1-2 キミとの温度差

「あっ、ユメ。来たんだ。おはよー」


 片付けている、と聞いたはずなのにワンピースタイプのマリンセーラー服のままベッドに突っ伏していた水琴は、ゆっくりと顔を上げて侑芽夏を見つめる。


「来たんだ、って。連絡したんだけど?」

「あー……そうだったような気もする。片付けしてたら飽きちゃって寝てた」

「なんだそりゃ」


 大きなあくびとともに呟く水琴に、侑芽夏は肩をすくめて呆れてみせる。

 アニソン戦争が決まったというのに、いつも通りのマイペース感に溢れているのは何故なのか。少し考えて、侑芽夏は思った。

 もしかしたら水琴は、まだ聞いてないのかも知れないな、と。


「ねぇ、キミ。ちょっと聞きたいことが……」

「あ、ちょっと待って」


 意を決して訊ねようとすると、どういう訳か水琴に止められる。

 ちなみに、「キミ」というのは君嶋水琴のあだ名だ。侑芽夏は「ユメ」で、確かLazuriteを結成した日に仲良くなるための第一歩として決めた覚えがある。今ではファンだけではなく声優仲間からも呼ばれる名前になった。


「今、君嶋水琴になるから」


 言いながら、水琴はこれまた綺麗とは言い難いドレッサーの前に立ち、肩辺りまで伸びた浅葱色のセミロングの髪を結び始める。

 黒いリボンでハーフツインテールにした水琴は、こちらを見つめてドヤ顔を決め込んだ。


「いや、そんな顔されましても。君嶋水琴が芸名だって言うならともかく、ただの本名だし。どういう髪型だろうがキミはキミだし」

「そんなこと言ったらユメだって本名じゃん」

「それはまぁ、そうだけど」


 っていうか、なんの話してたんだっけ? と侑芽夏は心の中で渋い顔になる。気のせいか、水琴はいつにも増してマイペースに見えた。

 無理矢理にでも話を進めなくては、と侑芽夏は口を動かす。


「それでね、キミ……」

「あっ、そうだユメ。さっき宗太と仲良さそうに話してたねぇ?」


 再び言葉を被せてくる水琴に、軽くむっとする侑芽夏。

 しかし、その気持ちが顔に出る前に、水琴の表情がギラギラと輝き出した。


「……あー…………っていうか、聞こえてたんかい」


 思い切り視線を逸らしつつも、侑芽夏は冷静に突っ込みを入れる。

 水琴は極度のブラコンなのだ。身体の弱い宗太のことをいつも気にかけていて、宗太の笑顔のためなら何でもしたい――と、当たり前のように思っているらしい。


「さっき頭撫でてたでしょ」

「……なっ、なんでバレてるのかなぁ。ひっそり覗いてたりしたのかなぁ、なんて」

「覗いてない。空気でわかる」

「空気で……っ? っていうかさっきまで寝てたはずだよね?」


 思わず、何なのこの子、みたいな視線を向けてしまう侑芽夏。

 しかし水琴の辺りを漂う闇のオーラは一向に消えそうになかった。どうやら、水琴のブラコンモードはそう簡単に消えることはないらしい。


「……ところでキミ。あの話……聞いてる?」


 だからもう、単刀直入に聞くしかないと思った。

 少しだけ禍々しいオーラが薄れたのを確認すると、侑芽夏は迷いなく言い放つ。


「私達、アニソン戦争に選ばれたんだよ」


 察するに、水琴は何も知らないのだろうと思った。

 いつも通り能天気で、ブラコンモードが炸裂している……なんて。アニソン戦争に出場するのだと知っていたらありえない話だ。


 水琴は子役から活動していて、中学生でデビューした声優としても実力があると言われていた。でも、評価されているのは何も演技力だけではなくて、歌唱力もなのだ。水琴は幼い頃から女性アイドルが好きらしい。Lazuriteとしてデビューした時だって、歌手にも憧れていたのだと泣いて喜んでいた。


 いつかアニメソングを担当できるようになったら良いね、と。

 二人で語り合ったこともあった――。


 はず、なのに。


「あぁ、その話ね」


 水琴はまるで、何でもないことのように呟いた。

 意味がわからなくて、頭が上手く動いてくれなくて、侑芽夏は固まってしまう。


(…………あれ?)


 やっとの思いで頭に浮かんだのは、そんな間抜けな声だった。

 何でそんなにも涼しい顔をしているのだろう。マネージャーの茜とは真逆と言って良いほど、喜怒哀楽が激しい性格のはずなのに。むしろ、さっきよりも落ち着いてしまっている水琴がそこにはいた。

 侑芽夏はただ、引きつった笑顔を浮かべることしかできない。


「いや。いやいや。……いやいやいや」


 自分は大学一年生で、水琴は高校二年生。

 確かに、お互いに高校生だった頃に比べたら、何となくの距離感を覚えてしまう。でも、普通に仲は良いと思っていた。


 仕事中はしっかり者なのに、水琴はプライベートだといつもこんな感じだ。今ではすっかり見慣れているはずなのに、侑芽夏の額には冷や汗が流れていた。


「アニソン戦争だよ? そりゃあ確かに、オファーとは違うからアニソンが歌えるって決まった訳じゃない。でも、こんなチャンス滅多にないんだよ。凄いこと、なんだよ」


 徐々に、声が弱々しく震えていく。

 水琴の冷静な視線が、「何必死になってるの?」という凍てついたものに感じて仕方がない。まるでこっちがおかしな態度を取っているみたいに、水琴は小さく首を傾げた。


「……まぁ、そんなに肩に力入れなくてもさ。それなりに頑張れば良いんじゃない?」


 ――嘘でしょ。


 という言葉すら、咄嗟に出てこなかった。

 自分と、目の前にいる相方との温度差があまりにも違いすぎる。

 その事実が徐々に心を埋めていき、やっとの思いで理解した瞬間に「ぅあ」という声にならない声を漏らしていた。


「どしたの。変な声出して」

「……いや、だからさ」


 現実から逃げるように俯いてから、侑芽夏は水琴を見つめる。


「冗談、だよね?」

「何が?」

「…………」


 至って真面目な水琴の表情に、侑芽夏はもう愛想笑いすら浮かべられなくなっていた。つまりはそういうことなのだと、鼓動が波打つ。


 アニソン戦争の敵は、対戦相手以外にももう一人だけ存在していた。



 君嶋水琴。

 想像以上にやる気のない、Lazuriteの相方だった――。

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