第22話

 軍用施設は、他国の人間に見せることが出来ない場所も当然ある。一般人にはもちろん、リオが軍事関係者だと言うならなおのことだ。

 故にイリッツァは、最初にリオを鍛錬場に案内して、中で伏せっている騎士たちの処置を任せることにした。鍛錬場は、ただの自主訓練のための場で、そこに機密情報はない。


「ちょっと任せて悪いけど、騎士たちを"診察"してやってくれねぇかな?」

「構わない。俺も軍人だ。機密保持のしがらみについては理解して――――おい、聖女!」

「へっ?」


 文句を言うこともなく大人しく頷いたリオは、言葉を切って焦って手をのばす。

 イリッツァは一瞬、「聖女」という呼び掛けが己へ向けてのものだと理解するのが遅れて、間抜けな声を返した途端、暗い廊下の端に置かれていた荷物に蹴躓いた。


「うわっ……!?」

「っ……ぶ、ないな……気をつけろ」

「び、びっくりしたぁ……ありがと、リオ」


 無様に金属製の荷物の上に倒れ込みそうになったところを、咄嗟に身体ごと引き寄せられて事なきを得る。鍛錬場を一般人に開放した影響なのか、いつもはない場所に荷物が積み上がっていた。

 ぎゅっと抱きしめられるように腕の中にすっぽりと包まれ、ふとリオの顔を見上げる。互いに焦ったせいで、ドクドクと心臓が早鐘を打っていた。

 じっと至近距離から見上げると、宝石のような真紅の瞳が、怪訝そうにこちらを見下ろす。


「……なんだ」

「いや……やっぱ、筋肉、いいなぁ……って。片手で人一人抱えても、びくともしねぇじゃん」

「お前も男だったら、鍛錬すればすぐにつく」

「うーん。なんで俺、女に生まれたんだ、本当に……」


 リオも、カルヴァンに負けず劣らずの長身だ。幼いころから一部の隙も無く鍛え抜かれた身体にこうして抱きしめられれば、女の自分との体格差が嫌でも感じられて、む、とイリッツァは不満そうに小さく唇を突き出した。


「……俺のセリフだ」

「?」

「何故お前は女に生まれたんだ。――脳みそが混乱する」

「はい?」


 ぎゅっと眉間にしわを寄せながら身体を解放され、イリッツァは首をかしげる。


(当たり前だが――本当に、身体は女なんだな)


 イリッツァを放した後、チラリ、と少女を抱き寄せた方の腕を視線だけで見下ろして、リオは嘆息した。

 そこらの女よりも鍛えていることは事実なのだろう。だが、ぐっと身体を引き寄せたときの線の細さや柔らかさは、どこをどう見ても生物学上は女の構造をしているのだ、と嫌でも実感させられて、脳みそが混乱を極める。

 そうやって見てみれば、確かにイリッツァの喉は男にしては細すぎるし、いくら粗野な口調をしていても、そのふっくらとした桜色の唇から紡がれるのは鈴を転がすような美声だ。

 陶器のようにきめ細やかな白い肌も、月光よりも美しい絹のような白銀の髪も、瞬きをするたび風が起きそうな長い睫毛も、外見だけを見れば、どこからどう見ても女――それも絶世の美女――にしか見えない。


「お前は俺の中で、既に男として認識している。いうなれば、同性の友人のような感覚だ」

「はぁ」

「だが、こう……時々、身体が女なんだと認識すると、脳みそが混乱する。なんで女なのに煩わしくないんだと思うと、もっと混乱する」

「……そんなこと、俺に言われても」


 眉を下げて困り果てるイリッツァの主張はもっともだ。ふるふる、と頭を振って雑念を払っていると、イリッツァが思い出したように声を上げた。


「っていうか、お前――友人とか思ってるなら、そろそろ名前くらい呼んでくれたっていいだろ」

「?」

「なんだよ『聖女』って。初めて呼ばれたぞ、そんな呼び方。一瞬、俺のことだってわかんなかった」

「あぁ――」


 この国で、”聖女様”と敬称を付けて呼ばれることはあっても、呼び捨てられることなどまずない。――不敬罪で投獄されかねないからだ。

 不満そうなイリッツァに、リオは気まずそうに視線を外す。


「……王国の名前は、長い上に呼び辛いんだ」

「……なるほど」


(ヴィーが昔言ってたのって、本当だったんだ)


