第一章 手強い二人

1-1 憧れのアニソン戦争

 声優活動とアーティスト活動。

 どちらも全力な侑芽夏にとって、「オーディション」は切っても切れない存在だった。

 声優としてはもちろん、アニメーションのオーディションがある。侑芽夏もいくつかの役を掴んでいるが、落ちることの方が多い。その度に挫けそうになるが、なんとか前に進めている。


 そしてもう一つはアーティスト活動だ。

 Lazuriteとしてデビューして一年、今までノンタイアップばかりでアニメソングを担当したことがない。いつかはオファーが来るかも知れないとそわそわする日々だったが、未だにその話は来なかった。

 しかし、何もオファーだけがアニメタイアップのきっかけになる訳じゃないのだ。


 アニメタイアップ争奪戦。――通称、アニソン戦争。


 その名の通り、アニメタイアップを賭けて、ステージでアーティスト同士が曲を披露するというものだ。アニメ制作陣や原作者、観客の投票で勝敗が決まり、勝った曲がそのアニメのテーマソングとして採用される。


「私達、アニソン戦争に選ばれたんだ……」


 喫茶店を出て茜と別れてから、侑芽夏はぼそりと呟く。

 ずっと、アニメソングを歌いたいと思っていた。

 ユニットとしてアーティストデビューをして、いつかはその日が来ることを夢見ていたのだ。いや、実際にはまだ夢を叶えた訳ではない。アニソン戦争で勝利しなければアニメタイアップを手にすることはできないのだから。

 でも、そのアニソン戦争に選ばれることすら、オファーと同じくらいにハードルが高いものだと思っている。


「……ふふ」


 思わず顔が緩み、侑芽夏は慌てて口元を手で隠す。

 声優デビューした時も、ユニットデビューした時も、それはそれは嬉しいものだった。しかし、今の高鳴りは少し種類の違うものだ。


 また一つ夢を叶えるために、頑張らなくてはいけない。

 静かに燃え盛る心が、侑芽夏にとっては心地良くて仕方のないものだった。


(『娯楽ごらくはこびのニンゲンさん』、だっけ)


 茜と別れたあと、侑芽夏はまっすぐアニメショップに向かっていた。


 ――『娯楽運びのニンゲンさん』。


 それが、Lazuriteがアニソン戦争に挑む原作漫画のタイトルだった。

 漫画レーベルは週刊トリップファンタジーで、作者はきょうケン先生。読んではいない作品だったが、名前くらいは知っているくらいに異世界ものの中では有名な作品だった。


(全部で十巻か…………うん、大丈夫。買おうっ)


 財布の中を確認してから、侑芽夏は原作漫画をカゴに入れ、レジへ持っていく。今までにも、オーディションで合格した作品の原作漫画やライトノベルを大人買いすることはあった。

 しかし、それは合格した場合の話だ。役を勝ち取る前の段階では、資料に目を通すだけだったり、原作を購入しても一巻だけだったりする。


 自分が本当にその作品の主題歌を歌えるとは限らない。


 なのに、侑芽夏は迷わず原作を大人買いしてしまった。

 ずっしりと重たい買い物袋を手にアニメショップを出てから、侑芽夏は少しだけ冷静な気持ちに包まれる。


(これで負けたら、悔しい……どころじゃ済まされないんだろうな)


 心の中で呟いて、侑芽夏は苦笑を浮かべる。

 しかし、それはほんの一瞬の出来事だった。

 こんなにも大きなチャンスが目の前に現れたのだ。きっと、ここで手を抜いたら一生後悔するだろう。それに、アニソン戦争に選ばれたのだという事実だけでやっぱりニヤニヤが止まらない侑芽夏だった。



 ***



 早く帰って、『娯楽運びのニンゲンさん』がどんな作品なのかを知らなくては。

 そう思いながら慌てて自宅に帰ったのだが、侑芽夏はすぐに家を飛び出していた。もちろん、漫画を読みたい衝動にも駆られている。

 しかし、気になるのは漫画の内容だけではないのだ。


 Lazuriteの相方、君嶋水琴。


 彼女はもうアニソン戦争の話を聞いているのだろうか。

 水琴から連絡がくることはなく、自分からSNSで聞いてみようかとも思った。でも、こんなにも重要なことをSNSでちゃちゃっと済ませたくはない。


 だったら直接話すしかないと、侑芽夏は水琴に連絡を入れた。

 すると家にいるとのことだったので、途中でお祝い的な意味も込めてケーキを買いつつ水琴の家へと訪れた、ということだ。


「あっ、侑芽夏さん。こんにちは!」


 呼び鈴を鳴らすと、出迎えてくれたのは水琴――ではなく、弟の宗太そうただった。


「こんにちは。元気そうだね、小学生」

「……もう。僕、この春から中学生になったんだってば」

「あ、そうだった。ごめんごめん、宗太くん。許して?」

「んー、しょうがないなぁ……。でも、侑芽夏さんだって大学生になったところなのになー」


 呟きながら、宗太は不服そうにジト目を向けてくる。

 中学生になったばかりの宗太は、侑芽夏よりも少し背が低い。

 浅葱あさぎ色の髪を一本結びにしていて、大きな胡桃色の瞳が特徴的だ。年相応に可愛らしい顔付きをしていて、ついつい頭の上に手を伸ばしてしまうのが侑芽夏の癖だった。


「中学生なんだから、そういうのはもう……ね?」


 ジト目が徐々に困った表情へと変わっていき、やがて宗太はコテンと首を傾げる。


(可愛いなぁ、もう)


 声に出さないように必死になりながらも、堪えられないニヤニヤ顔を浮かべる侑芽夏。

 兄弟がいない侑芽夏にとって、ここ一年くらいの付き合いになる宗太は可愛すぎてたまらない存在だった。それを言ったら宗太がますます不貞腐れてしまうのはわかっているし、誰かさんの怒りを買ってしまうこともわかっている。

 侑芽夏は「はいはい」と言いながらも、名残惜しさいっぱいに手を離した。


「それで、お姉ちゃんは部屋にいる感じなのかな?」

「うん、いるよ。侑芽夏さんが来るから部屋を片付けてるって」

「あぁ、なるほどね」


 一瞬だけ、侑芽夏は遠い目をする。

 人が来るから部屋を片付ける。それだけ聞くと綺麗好きなのかな? と思うかも知れない。しかし、決してそんなことはなく……むしろ、真逆なのだ。


「うわぁ……」


 ノックをしてから水琴の部屋に入ると、侑芽夏の口から遠慮のない声が漏れる。

 元々はピンクを基調としたキュートな部屋だったのだろう。

 しかし、物に溢れすぎているせいか、可愛らしい印象は一気に薄れている。二次元キャラクターも三次元アイドルもごちゃ混ぜになって飾られた、女の子のポスターやタペストリー。棚に入りきらなくなったCDやブルーレイ、ゲームソフトの山。そして何より、ベッドや勉強机の上に散らばった洋服やアクセサリーの数々。


 その部屋は、今をときめく高校生アイドル声優とは思えないほどに散らかっていた。

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