第18話

 それから三日ほどは、捜索隊と解毒を兼ねて街を見回る部隊と教会で手当てに明け暮れる者とで人手不足を必死に補い合いながら過ごす戦争のような日々が続き――

 重症者の様態が安定し、外来の患者の波も少しだけ落ち着き、余裕が出て来て事態が快方に向かっていることを肌で何となく感じ始めたときだった。


「――おい。……あれは、なんだ」

「へ?」


 やっと事態が進展したということで、まだ慎重に判断をすべきか悩む王家を全力で口八丁手八丁で丸め込み、何とか軟禁生活から脱して真っ先に教会に足を向けたカルヴァンが、低い声で唸ったのは。


「何、って――リオさんですよ。医療団の」

「それは見ればわかる」

「イリッツァさんと薬草を煎じてるんじゃないですか?医療団が帰った後に、患者が出て来た時のためにしっかり覚えておきたいと、聖女様自ら率先して教えを乞うているみたいです。当然、他の聖職者も同様に教わっているようですが、イリッツァさんが一番熱心に、自分の時間も惜しんで教わっているようですよ」

「なるほど。さすが俺の嫁だ。それはいい。だが――」


 ひくり、とこめかみを引き攣らせ、カルヴァンはおどろおどろしい低い声を出す。

 そこは、教会の敷地の向かいに立てられたテント――薬をもらいに来るだけの民を、感染リスクのある治療を求める患者と接触させないようにと急遽設けられたテントの中、ひっきりなしに訪れる調剤薬を求める民を捌いている医療団の人間の奥――周囲からは見えにくい場所に、目当ての二人がいた。


「距離が、近すぎないか……?」

「……へ?」


 言われてから、もう一度リアムも二人を見る。

 手元ですり鉢状の何かで薬草を煎じているらしいリオの手元を、身体を乗り出し覗き込むようにして、至近距離で時折何か二言、三言言葉を交わしてはふんふん、と頷いている。


「気にしたことなかったですけど――まぁ、言われてみればそんな気がしなくもないですね。でも、手元を覗こうと思ったらあれくらい、仕方なくないですか?」

「そうか……?あんなに引っ付かなくても見えるだろう」

「いや、そればっかりは何とも……手元で薬草の色が変わるまですりつぶすとか、そういう細かいことを指示しているなら、あれくらいしないと駄目でしょうし」


 ゆらり、と嫉妬の炎を背負っている上官に、リアムは呆れて言葉を返す。


「ちょっとイリッツァさんと会えなかったからって、独占欲出し過ぎですよ、団長。イリッツァさんはもちろん、報告書で伝えた通りリオさんも本当に必死に俺たちのために働いてくれました。今も毎日、国家のために、朝も夜もなく働いていらっしゃるんです。下らない嫉妬なんかで、お二人の疲労を倍増させるようなことは控えてくださいね?団長、一番大変な時期に王城に引っ込んで悠々自適に過ごしてただけなんですから」

「俺だって好きでそんな生活をしていたわけじゃない――!」


 補佐官の嫌味に、カルヴァンはイラっとしながら言葉を返す。

 カルヴァンはカルヴァンで、王城の深くで必死に書類作業をしていた。

 リアムの報告書の対応をしながら、バタバタと倒れていく政治の中枢にいる人間の仕事のほとんどを肩代わりしていた。外交も、財政も、カルヴァンが手を貸さなければ今頃大変なことになっていただろう。

 そもそも、聖なる森と言われている森に騎士団と異国の民が足を踏み入れる時点で、王家をはじめとする人間たちは顔をしかめたのだ。それをあっという間に丸め込み、迅速に許可を出したのはカルヴァンの功績に他ならない。

 医療団が到着してから、病原が特定できたのはまぎれもなくリオたちの功績だが――そこから先、迅速に打ち手を展開し、あっという間に王都全土に広げられたのは、影でカルヴァンが手を回したおかげだ。

 本来、外交も財務も、全て数名で担当する業務を、たった一人でこなしていたのだ。カルヴァンこそ、ここ数日ほとんど寝ていない。


(やっと――やっと、ツィーに会えると思って浮かれてやって来たって言うのに――なんだ、この仕打ちは……!)


