キミと駆けるアニソン戦争
傘木咲華
プロローグ
プロローグ
それは、桜も散り始めた四月中旬のこと。
大学には少しずつ慣れ始めたが、この緊張感ばかりは何にも勝てないな、と彼女は思う。ある意味オーディション以上だ――というのは、流石に大袈裟だろうか。
しかし、眼鏡越しに見える鋭い瞳を見つめていると、自然と背筋が伸びてしまうものだ。
「
「いえ、大丈夫ですよ。……それで、今日は何の要件なんでしょうか」
伸びた背筋のまま、彼女――古林
亜麻色の腰まで伸びたゆるふわロングヘアーに、きっちり切り揃えられた姫カット。瞳は大きめのたれ目で、どこか優しい印象がある。
そんな彼女は、この春に大学生になったばかりだ。しかし、ただの大学生という訳ではない。侑芽夏にはもう一つの姿がある。
「もしかして、オーディション……落ちましたか」
思わず目を伏せながら、侑芽夏はぼそりと呟く。
オーディション。
つまりは、アニメーションの声優オーディションのことだ。
侑芽夏は今から二年前、高校二年生の頃に声優デビューを果たしている。公開オーディションで優勝したことがきっかけだったが、一度デビューしたからと言って「オーディション」という言葉から逃れられる訳ではない。
この二年の間にも、たくさんの役を逃してきたのだ。
だから、今だって覚悟をしていたはずだった。
「その話ではありません。結果はまだ出ていないので」
「あっ、そうなんですね。良かったぁ……っていうのも、変な話ですけど」
向かいに座る女性、マネージャーの
(でも……だったらどうして、三鴨さんはスーツなんだろう)
しかし、侑芽夏の中にある疑念はまだ晴れてはいない。
茜が侑芽夏を呼び出す時は、毎回決まって同じ喫茶店だ。
老夫婦が営んでいるこぢんまりとした喫茶店で、侑芽夏もすっかり常連として顔を覚えられている。何も言わずとも侑芽夏が好きなホットココアが出てくるレベルだ。侑芽夏としてもほっとできる場所で、たまに声優仲間を連れてくることもある。
それくらい安心できる場所だというのに、侑芽夏の緊張感はちっとも晴れてはくれなかった。理由ははっきりとわかっている。茜がスーツ姿で現れる時は、だいたい真面目な話がある時なのだ。もちろん、大きな役を掴んだ時など嬉しい報告の時もある。でも、侑芽夏が原作漫画からファンだった作品のオーディションに落ちた時や、ドラマCDで演じたキャラクターがアニメ化で別の声優が担当することになった……など、辛い報告もたくさんあった。
侑芽夏のマネージャーである茜は、真面目を絵に描いたような人だ。
黒髪のボブカットに、つり上がった
だから、茜が真剣な眼差しを向けているのはいつものことなのだ。それはわかっているはずなのに、嫌な妄想がぐるぐる回って止まらない。
「……もしかして」
その嫌な妄想はやがて一つの可能性に辿り着き、ピタリと止まる。茜の表情にもまったく変化がなく、まるで侑芽夏の言葉を待っているかのようだ。
恐る恐る、侑芽夏は口を開く。
「
言葉にした途端に、心が震えた。
Lazuriteは侑芽夏が所属する声優ユニットだ。二人組のユニットで、相方は二歳年下の
今から一年前、『現役高校生による声優ユニット』としてデビューをした――のだが。
「私はもう高校生じゃないから、も……もう、需要がなくなった、とか……」
心の次は、声が震えてしまう。
侑芽夏は元々、声優とアニソンシンガー、両方に憧れていた。売れっ子とまでは言わないが、高校生のうちに声優デビューをしてそこそこ知名度はある。その時点で恵まれているのに、キャラクターソングが評価されてユニットとしてアーティストデビューを果たした。
歌うことが大好きで、いつかはアニメソングを歌うことを夢見ていて……。
「…………っ」
――あともう少しで、Lazuriteとしてその夢も叶えられると思ったのに。
気付けば、茜の顔を見られなくなってしまっていた。
「古林さん、落ち着いてください」
やがて、茜の冷静な声が聞こえてくる。
聞き慣れた涼やかな声色の中に、微かな温かさが紛れているような気がした。そっと顔を上げると、レンズ越しの葡萄色の瞳に吸い込まれていく。
「今日は良い報告ですから」
言いながら、茜はうっすらと笑みを浮かべてみせる。
侑芽夏はそこでようやく「はああぁ」と大きく息を吐き、肩の力を抜いた。少し冷めてしまったホットココアに口を付けてから、ジト目で茜を睨む。
「三鴨さん、意地悪ですよ。良い報告なら良い報告って、もっと早く言ってくれれば……」
「すみません。私も緊張していまして」
「……き、緊張、ですか?」
一度は落ち着いたはずの鼓動が再び騒ぎ出す。
良い報告ではあるが、いつも冷静な茜が緊張してしまうほどの出来事――とは、いったいどういうことなのか。否が応でも期待する気持ちが高まってしまい、侑芽夏はついつい瞬きが多めになってしまう。
「覚悟はできていますか?」
ブラックコーヒーを一口飲んでから、茜はこちらを見つめてくる。
侑芽夏がTVアニメのメインヒロイン役を勝ち取った時でさえも、ここまでもったいぶることはなかった。そして、茜はちゃんと侑芽夏がアニソン好きであることを理解している。
ということは、つまり――。
「Lazuriteがアニソン戦争に選ばれたんですよ」
やっとの思いで頷いた侑芽夏の耳に飛び込んできたのは、そんな言葉だった。
――アニソン戦争。
正式名称『アニメタイアップ争奪戦』。
それは、侑芽夏がずっと憧れていたステージだった。
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