂れるのは初めてのことだった。

 もしくは、侑芽夏が知らないだけで水琴は驚くほどにファン思いなのかも知れない。


「キミがみそおでんくんのことで落ち込んでるの、本人が知ったら嬉しすぎて大変なことになりそうだね」

「それはそうだろうけどさー……。みそおでんくんって、あたしが声優デビューしたばかりの頃に始めたブログからずっとコメントをくれてた人なんだよね」

「……なのに思い出せなかったんだ?」

「うぐっ」


 侑芽夏の突っ込みに、水琴はもう勘弁してと言わんばかりに目を細める。

 ごめんごめんと言いながら話を終わらせようとする侑芽夏だったが、あることに引っかかり小首を傾げた。


「みそおでんくんは、Lazuriteを結成する前からキミのブログにコメントをくれてたんだ……?」

「あぁうん、そだよー。あたしのファンの中でもかなりの古参」

「つまり…………Lazuriteではキミ推しってことなんだ」


 言葉にした瞬間に、自分の顔が苦くなるのがわかった。

 みそおでんくんは侑芽夏のSNSには毎回熱心にコメントをくれるし、ファンレターも度々送ってくれるし、リリースイベントにもよく来てくれる。

 でも、Lazuriteは二人組のユニットだ。グループ全体を推す「箱推し」という言葉も存在するが、どちらかと言うと○○の方が好きという思考の人も中にはいるだろう。


「まぁ、元々あたしのファンでLazuriteのファンにもなったっていう感じじゃないの? あたし推しっていうより、あたし寄りの箱推しってこと」

「……だよね。箱推しでいてくれてるよね……」

「あー。今度はユメが落ち込み始めちゃったよ」


 水琴はそっと席を立ち、よしよしと侑芽夏の背中をさする。

 小さな手が侑芽夏の背中でうごめいていて、侑芽夏はニヤニヤと笑ってしまった。


「可愛いなぁもう」

「……その反応やめて」


 侑芽夏の反応にドン引きしたのか、水琴はキッと睨み付けてくる。

 それでも緩んだ顔を抑えられない侑芽夏は、


「キミってさ、真面目だよね」


 という言葉を何の気なしに零していた。


「何それ」


 心なしか、水琴の声のトーンが落ちた気がした。

 そっと表情を窺うと、胡桃色の瞳は鋭いだけではなく、不確かに揺れている。


「真面目っていうか、負けず嫌いって言ったら良いのかな。キミは子役から活躍してるから、昔から期待の目を向けられてるじゃない? だからアニソン戦争も……」

「何勝手に分析してるの。っていうか簡単に子役って言うのもやめてよね」

「……ご、ごめん」


 さっきまでのテンションとは大違いの冷え切った声色に、侑芽夏は思わず気圧される。真面目も負けず嫌いも、褒め言葉として発言したつもりだった。

 でも、水琴にとっては違ったらしい。


「いや、あたしこそごめん。ちょっと真面目って言葉が苦手でさ。ほら、声優って真面目だけではやっていけない職業じゃない?」

「それは……確かにそうだね」


 意外とすんなり謝ってきた水琴の言葉に、侑芽夏は納得したように頷く。

 声の仕事には正解がなくて、真面目に考えすぎているとどツボにはまることがある。アニメのアフレコだって、歌のレコーディングだって、そこに気持ちがなければ伝わるものも伝わらない。


 水琴はまだ高校二年生なのに、そこまで考えているんだ。

 ――なんてことはもちろん本人には言えなかった。やっぱり水琴は真面目で負けず嫌いだと思ったことは、侑芽夏の心の中に留めておけば良い。

 君嶋水琴という声優は、自分の相方でありながらどこまでも眩しい人だ。


「じゃ、次のリリイベもよろしくー。……あ、それより先に月影さんのライブで会うか」

「……うん」

「いやだからごめんて。別に怒ってないから」

「わかってるよ。……ありがとう、キミ」


 言いながら、侑芽夏は水琴の頭に手を置く。

 すると水琴は露骨に嫌そうな表情になった。


「それ、今度宗太にやったら許さないから」

「キミになら良いんだ?」

「……知らないっ」


 水琴は勢い良く頭を振り、侑芽夏の手から逃れる。

 そのまま侑芽夏から離れて私服に着替え始める水琴に、侑芽夏はついつい優しい視線を向けてしまうのであった。



 Lazuriteを結成してから一年ちょっと。

 仕事では真面目で、プライベートではだらしなくて、弟大好きなブラコンで……。そんな水琴の印象は、今日でまた少し変わったような気がした。


 ――月影アイリのステージを目の当たりにすれば、水琴の中にも気持ちの変化が訪れるかも知れない。


 単なる淡い期待なのだろうと思う。

 でも、招待された月影アイリのライブに行けば否が応でも心が燃え上がると思うのだ。水琴はアニソン戦争に興味がないのかも知れない。異世界ものが好きな印象もないし、『娯楽運びのニンゲンさん』も凄く刺さっている訳ではないのかも知れない。


 それでも。

 きっと水琴の心は変わるはずだと、侑芽夏は信じていた。

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