第21話

 イリッツァとリオは、兵舎に到着するとまず最初に、リアムに先導されながらカルヴァンがいる執務室へと案内された。

 曰く――


「すみません……イリッツァさんが来たのに、知らせずに先に兵舎を回らせたとなると、どうして来た瞬間すぐに知らせなかったと三割増しで不機嫌になる大魔王がいるので――」

「ははは……」


 前を行くリアムの背中を追いながら、半眼で乾いた笑いを漏らす。

 理解できない、という顔をしているリオの後ろからの視線が痛い。


「罹患してしまった騎士の皆さんの具合はいかがですか?重傷者はいないと聞いていますが――」

「はい。幸い、熱と腹痛を訴えるくらいです。衰弱したり意識が混濁したりという深刻な者はいません。本当は、イリッツァさんのお手を煩わせることすら心苦しいのですが――」

「まぁまぁ。私も、練兵場を使わせていただくのですから、そのお礼だと思って」

「まさか。聖女様が場所を使いたいとおっしゃったなら、我々は仮にその日に国家規模の重大行事があったとしても無条件で明け渡しますよ。いつでも気軽におっしゃってください」

「あ……ありがとうございます」


 騎士の通常運転な献身を受けて、困ったように眉を下げて返す。――リオの眉間の皺が深くなっている。さっきよりもよほど「理解できない」と思っているのだろう。

 そんな会話をしているうちに、目的の場所に着いた。コツコツ、とリアムが軽く扉を叩くと、中から聞き馴染んだ低く響く声が返事をする。


(あ――なんか、すげぇ久しぶりな気がする)


 よくよく考えれば、カルヴァンが討伐任務で王都を旅立った後は、医療団が到着した日にほんのわずかに言葉を交わしただけで、イリッツァはそれ以来ずっと顔を見ていないのだ。

 ふ……と、懐かしさに心の奥の方が緩む気がした。


「団長。――イリッツァさんをお連れしました」

「何!?」


 ガタンッと椅子を鳴らして、執務室の机からカルヴァンが立ち上がる。

 にこり、とイリッツァは笑みを湛えて挨拶をした。同室にリアムがいる以上、聖女の仮面は外せない。


「お久しぶりです、カルヴァン。伏せっている騎士団の皆さんを見舞って、敷地を解毒したら、リオさんと鍛錬をしたいので練兵場を貸してほしいのですが――」

「いや、そんなことはどうでもいい。今日はもう屋敷へ帰ろう。リアム、後は任せた」

「流れるように無茶苦茶なこと言わないでください!」


 華麗なる無茶ぶりに、補佐官が反射的にツッコミを入れる。

 カルヴァンに任せているのは、カルヴァン不在時に溜まった彼にしかできない仕事ばかりだ。リアムが肩代わりなど出来るはずもなく――そんなことをしたら、過労で死ぬ。


「わかったわかった、明日全部まとめてやってやるから。それでいいな。俺はもう、一秒でも早くツィーの成分を摂取しないといけない」

「よくありません!!!」

「羨ましいからって新婚家庭に水を差すな、童貞。馬に蹴られるぞ」

「ごまかされませんからね!!!?」


 いつも通りのやり取りに、ノーコメントで乾いた笑いを漏らす。……後ろから飛んで来るリオの視線がどんどん険しくなっていくのがわかるからだ。


(心底理解不能、って思ってるんだろうな……)


 女嫌いを堂々と口にしたような男だ。恋愛感情など、全く以て理解できないだろう。カルヴァンの嫁を溺愛する言動は、未知の生物を見るかのようだった。


(ましてリオは、俺のことを男の心を隠して生きてる女だと思ってるしな……)


 とはいえ、いい言い訳も思いつかないのだからしょうがない。


「リアムさん。とりあえず、カルヴァンへの報告は終わったのでもう敷地を回っても良いでしょうか」

「おい!!?冷たすぎないか!!?」


 婚約者の信じられない塩対応にカルヴァンが叫ぶが、しれっと無視する。”聖女”モードのイリッツァに、恋人としての振る舞いを求める方がおかしい。


「よしリアム。わかった、言われた通り屋敷には帰らない。代わりにこのままツィーと兵舎の俺の部屋にしけこむ。そうだな、三刻ほど――」

「夜が明けますけど!!!?」


 キャンキャン騒ぐ補佐官の言葉など聞こえない素振りで、一瞬で距離を詰めてさらりと自然にイリッツァの腰を抱いて誘導するのは、さすが王都一の女たらしだ。

 鮮やかな手腕を前に、イリッツァ半眼のままビシッと腰に回された腕を指ではじいて、これ以上ない完璧な”聖女”の笑顔でカルヴァンを振り返る。


「リアムさんを困らせないでください」

「おい……あまりにつれない態度だと、さすがの俺も拗ねるぞ……?」

「はいはい……」


 さらりと銀髪を手に取って口付けながら、色気を含んだ流し目を寄こす女の敵に、呆れたようにイリッツァは返事をする。

 眉を軽く下げて嘆息してから、長い付き合いの友人を見上げた。


「今日は、私も屋敷に帰れそうなんです。役目を終えて、練兵場で剣を振ったら帰りますから。――カルヴァンも、リアムさんを困らせずにきちんと仕事を終えたら、という条件ですが、一緒に帰りませんか?」

「ほう……なるほど。それは良いことを聞いた。今すぐ音速で仕事を終わらせよう。――ちゃんと、約束を守れよ?」

「はいはい。リアムさん、甘やかさないで、きちんとカルヴァンに仕事をさせてくださいね」


 ニッと片頬を歪めて上機嫌になる単純な幼馴染を前に、くす、と思わず笑みが漏れる。

 リアムはリアムで、傍若無人な上官の手綱を取って操ってくれるイリッツァに、涙を流さんばかりの勢いで聖印を切って心からの感謝を表した。


(まったく……聖女ってのは面倒くさいな)


 イリッツァは困った顔で嘆息しながらリオを伴い部屋を出る。

 リアムの眼さえなければ、こんな回りくどいコミュニケーションをしなくて済んだだろう。


『よっ。久しぶり。元気だったか?俺、この後ちょっと伏せってる騎士の様子見てから剣振るんだけど、お前何時に終わる?タイミング合うなら一緒に帰ろうぜ』


 ――で、終わりである。

 聖女というイメージを崩さないようにしながらも、心配されないようにカルヴァンとの関係が良好であることも示しつつ、周囲に気を遣いながら振舞うのは本当に疲れる。


(あーぁ。終わったら早く屋敷に帰りてぇな)


 自分が何者の仮面も被ることなく、ありのままの自分でいられるのは、結局、カルヴァン・タイターの前だけだから――

 イリッツァは聖女の仮面の下でこっそり呟き、ふ、と苦笑を漏らしたのだった。

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