 リアムの言いたいことはわからなくはないが、面白くないものは面白くない。

 そもそも、愛する婚約者に会えると喜び勇んでやってきたにもかかわらず、出迎えたのは見慣れた童顔の補佐官だけだった。

 その事実に不服を覚えながらも、事態が事態なのだからと己を納得させ、せめて真っ先にイリッツァの顔を見に行こうとしたら、本人はカルヴァンを出迎えるよりも、他国の男とべたべたとくっつきながら教えを乞うことを優先していたところに直面したのだ。

 独占欲を拗らせているカルヴァンが、こめかみに青筋を浮かべたとしても仕方ないだろう。


「リアム。俺は、ツィーのことは克明に、詳細に、逐一報告しろと命令したよな?」

「しましたね。クソ忙しい中、公私混同極まりない命令でしたね」


 げんなりと呻くと、カルヴァンはビシッと寄り添う二人を指さす。

 視線を遣ると、奥まったテントの中、作業のために何かが見えにくかったのか、リオが色眼鏡を煩わしそうに外して床に置き、イリッツァを振り返っていつもの無表情で至近距離から何かを説明している。


「アイツがあんなイケメンだなんて報告は聞いてないぞ!!?」

「いや……だって、それは、リオさんの報告じゃないですか……イリッツァさんにまつわることじゃないんですから、業務に関係ないことまで報告しませんよ」


 リアムに命じられたのは、彼が妙な動きをしていないかどうかの報告だ。彼の外見的特徴に関しての報告義務までは背負っていない。

 ここ数日、リオは日中でもこうして時々眼鏡を取るようになっていた。

 瞳の色で迫害される心配はないことに加え、基本的に神に貞淑を誓い、色恋沙汰とは無縁の生活を送る聖職者ばかりの王立教会で、彼の祖国で経験したような女からの煩わしい反応はないはずだ、というイリッツァの言葉に理解を示し、ああして他者の目が少ない場所では束の間素顔を晒している。

 運び込まれてくる患者は、大抵症状が深刻でそんなことに気を配っている余裕はないし、女の聖職者たちは、男を前に邪な感情を抱くなど神への冒涜だ。結果として、イリッツァの読み通り、リオは煩わしさに眉をしかめることなく業務に専念出来ている。

 それでも――神への冒涜だとわかっているはずの女の聖職者たちが、ついうっかりこっそりと視線を遣ってしまうほど目を引く外見なのは、もはや仕方がない。男ですら、その美貌に驚いて思わず目を留めるほどなのだ。

 彼が嫌いな黄色い声が上がらないだけでも、リオにとっては快適な環境だと言わざるを得なかった。


「念のため聞くが――あいつ、ツィーを口説いたりしてないよな!?」

「当たり前でしょう……アンタと一緒にしないでください」


 下半身暴れ馬の王都一の女たらしと同一視しないでほしい。リオは、王国の文化にも最大限の配慮をしながら人命救助のために心を砕いてくれた、素晴らしい人格者だ。

 カルヴァンの命令でリオや医療団に張り付いて逐一行動を見張っていたからこそ、それが骨身に染みてわかっているリアムは、完全にリオの味方だった。


「それより団長、騎士団のことで相談があります。王都の外に駐屯させている精鋭班への指示と、新兵たちの今後についてです。数名、病を発症しているらしき者もいます。勤怠や保証に関して、いくつか処理をお願いしたいので、兵舎の執務室まで来てください」

「待て、アレを放置していくのか!?」

「いきますよ。別にやましいことしてるわけじゃないんですし」


 カルヴァンが指さすのは、当然イリッツァとリオの二人組だ。

 テントの奥――誰にも邪魔をされない、外からは見えにくい場所で、身を寄せ合っては至近距離で何事か言葉を交わす。

 リオが何か身振り手振りを加えながらイリッツァに伝えると、イリッツァは朗らかに笑ったようだった。


「おいっ!”聖女”の顔じゃないだろう、あれは!!!」

「いや知らないですよ……ここ数日、本当に王国の危機だと思えるほどの未曽有の事態を、二人三脚で乗り切った形ですし、戦友的な絆が生まれたんじゃないですか?」


 彼らが同室で寝泊まりしたことについて、カルヴァンに報告しなかったのはやはり正しかったらしい。

 外から見えにくい場所とはいえ、医療団のメンバーの目がある場所で二人が仲がよさそうに言葉を交わしているだけで、この有様だ。

 イリッツァの寝顔を直視できる状態でリオが一夜を過ごしたなどと告げれば、王国の危機など放り出して、剣を片手に教会に一番に乗り込んできたことだろう。


「ホラ、行きますよ団長。貴方を待っている騎士が沢山いるんです」

「待て、俺はムサい男の部下より先に、可愛い婚約者の相手をしたい」

「却下です」


 有無を言わさず上官を引き連れていくリアムは、鬼神の扱いを心得たベテラン補佐官だ。

 カルヴァンは、何度も後ろ髪を引かれながらイリッツァを眺め、悔しそうな顔を晒すのだった。

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