第27話
リアムとイリッツァによって無理矢理に引きはがされ、両者が何とか冷静さを取り戻した後。
「おい」
バシッ
「!」
低い声と共に視界の端に飛んできたものを危なげなく受け止める。
見ると、それは二振りの木剣だった。
「……?」
「もともと、ツィーと約束していたんだろう。さっきからツィーがうずうずしている。準備が整ったら、木剣をもって構えろ」
不機嫌な態度を隠しもせず、尊大な視線で見下ろしながら言われて、リオはムッとした顔を露わにする。
「過保護な奴だな」
「ぁ゛あ゛??」
「さすがの俺も、十近くも年下の、生物学上の性別が女な奴を相手に、怪我をさせるような人間じゃない」
カルヴァンを相手にしたときの真剣を使うなと示され、心外だと言わんばかりに顔をしかめる。
イリッツァの自己認知している性別が何であれ、生物学上、筋力の性差は仕方がない。まして、二十五歳のリオに対して、イリッツァは今年十六になったばかりなのだ。
普通に考えれば、剣術を磨いた年数に埋められない明らかな差がある。
カルヴァンと剣を交えたときのように本気を出したりはしない――と言外に告げるリオに、カルヴァンは呆れて嘆息する。
「誰もツィーの心配なんかしてない」
「は……?」
「……まぁいい。手合わせの後には、木剣を薦めてくれてよかったと俺に感謝することになる」
まだ先ほどの手合わせの釈然としない気持ちがあるのか、素っ気なく告げた後、カルヴァンはくるりと踵を返してしまう。
カルヴァンの態度に不機嫌そうに眉根を寄せるリオに、そっとリアムが口を挟む。
「……えっと。大変烏滸がましいのですが――俺も、木剣の方が良いと思います」
「敬虔な騎士からすればそうだろうな。だが、何度も言うが、聖女相手に本気を出して怪我をさせたりは――」
「いえそうではなく――俺も、団長も、貴方を心配しているのですよ」
「……?」
やれやれ、と頭を振るリアムの言葉はよくわからない。
しかし、リオは深く追求することなく、剣を取って軽く素振りを繰り返した。
寸止めが基本の手合わせとはいえ、使い慣れた愛剣と違って、万が一手元が狂えば、うっかり相手に当ててしまうこともある。手合わせの前に、重さや握り具合に慣れておきたかった。
リオが素振りをしているのを視界の端で捉えながら、イリッツァは目の前の婚約者を前に憮然とした顔を晒す。
「なんで木剣なんだよ……俺、わざわざ訓練用の剣持ってきてるんだけど」
「悪いことは言わないから、こっちにしておけ」
「リオも、真剣でいいって言ってるんだろ?じゃあいいじゃん」
ぶーぶーと口の中で文句を垂れるイリッツァは、木剣での手合わせが気に食わないらしい。
聞き分けのない幼馴染に、カルヴァンははーっと大きくため息をついた。
「ツィー。……いいか。真剣っていうのは、触れれば斬れるんだぞ」
「当たり前だろ。何言ってんだお前」
「リオの剣術は、伊達じゃない。軍医とは思えない練度だ。それはお前も見ててわかっただろう」
「うん。だから早く
薄青の瞳をきらきらと輝かせるイリッツァは、さすが、かつて『戦うために生まれてきた』と周囲に称されたことがある生粋の剣術馬鹿だ。
カルヴァンは、やれやれと頭を振る。
「お前、真剣を使ったら、より夢中になるだろ」
「うん」
「今まで戦ったことがない双剣を使った手合わせ。俺と同等の実力者。ひりつく駆け引き。お前が熱中するのは火を見るより明らかだ」
「おう。だからこそ、真剣で本格的な手合わせを――」
「手合わせが白熱した結果――ついうっかり、アイツの首を刎ねないと、約束できるか?」
「ぅ゛っ……!」
痛いところを突かれて、イリッツァは小さなうめき声を上げた。
一年ほど前、カルヴァンを相手に寸止め必須の手合わせで、ついうっかり思い切り剣を振り抜いてしまったことを思い出したのだ。
「お前にちょっかいを掛けたと言う時点で、俺はあの男を腹立たしく思っているが――とはいえ、今のアイツは、ファムーラと王国の友好の懸け橋となるべくして派遣された貴重な人材であることに変わりはない」
「ぅ……ぅぅ……」
「いわば親善大使のようなものだ。殺すことは出来ないし、怪我をさせても問題だ。……わかるな?」
「ぅぅぅ……」
苦悶の声を漏らすイリッツァの顔が悩まし気なことは認めるが、だからと言って甘い判断をしてやることは出来ない。
正論で言いくるめるカルヴァンに、イリッツァはしぶしぶ差し出された訓練用の木剣を手に取った。
「わかった……木剣で戦う……」
「木剣だからって、振り抜くなよ。寸止めだぞ」
「わかってる……」
しょぼん、とした顔を晒すのは、剣士としての落胆なのだろう。
渋々ながらも納得したらしい幼馴染にほっと息をついて、ぽん、と背中を叩いて送り出す。
「俺からの助言は以上だ。楽しんで来い」
「はぁい……」
ちょうど素振りが終わったらしいリオと、向き合う形で構えながら、イリッツァはすぅっと深呼吸をして気持ちを切り替える。
「僭越ながら、また審判を務めさせていただきます。両者、審判がやめ、と声をかけたら絶対にやめてくださいね」
「はい……」
「承知した」
念を押すようなリアムの言葉に、二人とも頷き、剣を構える。
(……なんだ……?)
