第19話
「……で、ここで、”調合”の魔法をかける」
リオが解説と共にすり鉢に手をかざすと、ふわり、と暗がりに仄かな光の粒子が広がった。
「おぉ――!すご!これで完成か?」
「あぁ。あとは、きちんと量って小分けに包装し、患者には用法容量を守って飲ませればいい」
隣の秤の上にサラサラと煎じた薬を分けながら説明する。秤の針が見にくいのか、リオは色眼鏡を外してじぃっと針を凝視し、適切な分量を小分けにしていった。
「その、”調合”の魔法っての、便利だな。薬師がいない王国にはない魔法だし――昨日教わったけど、今日も、時間あったら、ちゃんと出来てるか見てほしい」
「あぁ、構わない。まぁ、失敗しても大してリスクはないからな。お前は魔力が膨大過ぎて調節が難しいんだろう。いざとなればそこら辺の普通の光魔法使いに任せればいい」
「いや、なんかやっぱ、光魔法で出来ないことあるのは癪じゃん。悔しい。絶対マスターしておきたい」
むっと口をとがらせるイリッツァは、負けず嫌いの性格がわかりやすい。
ふっとリオは口の端に笑みを刻んで、イリッツァを振り返る。
「お前も、剣の相手をする約束を忘れるなよ」
「勿論!そろそろお互い、身体が鈍って仕方ねぇもんな。今日はちょっと患者も落ち着いてるし、日が暮れたら思いっきり身体動かそうぜ」
距離があるから部下や薬をもらいに来た患者に聞かれることはないと思うが、念には念を込めて、こそこそと声を潜めて会話する。カルヴァンがギリギリと歯を噛みしめる距離の近さになるにはそれなりの理由があった。
今から夜の訓練の時間を想ってふんふんと鼻歌混じりに上機嫌になるイリッツァに、リオはふと気づいたように声をかける。
「そういえば――カルヴァン・タイターに声をかけなくてよかったのか?」
「へっ!?来てたのか!?」
「さっき、補佐官とこっちを見ていたぞ。すぐにどこかに行ってしまったが」
どうやら、リオの解説に集中するあまり、周囲に気を配っていなかったらしい。
(あんなに露骨に嫉妬をむき出しにされるとは思わなかったが)
リアムとのやり取りまでは聞き取れなかったが、何度もイリッツァの方を指さしては激怒している様子だった。随分と距離があるにもかかわらず、明らかな敵対感情を抱かれているとわかる視線をよこされたのだ。嫌でも気づく。
「あー。まぁ、アイツも王城出たの随分久しぶりだろうし、やること溜まってるんだろ。また時間が出来たらこっちに顔出すだろうから、その時でいいや」
「……そうか」
あんなに嫉妬を露わにするカルヴァンとは対照的に、イリッツァの態度はあっさりとしたものだ。
リオは少し考えた後――おせっかいと思いながらも、気になっていたことを尋ねる。
「あの男は――大丈夫なのか?」
「へ?……何が?」
「お前は、その……ひどく、複雑だろう。立場も、何もかも。ちゃんと、本音を話せているのか?」
「あー……」
ここ数日、同じ部屋に寝泊まりをして――真面目なのか何なのかは知らないが、リオは頑なに床で寝ることを貫いていたが――気安く会話をし、互いの技術を教え合いながら、同じ脅威に立ち向かったことで、短期間で二人の間には強固な信頼関係が出来ていた。
リアムが表現した”戦友”というのは、意外と正しいかもしれない。
(うーん……リオは、俺が心は男、身体は女、っていう人間だと思ってるんだもんな……そりゃ、カルヴァンとの話も気になるか)
今まで、王国民にされてきたのとは全く異なる方向性からの心配の問いを受けて、イリッツァは後ろ頭を掻く。
(半分は女みたいなもん――って言ったら言ったで、今度は、リオの気分害しちまうかな……)
露骨に表に出すことは少ないものの、リオには女性蔑視の思想が根底にあるであろうことはイリッツァも理解している。
リオが今、こうして気安くイリッツァと話をしてくれるのは、イリッツァの心が男だと思い、男として扱ってくれているからに他ならない。
本音を話せているか、などと心配してくれるのも、イリッツァが男だと思っているからだろう。
不愛想な男ではあるが、心根は優しいことはこの数日で十二分に理解できた。リオも、イリッツァのことを友人のように思ってくれているのかもしれない。
「まぁ、大丈夫だよ。ヴィーとは付き合いも長いし――」
「付き合い、と言ってもまだ一年と少しだろう」
「いや、えっと、うん。そ、ソウデスネ……」
正論をぶつけられて言葉に詰まる。
まさか、既に二十五年以上の付き合いだ、などと言えるはずもない。――イリッツァの年齢は、まだ十六歳だと言うのに。
「さっき、露骨に俺にイラついてるようだった」
「へっ!?何で!?」
(聖職者でもないのに――!?)
