第25話
パラ……と破滅的な音を立てて壊れた壁から破片が零れ落ちる音がするのを聞きながら、ゆっくりと足を引き抜く。
「ぅお。び、びっくりした……ヴィー、お前、何やって――」
「
灰褐色の瞳が、洒落にならない凄みをもって異国の美丈夫を睨み据える。
殺気に近い空気を纏ったその視線を受け、リオは呆れたような顔でカルヴァンを見上げた。
「ただの診察だ。何をそんなに殺気立つことがある」
「完全にキスする距離だっただろう」
「診察だ」
「口を無理やり開けさせて、舌まで指で抑え込んで――」
「診察だ」
「挙句、固い棒を喉の奥に突っ込むなんざ――」
「診察だ。――どうしてそんな目で見られるのか、心底理解不能だ」
軽く眉根を寄せる仕草は、怪訝――というより、不愉快なのだろう。
「王国騎士団長は、人嫌い・女嫌いで有名なんじゃなかったか。どうしてそんな下らない発想が浮かぶ」
「どうでもいい――!俺以外の男が、嫁にエロい顔させてるのを放置なんざ出来るか――!」
「はっ!?エ――ちょ、おい、待て、心外にもほどがあるぞ!!!?」
ガバッと立ち上がりながら顔を赤くして抗議するイリッツァの言葉を聞く気はないらしい。
呆れたように嘆息したリオは、軽く首を振ってから立ち上がる。
手には、持ってきたらしい訓練用の剣が握られていた。
「まぁいい。……一度くらい、”鬼神”と噂の王国騎士団長と、剣を交えてみたいと思っていたところだ」
「ほう、いい度胸だ。返り討ちにしてやる」
ギリギリと歯を鳴らして威嚇するカルヴァンには構わず、リオは慣れた手つきですっと腰に剣を通す。
王国で一般的に使われる剣よりも少し短い剣を――二本。
「双剣……?」
イリッツァは少し驚いたように声を上げる。
王国で、剣術と言えば大抵両手剣だ。兵士も騎士も、集団戦術に長けた王国に属する剣士たちは皆、統制が取りやすいように、必ず現場では両手剣を扱う。ごくまれに、騎馬兵が槍を持つことがあるが、それくらいだ。
戦闘で二本の剣を同時に操る剣術は、王国では創作物語の中でしか聞いたことがない。
「あぁ。歴代最強の名高い先祖にあやかって、剣を極めたいと思ったとき、これを選んだ」
ファムーラの軍は、王国と違って統率の取れた集団戦よりも、国内に攻め入られた時を想定したゲリラ戦を重視した、個々の戦闘力を重視した個性あふれる軍隊だ。
手にする獲物や戦術の統一制よりも、個の戦闘力を重視するその特殊な用兵は、建国以来600年をかけてどの国にも真似ができない特殊な進化を遂げていると聞く。
「俺は、相手がどんな武器でも構わない。手加減はしてやらないから、覚悟しろ」
くるっと身を翻して、練兵場へ続く出口へ向かうカルヴァンは、どうやら冗談を言っている気配ではない。
リオもまた、いつも通りの淡々とした表情で後に続いた。
「ちょ、おい――」
「駄目です、イリッツァさん。ああなった団長は、たぶん誰の言うことも聞きませんよ。……まぁ、あくまで訓練、手合わせでしかないですから。互いに、命を取るわけでもないですし、男の沽券に掛けて勝負したいだけですよ。一緒に、大人げない三十一歳を見守りましょう」
カルヴァンの殺伐とした空気を咎めようとしたイリッツァを、リアムが優しく押しとどめた。
もやもやしたものを抱えながらも、二人に続いて練兵場へと向かう。
屋根のない屋外へと出れば、欠けた月が降り注ぐ静かな夜だった。
「勝負は一本先取。剣は寸止めが必須だが、魔法の使用に制限は設けない。戦闘不能になる一撃を入れるか、参ったと言わせたほうが勝ちだ。……リアム、審判をしろ」
カルヴァンの指示に、呆れたため息をつきながらも童顔の補佐官はしぶしぶ従う。暴君モードになった今の彼には、一生懸命反論するよりも、気が済むまで付き合ってやる方が早いと判断したためだ。
すぅ――と長身の二人が互いに腰から剣を抜き放つ。
青白い月光に、白銀の刃が反射した。
「俺が勝ったら、二度とツィーに必要以上に近づかないと約束しろ」
「何故お前にそんな許可を得なければならない?手合わせをギャンブルか何かと勘違いしていないか」
リオは不愉快そうに目を眇める。
しかし、ピキピキと額に青筋を浮かべているカルヴァンに、正論は無意味だと悟り、ふぅ、と溜め息をついた。
「……"ツィー"」
「ぁ゛あ゛ん??」
ポツリ、と零されたリオの言葉に、カルヴァンの口から剣呑な声が飛び出す。
リオは淡々といつもの無表情のまま、剣を構えて言葉を続けた。
「これが博打だというなら、お前も何かを賭けるべきだろう。……俺が勝ったら、聖女を愛称で呼ぶ権利をもらう。いい加減、呼び辛いんだ」
「ほほぅ……?ますます絶対に負けられないな」
涼しい顔でとんでも無い要求をしてきた男に、カルヴァンは更にこめかみを引き攣らせる。
それはつまり、ツィー、と呼び掛けるたびに、いつも嬉しそうに頬を緩めるあの顔を拝める権利を渡すということだ。
たとえ太陽が西から昇ろうと、カルヴァンがそんなことを許すはずがない。
「えー……それでは、審判の指示には、必ず従ってください。やめ、と言われたら必ず試合をやめること」
軽く咳払いをして、緊張感の漂う二人の間に立ち、リアムはゆっくりと右手を掲げる。
一瞬――緊迫した空気が、その場を支配した。
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