 リツィード、という名前が長い、呼びにくい、とぶつくさ言っていた少年を思い出して、二十五年ごしに実感する。


「い……イリ――り――イ、リツァ――」

「イリッツァ。イリッツァ・オーム」

「チッ……どいつもこいつも、本当に長ったらしい」

「なんでだよ。カルヴァンのことは呼べてたじゃん」

「十五年位前から、あれの評判はファムーラでもよく聞こえていた。半分はファムーラにルーツがあるとなれば、なおのことだ。おまけに、今回の話をまとめた責任者でもある。失礼のないように何度も練習した」

「じゃあ俺の名前も練習しろよ」

「……俺の国じゃ、長音はともかく、促音を名前に入れることはほとんどない。とにかく呼びにくいんだ」


 顔をしかめて呻くリオを見ていると、よほど苦しいらしい。

 むぅ……と納得しかけたとき、リオの紅い瞳がこちらを見下ろした。


「――ツィー」

「へっ?」

「騎士団長が、そう呼んでいただろう。あれなら俺にも呼びやすい。お前を名前で呼ぶときはそう呼んでもいいか」

「あー。……あぁー……いやまぁ、うん、そうだろうな。そうなんだろうけど――」


 困り切って頭を掻く。

 脳裏に浮かぶのは――白い手袋をあろうことがこの国の第一王子の顔に全力で叩きつけた幼馴染の顔だ。


「駄目なのか」

「うーん……少なくとも、独占欲の塊みたいなやつだから、ヴィーは確実に怒ると思う」

「そうか」


 その回答は、ある程度予想していたのだろう。リオは案外すんなりと受け入れてくれた。


(まぁ、俺も、ヴィー以外の奴に、ツィーって呼ばれると、めちゃくちゃ違和感あるしな……)


 件の騒動の時、吐き気を伴う強烈な生理的嫌悪感を覚えたことを思い出し、苦い顔をする。

 そうこうするうちに鍛錬場に到着すると、イリッツァに説明を受ける間もなくリオはざっと全体に視線を遣ってから、端から順に患者を診ていくことにしたらしい。伏せっている最初の一人の枕元に座りながら声をかけ、持ってきていた鞄を開くと、中には何やらたくさんの医療器具が入っている。きっと、一人一人にしっかり話を聞いて処置を施すファムーラ式の”診察”をするのだろうから、時間がかかるだろう。

 リオの性格上絶対にないと思っているが、もしも不穏な動きをしたとしても、騎士たちのたくさんの目があり、誤魔化すことは出来ない。

 このままこの場を任せても大丈夫だろう、と判断してイリッツァは急いで施設を回って解毒の魔法をかけに向かった。


 ◆◆◆


 敷地の大部分を解毒した帰り道――最後に、カルヴァンがいる執務室にも魔法をかけておくか、と寄り道をすると、リアムが灯りを消して部屋を出ようとしているところに鉢合わせた。


「あれ。カルヴァンは――」

「あぁ。相変わらず、本気になった団長は人間とは思えませんね。一瞬で仕事を終わらせて、明日に回せるものは明日に回して、完璧にやり遂げてさっき早足で出て行きましたよ。入れ違いでしたね」

「あ、そうなんですね。練兵場に?」

「いえ、一度鍛錬場に顔を出すと言っていました。まぁ、一応、国家の英雄として名高い男ですからね。今伏せっている騎士は、討伐から先んじて王都に返した新兵が多いですから、長く上官不在で必死に頑張ってくれた労いをしながら、闘病を励ましてくれるんだと思います」

