第二章 私がいるから

2-1 リリースイベント・お渡し会編

 五月の頭。

 アニソン戦争の楽曲作りは着々と進んでいき、仮歌入りの音源が侑芽夏達の元へ届いた。始めの打ち合わせで決めた通り、楽曲プロデュースはデビュー曲を担当した昼岡しおり。曲名は『peaceピース signサイン TREASUREトレジャー‼』で、キラキラと眩しく楽しさに溢れた楽曲だった。

 侑芽夏も聴いた瞬間に「これだ!」と思い、すぐさま水琴に連絡した――のだが。


「あぁ、良いんじゃない? 負けたらお蔵入りになるのがもったいないくらいだよ」


 などという言葉をさらりと放たれてしまった。

 わざとなのではないか、と思うくらいのマイナス思考っぷり。

 もしかしたら、水琴の態度は侑芽夏のやる気ゲージをカンストさせるためのものなのかも知れない。

 なんて、無理矢理ポジティブに考えることしかできなかった。


 ミニアルバムも発売され、今日はリリースイベントの日。

 今回のリリイベはトークショー&お渡し会だ。

 ファンに手渡すのはミニアルバムとは別デザインの差し替えジャケットで、侑芽夏ソロバージョンと水琴ソロバージョンの二種類がある。イベントに当選したのは約二百人だが、更なる当たりとして一部のジャケットにサインを書くことになっている――というのが水琴の案で急遽決まった。


「ユメ。今日はリリイベなんだから、アニソン戦争のことばっかり考えてちゃ駄目だよ?」


 楽屋で黙々と作業をしていると、不意に水琴が話しかけてくる。

 ちょうど最後の一枚を書き終えたところだった侑芽夏は、顔を上げて水琴を見つめた。


「私だってそれはわかってるよ。でもさー……。キミにはもうちょっとアニソン戦争のことを考えて欲しいんだけどなぁ」


 思わずジト目になりながら、侑芽夏は大きな独り言のように本音を漏らす。


「ん? 何か言った?」

「いや完全に聞こえてるでしょうが。……まぁ良いけど」


 嘘臭い声色で聞き返してくる水琴に、小さなため息が零れる。

 まだサインを書いている途中なら上の空でも納得だが、水琴もサインを書き終えてスマートフォンを弄っている。侑芽夏の眉間にしわが寄ってしまうのも仕方のない話だ。


「今日はミニアルバムのリリイベだけど、絶対アニソン戦争の話題にもなると思うよ」

「ああ、それは大丈夫。ちゃんとアイドル声優の君嶋水琴になって、完璧な対応をしてみせるから」

「……言い方が何か……なぁ」


 何故かドヤ顔を浮かべる水琴に、侑芽夏の眉間のしわが更に深くなっていく。

 確かにアイドル声優としての彼女は完全無欠だ。

 子役から活躍している彼女は、昔から大人に囲まれていたらしい。こんなことを言っては怒られるかも知れないが、つまりは猫を被るのが得意なのだ。家ではだらしなくてブラコン丸出しの彼女はいったいどこに行ったのかと思うくらいに、誰に対しても明るい水琴がそこにはいる。


「あ、はーい。……ほら、行くよ。ユメ」


 スタッフに呼ばれ、水琴は返事をしてから手を差し伸べてきた。

 年下なのに。背も小さいのに。仕事モードに入った途端に頼もしくなって、輝いて見える。


 だからこそもやもやするんだけどな、と侑芽夏は思った。



 ***



 ミニアルバムの表題曲は「宝石ほうせきgirlガール」と言って、アルバムのタイトルにもなっている楽曲だ。

 元々、Lazuriteの由来は宝石のラズライトからきている。ネガティブを吹き飛ばし、勝利へ導く歌声を届けたい。そんな想いが込められているからこそ、Lazuriteにとって『宝石』は大事な存在なのだ。


 今日のイベントでは、ラズライトをイメージした瑠璃色のドレスに身を包んでいる。これはジャケット写真やミュージックビデオでも着用しているドレスで、二人がステージに現れた途端にファンの歓声が上がった。


 歓声と、拍手と、笑顔と。

 見慣れた人も初めましての人も関係なく、皆が皆同じような表情をしている。


 その瞬間、侑芽夏の中にあったもやもやは一気に消え去った。

 確かに水琴の言う通りだ。アニメタイアップを手に入れようが、逃そうが、ファンの人がファンであることには変わりないのだ。

 ミニアルバムを発売したという事実もLazuriteにとっては大きな一歩で、この瞬間をファンの皆と楽しまなくてはいけない。

 そんなことも忘れていたのか、と侑芽夏は心の中で苦笑するのであった。


 カエデミュージックの広報による司会のもと、まずはトークコーナーが始まった。一曲ごとの振り返りから、レコーディングやミュージックビデオでの裏話。「宝石girl」にちなんだ宝石当てゲームなどのバラエティーコーナーがあったり、事前に書いてもらったアンケート用紙の質問に答えたり……。