軽く、日ごろの運動不足な聖女様が趣味で身体を動かすのに付き合ってやる――という心持ちでいたリオは、目の前で小柄な少女がぴたり、と剣を構えた瞬間、微かに眉を顰める。
明鏡止水という言葉がぴったりと当てはまるほど、静かに剣を構える少女を見て――ぞくり、と背筋が軽く寒くなった。
(隙が――無い――?)
切っ先を微塵も揺らすことなく、正眼の構えを取る少女は、先ほどのカルヴァンのような不機嫌や怒りといった感情とは無縁の、凪いだ雰囲気を纏っているはずなのに、天下の王国騎士団長と相対したときよりもじっとりと手に汗が滲むのが分かった。
ごくり……と我知らず唾を飲み込み、ぐっと剣を強く握り直す。
「ルールは先ほどと同じ、寸止め一本勝負。魔法の使用に制限はなし。それでは――はじめっ!」
リアムの掛け声とともに右手が振り下ろされる。
ドウッ――!
「ッ――!!?」
瞬きをした一瞬――目の前に銀髪の少女が迫っていて、心臓が飛び出るほどの驚愕を覚える。
「くっ――!」
咄嗟に地を蹴り距離を取ろうと飛び退るが、一切の感情をそぎ落とした小柄な少女は、決してそれを許すことなく畳みかけるようにして追い縋ってきた。
(なんっ――だと――!?本当に、女か――!!!?)
一瞬、光魔法で身体能力を向上したのかと疑い掛けるが、魔力の波動があればさすがにすぐに気が付く。
これがイリッツァの単純な踏み込みの鋭さであると悟り、背筋が一気に寒くなった。
(こちらの呼吸と間合いに合わせて踏み込んで――くそっ!)
瞬きの瞬間、呼吸の瞬間。
そうした、生きている以上必ず生じる隙とも言えぬ隙をついて、緩急をつけて一足飛びに距離を詰めてくるせいで、本来の速度の何倍も速く体感するだけだと脳裏では冷静な自分が囁くが、本能的な恐怖が肝を冷やす。
仮に、そうしたカラクリがあったとしても――そんなことを当たり前のようにやってのける人間は、人間とは言わない。”化け物”だ。
「チッ――クソがっ!」
カルヴァンの力の乗った”剛”の剣に対して、イリッツァの本能的な恐怖を呼び起こす”柔”の剣に、リオは必死に斬撃を繰り出す。
相手を女だと侮る気持ちなど、一瞬で銀河の彼方に吹き飛んだ。
今、リオを突き動かす衝動はただ一つ――
――殺らなければ、殺られる。
「ふ――!」
左右からの雨のような目にも留まらぬ高速の連撃を前に、イリッツァは呼気を鋭く吐いて木剣を振った。
ガガガッと耳障りな鈍い音が響いた後、最後の一撃を少女の細い腕が事も無げに振り祓う。
連撃をしのぎ切った少女の薄青の瞳は、爛々と輝いていた。
「ハァッ――!」
「っ――!」
少女の薄い唇から放たれた気合と共に襲い来た二連撃を、リオは左右の剣で何とか捌き切る。
その斬撃の鋭さに、つぅ――っと一拍遅れて背筋を氷が滑り落ちるかのような錯覚を覚えた。
(お手本――どころの話じゃない――!化け物か、こいつ――!)
剣術は、どこまで言っても命を屠るための技術だ。長い歴史の中で磨かれ続けてきた技術は、いうなればどれだけ効率よく敵の命を奪うかに特化している。
つまり、斬撃の”手本”は、命を取るためだけに先人たちによって磨き抜かれた最善の軌跡だ。
剣を習う人間は、それを覚え、どんなときもその先人の英知が詰まった軌跡を繰り出せるよう、鍛錬を繰り返す。
どんな場面、どんな相手でも、その”手本”に忠実な軌跡を繰り出せれば、それが敵の命を取るための最善の一手なのだ。
(それは――理想論、だがっ――!)
当然、命のやり取りにおいては、手本どおりになどいくわけがない。
道場で、虚空に向かって心身を落ち着かせて型を練習しているわけではないのだ。
敵がいる。足場がある。天候がある。疲労もあるし、命のやり取りの最中、多少無理な体勢から斬撃を繰り出すことも日常茶飯事だ。
結局、道場で覚えた”手本”の軌跡に、様々な制限下でどれだけ近づけられるか――それが、剣の道を極めるということなのだが――
(こいつはっ――本当に”神”とやらにでも導かれているんじゃないか――!?)
たとえ道場で型を練習するときでさえ、剣を振るのが人間である以上、毎度同じ軌跡を描くことなど不可能だ。
しかし、イリッツァは――その不可能を可能にしているとしか思えない。
上段、中段、下段。斬り上げ、斬り下げ、刺突。
どの場所からどんなふうに飛んで来る軌跡も、髪の毛一筋ほどの揺らぎもなく、命を刈り取る最短距離を最速で走ってくるのだ。
まさしく――剣の神に愛されているとしか思えぬほどの、神業。
「くっ――そ、がぁっ!!」
「――!!」
少女の皮を被った化け物が繰り出す剣撃に押されたままではいられない。
防戦一方になっていた自分に喝を入れるように口汚く罵りながら、リオは一瞬で魔力を解放した。
刹那の時間も待たずに、世界が置き去りになる感覚。
身体能力が向上したことで、剣速が加速し、筋力が倍増する。
至近距離で急に人が変わったような変貌を遂げた相手を前に――
「――――――」
薄青の瞳が、無言で狂喜に輝くのがわかった。
「っ――」
攻守が逆転したにもかかわらず、背筋が凍って本能的な恐怖が駆け抜ける。
咄嗟にその場を飛びのくより先に――
「っ、はぁあああああああああああああっ!!!」
小さな口から迸った気合一閃――
最速で最短距離を奔った木剣が、長身の男の首筋を確かに捉えていた。
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