続く言葉は何とか飲み込んで胸中にとどめる。
ここで働く聖職者たちを眉を顰めて見るなら、よくわかる。リオが女性をゴミのような目で見るように、カルヴァンは聖職者を酷く嫌っているからだ。
むしろ、無神論者が多いファムーラの人間である医療団のメンバーは、カルヴァンにとって好ましく受け入れられるだろうと思っていた。
「お前が、俺に近づいて手元を覗き込んでいたからだろう。……女として見られているのか?」
「え゛っ……あ、いや、えっと……う、うーーーーん……ど、どうなんだろ……??」
難しい質問だ。
カルヴァンがイリッツァのことを、女として見ているのか男として見ているのか、と問われると、途端に答えに窮する。
(やたらと下ネタ言って無理矢理迫ってくるんだから、そういう意味では女として見てるんだろうけど――普段は完全に俺のこと、リツィードだと思って接してるっぽいしなぁ……)
色っぽい雰囲気になると途端に”雄”へと豹変するのは事実だが、普段はリツィードとして過ごした親友時代と変わらない軽口をたたき合っている関係だ。未だに、カルヴァンがイリッツァをどう思っているのか、一言で説明するのは難しい――し、イリッツァもよくわからない。
――彼女もまた、カルヴァンに対して、女として接しているのか男として接しているのか、よくわからないのだから。
(ただ、ありのままの自分で接してるだけなんだよなぁ……)
「こういうことを言うと、また、他国の歴史や文化にとやかく言うなと叱られるかもしれないが――俺の感覚で見れば、”聖女”への扱いはやはり、異質だとしか思えない。先代の聖女も、心を壊してしまったと聞いた」
「ぅ゛っ……う、うん……」
「俺は医者だ。精神構造に関する分野が専門外なのは事実だが――単純に、心配する。……大丈夫なのか?」
「ぅぅぅ……」
親切心が心に痛い。
不愛想で素っ気ないリオは、その実、とても懐が深くて愛情深い男なのだろう。女嫌いなのが玉に瑕だが、信頼関係を築いた同性には優しい。
「だ、大丈夫っ!その――説明は、難しいけど……でも、無理してるとか、そういうことはないから」
「……そう、か……?」
ヘラッと笑って言うイリッツァに、訝し気な視線を向けるリオは、あまり信用していないらしい。
しかし、真実をありのまま告げるわけにもいかず、イリッツァは心の底から困って眉を下げる。
「そ、そんなことより、お前はどうなんだよ」
「?……何がだ」
「お前も、いい歳なんじゃねぇの?いくつだっけ」
「二十五だ」
「ぅお、結構行ってんな。結婚とか――」
「してるわけないだろ」
「……だよな」
王国の基準で考えれば、二十五歳にもなって独身を貫くなど、聖職者でもない限り奇異の視線を浴びるに違いない。
三十路まで独身を貫いたカルヴァンもまた、奇特な人物だと思われていたくらいなのだ。
上手く話題を変えられたことにホッとしながらも、少し同情の視線を向けたイリッツァに、リオはぎゅっと不機嫌そうに眉根を寄せる。
「ファムーラじゃ、『結婚適齢期』なんて言葉は、あってないようなものだ。生涯独身で過ごす奴も多い。結婚しても子供をあえて作らない選択をする奴もいるし――別に、俺も、生涯独身でいいと思っている」
「そ、そうか……子供、嫌いなのか?」
「別に。……女が嫌いなだけだ」
「ハハッ……正直な奴」
出逢ったときからぶれない価値観の男に吐息を漏らすように笑う。
自分を偽って生きることが息をするように染み付いていたリツィード時代から、カルヴァンのように自由な思想を持ち、自分の価値観に正直に生きる人間が好ましいのかもしれない。
イリッツァは、生涯独身にしておくには惜しい美丈夫を前に、可笑しそうに笑いを漏らしたのだった。
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