1-6 二人の強敵

 思わず息が止まりそうになって、生放送中だというのに上手く反応することができない。言ってしまえば、水琴がアニソン戦争にやる気がないと知った時くらいの衝撃だった。

 だって、侑芽夏は元々アイリのファンなのだ。それに、同じレーベルの先輩でもある。近いようで遠くて、いつまでも眩しい存在。


 そんな彼女が、侑芽夏達の対戦相手なのだという。


「ねぇ、ユメ」

「……あ、ごめん。このままじゃ放送事故になっちゃうよね」

「いや、そうじゃなくて。……見て」


 冷静な水琴の言葉に、侑芽夏の心は少しだけ落ち着きを取り戻す。

 ……と思ったら、そうでもなかった。水琴の指差す先を見るや否や、再び鼓動が騒ぎ出す。


「えっ?」


 コメント欄は、すでに「月影アイリ」「アイリン」「月影さん」の文字に溢れていた。

 まだ侑芽夏の口から伝えていないのに、これはいったいどういうことなのか。

 じっと一つ一つのコメントを見つめていると、「娯楽運びのニンゲンさん」の公式ホームページにフライングして情報が公開されてしまったことがわかった。


「ちょっと公式さん! 本当の本当に放送事故になっちゃいましたよ……!」


 ついついスタッフルームに目を向けると、思った以上にバタついていた。

 マネージャーの茜とも目が合い、普段は冷静な彼女も流石に苦笑を浮かべている。


「ユメの反応からして、相手は月影さんで間違いないんだ?」

「あっ、そう! そうなんです。対戦相手はレーベルメイトの月影アイリさんでした!」


 水琴の言葉に、侑芽夏は慌てながら紙を広げて発表をする。

 アニソン戦争の発表という大事な時なのに、こんなにもグタグタになってしまった。どうしたって苦い笑みを抑えられず、侑芽夏は誤魔化すように水琴に視線を移す。


「いやぁ、ビックリだよね。まさか相手が月影さんだなんて」

「うん。まぁ、普通に考えてあたし達に勝てる訳がな……ふぎいぃっ」


 水琴のネガティブ発言を察知した侑芽夏は、透かさず脇腹攻撃を放つ。Lazuriteの生放送も長いが、二人はそんなにスキンシップを取らないタイプだ。


「ユメってそういうタイプじゃなかったよねっ?」


 水琴からは当然のように突っ込みを入れられてしまい、コメント欄も「やっぱりテンションがおかしい」と笑われる。


「てゆーかコメント見てみなよ。皆同じ意見だよ?」

「……わかってるよ」


 ほんのちょっとだけ、自分の声が低くなる。

 放送事故も相まってコメント欄はいつにも増して盛り上がっていた。侑芽夏に対する「落ち着いて」という声がほとんどだったが、徐々に別の言葉が目立っていくのは侑芽夏にも理解できてしまう。


 対戦相手が手強すぎる。Lazuriteも好きだけど、月影アイリには勝てない。


 突きつけられる現実にも負けず何とか耐えていたが、「これって負け戦なんじゃ」というコメントには、思わず光の速さで目を逸らしてしまった。


「と、とにかく、ネガティブ発言は禁止だから。わかった?」

「このアニソン戦争ガチ勢がぁ……」


 視線を逸らしたついでに水琴を睨んでから、侑芽夏はようやく台本通りの進行へと戻す。



 アニソン戦争は、今から約二ヶ月後の六月末に行われる。

 五月発売予定の原作十一巻に観覧応募券が封入されていて、チケットの枚数制限は一枚。これはどのアニソン戦争にも言えることだが、友達と一緒に参加してしまうと自分の意見がブレてしまう可能性があるということ。また、純粋に原作ファンの投票を大切にしたいということから一枚のみの受け付けになっている。


「私達を応援したいっていう人もいるかも知れません。でもこれはあくまで作品のための戦いです。元々原作が好きな方、またはこれから好きになってくれる方。良かったら、アニソン戦争に参加して、大事な一票を入れてくださると嬉しいです」


 台本に戻ると少し心が落ち着いたのか、侑芽夏はまっすぐカメラを見ながら言い放つ。

 ファンにとっては、もちろんLazuriteがタイアップを勝ち取って欲しいと思うことだろう。でも、だからと言って「Lazuriteに投票してください」と言える訳ではないのだ。それではアニソン戦争である意味がなくなってしまう。


 原作者や原作ファン、アニメ制作会社が納得できる曲を選ぶこと。

 それがアニソン戦争だ。


「確かに相手は手強いです。でも、私達も全力で頑張ります」


 言いながら、ちらりと水琴を見る。

 流石の水琴も、「いや、あたしは全力じゃないけど」などという空気の読めない発言はしないようだ。

 内心ほっとしつつ、エンディングトークへと向かっていく。

 ミニアルバムやリリースイベント情報、そしてアニソン戦争についてのおさらいをしてから、その日の「キミユメ放送局!」は幕を閉じた。



 ***



 ――どうしよう。


 スタジオを出てまっすぐ自宅へ向かうと、侑芽夏は即座に自室のベッドへと倒れ込んだ。

 生放送ではバタバタとしていたからまだ良かった。でも、一人になった今ならはっきりと言えてしまう。


 月影アイリに勝てる訳がない、と。


 さっきまでは、あんなにも水琴のネガティブ発言を阻止していたのに。

 やる気がない水琴とは別の感情ではあるが、「無理なんじゃ」というマイナスな気持ちが襲いかかって仕方がない。


「……こんな気持ちじゃ、いけないよ」


 自分に言い聞かせるようにして零した声も、どこか震えを帯びている。

 これはただの言い訳かも知れない。

 でも、まさかアイリが対戦相手になるとは夢にも思っていなかったのだ。アニソン戦争はレーベル関係なしに行われる戦いで、むしろレーベルメイトでのアニソン戦争の方が珍しいくらいだ。

 それに――同期ならともかく、Lazuriteと月影アイリでは明らかに実績が違いすぎる。アイリは中学生の頃から、動画投稿サイトにアニソンを歌ったものやオリジナルソングを投稿していた。じわじわと人気が出て、高校一年生の頃にアニソンデビュー。幼い頃からピアノを習っていて、作詞作曲の能力にも長けている。

 きっと、今回のアニソン戦争もセルフプロデュースの曲で挑むのだろうと思う。


「…………はぁ」


 思わず、ため息が漏れた。

 ただでさえ、月影アイリは人気と実力を兼ね備えたアーティストだ。

 なのに。


「何で……敵が二人もいるんだろう」


 君嶋水琴。

 本来ならば二人で力を合わせてアイリに立ち向かわなくてはならないはずの、侑芽夏の相方。


「はあぁ」


 再び大袈裟なため息を吐く。

 自分の前に立ちはだかる二つの大きな壁に、侑芽夏はただただ頭を抱えることしかできなかった。

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