 一時間ほどのトークコーナーが終わると、徐々にファンの皆の表情が固くなっていくのがわかった。

 これから一対一で会話ができるお渡し会が始まるのだ。緊張する人は滅茶苦茶するだろうと、侑芽夏は優しく微笑んでみせる。

 侑芽夏も昔アイリのお渡し会に参加したことがあり、緊張と嬉しさのあまり泣いてしまった経験があるのだ。


 机や差し替えジャケットなどのセッティングが終わると、ついにお渡し会がスタートした。今回は先に水琴、次に侑芽夏という順番で手渡すことになっている。

 ちなみに、お渡し会では一時的に荷物を預ける必要がある。出番直前になったらスタッフに預け、終わったら受け取るというシステムだ。しかし、緊張と興奮が混ざりに混ざって荷物を受け取るのを忘れて帰ろうとしてしまう――という人がたまにする。と言うか、昔の侑芽夏がそうだった。


「ありがとうね~。……あっ、荷物忘れてるよ! ふふっ、またね~」


 昔の恥ずかしさを思い出しながら、侑芽夏は差し替えジャケットを受け取ったファン一人一人に手を振る。これもまたアイリの影響で、お渡しが終わったあともギリギリまで手を振って見送ってくれたのが嬉しくて、真似しているのだ。


「こんにちは~。……あれ? もしかしてあなたは……みそおでんくん?」


 リリースイベントの参加してくれるファンの中には、顔と名前が一致する人も出てくる。何回もイベントに参加してくれる人だったり、SNSにいつもコメントをくれる人だったり、ファンレターをよく送ってくれる人だったり。

 理由は様々だが、どちらにせよ熱心なファンであることには変わりない。ペンネームを言った瞬間に笑顔が輝き、侑芽夏は内心嬉しくなった。


「あっ、そうです! 覚えていてくれたんですね」

「もちろんだよ。今日も名古屋から来てくれたのかな?」

「はい! ミニアルバム、本当にどの曲も最高で……! それを伝えたくて来ましたっ」

「わぁ~、嬉しい! ありがとうねぇ」


 侑芽夏より年上に見える彼は、まるで少年のような笑みを浮かべていた。

 しかし一人一人の時間はあっという間なもので、スタッフに肩を叩かれてしまう。「あっ、これからも応援してます!」と言いながら去っていく彼に手を振りながら、侑芽夏は笑顔を振りまく。

 お渡し会に集中しているうちは、隣の水琴を気にすることはできない。

 でもなんとなく会話が弾んでいるのはわかって、自分も負けられないなと思う侑芽夏だった。


 その後も順調にお渡し会は進んでいく。


「アニソン戦争、応援してます!」


 だったり、


「俺、『娯楽運びのニンゲンさん』の原作ファンなんです!」


 だったり、


「原作漫画、全巻買って読みました! 凄く面白くて、Lazuriteがオープニングを歌うかも知れないと思うと楽しみです……!」


 だったり。

 侑芽夏の想像以上にアニソン戦争の話題は多かった。

 アニソン戦争に選ばれたこと自体を喜んでくれる人。アニメタイアップを勝ち取って欲しいとエールを送ってくれる人。元々『娯楽運びのニンゲンさん』が好きな人。Lazuriteがアニソン戦争に選ばれたことをきっかけに原作ファンになってくれた人。


 そして、


「私……実は『ユメバヤシ』だった頃からユメちゃんのことを応援していたんです! だから、凄く嬉しくて……!」


 ユメバヤシ。

 それは、侑芽夏がアニソンのオーディションに挑み続けていた時の名前だ。

 テレビで放送されるオーディションもいくつかあったため、ユメバヤシ時代から侑芽夏のことを知ってくれている人もいる。

 その人達にとって、アニソン戦争はより一層特別なものに感じてくれていることだろう。


 様々な人と触れ合って、侑芽夏の心はじんわりと温かくなっていく。

 生放送の時に溢れていた「月影アイリには勝てない」というネガティブな発言は、誰一人としていなかった。もしかしたら、心のどこかでは思っているのかも知れない。


 でも、緊張しながらも一生懸命伝えてくれるファンの皆を見ていたら、そんなマイナスな気持ちはどこか遠くへ消えていく気分だった。

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