「へぇ……ちゃんと、上官らしいことしてるんですね……」

「ははっ!俺も本当にそう思います。そんな風に見えないのに、意外とちゃんと、やってますよ。――イリッツァさんと出会う前は、他人なんてどうでもいい、って感じだったのに。今の方が、文句も多いくせに、ちゃんと後進育成とかにも気を配ってくれています」

「はぁ……」


 後進育成などすれば、自分が死ねる場所が減る――などと考え、付いて来れる人間だけがついてこればいい、と言わんばかりの態度で振舞っていた当時の、一番補佐官への無茶ぶりが酷かった時代を知っているリアムは、苦笑しながら認める。

 稀代の聖人を痛ましい事件で失い、何にも縋るものがなく、魔物の脅威に対して打ち手がなかったあの頃――死地に自ら飛び込み、命を擲つことすら厭わず、己の死も、味方の死も、何にも心を動かされることなくただ無心で魔物を討伐するカルヴァンの背中は、鬼神と呼ぶにふさわしく、縋る者のない国民の心の支えだった。リアムも、強烈にその背に憧れた一人であり、バタバタと倒れて死んでいく同僚たちや惑う国家に足を止めずにいられたのは、あの孤高の背中に少しでも追いつこうと思っていたためだ。

 あの時、国には、民には、そんな”鬼神”が必要だった。それは、事実だ。

 だが、リアムが補佐官に就任した後――カルヴァン・タイターという個人を深く知った時、その凄絶な背中を晒し続けることにどうしようもないやりきれなさを覚えた。


(鬼神の強さの秘訣は、神への信仰心なんかじゃない。ただ、亡くなった親友への弔いと――己の死に場所を求めているだけだった)


 どれだけたくさんの人間がカルヴァンを慕い、敬い、彼の孤独に寄り添おうと”手”を差し伸べても――彼は頑なに、亡き親友以外の”手”を取るつもりはない、と明示するかのように、ずっと、心を凍てつかせたままだった。

 ――本当に、イリッツァが、あのどうしようもない鬼神を”人”に変えてくれたのだ。

 当時の方が、部下にも周囲にも余計なことは何も言わず、眉の一つも動かさず、淡々と騎士としての仕事をこなしながらも、ただ万物全て何事にも興味がないことが明白だったのに――今は、ぶちぶちとよく文句を言うし、軽口を叩くし、隙あらば仕事をサボろうとするし、不良騎士団長としての様相は色濃くなったくせに、今の方が酷く人間らしくて、リアムとしては親しみやすくて仕事がやりやすい。

 以前の彼は、少し目を離すと、すぐにどこかに行ってしまいそうで――幻のように、ふっと命の灯を消してしまいそうで――


「本当に、イリッツァさんのおかげです。悔しいですが、あれでいて、滅茶苦茶有能な人ですから。まだまだ、王国にあの人は必要です。彼をこの国に留め、人らしい営みの輪に加わらせてくださっていること、ありがたく思います。団長と貴女を引き合わせてくださったエルム様に、最上位の感謝を」

「はは……カルヴァンが聞いたら顔を顰めそうですね」


 聖印を切って告げるリアムに、ぎゅっと鼻の頭に皺を寄せる婚約者の顔を思い浮かべて笑いながら、イリッツァは軽く執務室に魔法をかける。


「さて、それじゃあ私たちも鍛錬場に行きましょうか」

「はい。お供いたします」


 穏やかな笑顔を童顔に浮かべるリアムを伴い、イリッツァは鍛錬場へと足を向ける。

 兵士団と騎士団とで、鍛錬場の中身は殆ど変わらない。

 その昔、暇さえあれば通っていた場所に赴く懐かしさも手伝って、イリッツァの足取りは軽かった。 

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