第17話

 それからは、急速に物事が進展していった。

 リアムの報告を受けて、カルヴァンは快く騎士団の人員を貸し出すことを了承した。そもそも信仰心が皆無のカルヴァンは、聖なる森に足を踏み入れることに躊躇するような男でもない。その日のうちに部隊が編成され、日が暮れるまで森の中を捜索して、男たちは摘めるだけの薬草を採ってきた。

 アランは見習い聖職者たちを主軸に班を編成し、王都中の井戸を解毒して回った。教会に赴かず家で伏せっている者たちに声をかけ、励ます役割もこなすことで、人々の心の支えとなった。

 イリッツァは教会に残り、引き続きひっきりなしにやってくる患者の相手をし続けた。リオも教会に残り、軽く仮眠を取った後、薬草を煎じて薬に変える作業を黙々と続けては重症患者から優先的に処方していった。見習いやアランが出払っていることで人手が足りなくなれば、彼自身も患者の対応をして魔法を施してくれた。

 そんなこんなで、あっという間に一日が過ぎて、とっぷりと日が暮れてしまった。


「ふぃ~……さすがに今日は、ヘトヘトだ……」


 人が出払った教会で患者を捌き続けたイリッツァは、鉛のように重い身体を引きずるようにして自室へと向かう。

 昨夜もあまり寝ていないのだ。今日は早く泥のように寝てしまいたい。

 そんなことを思いながら自室の扉を開け放ち――


 ――見事な筋肉美を晒す男の上裸体が現れ、一瞬目を瞬く。


「……あ。わり。ノック忘れた」

「いや――……そもそも、お前の部屋だ。好きに入れ」


 紅い瞳をした美丈夫は、併設されている浴室でシャワーでも浴びたところなのだろうか、タオルで乱暴に髪を拭きながら不愛想に返事を返す。

 

「この国は、暑くて敵わない。よく平然としていられるな」

「そうか?まだ初夏だぞ。こっから夏にかけて、もっと暑くなる」

「信じられないな……熱中症で倒れないよう、明日も森に捜索に出る部下たちには気を配るように指示を出しておく」


 げんなりとした声で言いながらタオルをひょいっと窓の縁に掛けて乾かす男の背中をじっと見つめる。


「?……なんだ」


 視線に気づいたリオは横顔で振り返る。もう、この部屋の中で色眼鏡をかけることはないようだ。


「いや……いい筋肉してるなぁって思って」

「はぁ……?」


 うっとりと羨むように告げられた言葉に、思い切り怪訝な声を上げる。

 惜しげもなく晒されたリオの身体は、見せかけではない実用的な筋肉がついてしっかりと引き締まっている。医者の仕事よりも剣を振るのが好きだと言っていただけあって、普段から鍛錬を重ねているのだろう。

 長身にバランスよくついた筋肉は、元兵士だった少女の羨望のまなざしを一身に集めていた。

 イリッツァは、一通りリオの筋肉を観察した後、袖を捲って自分の腕を曲げながら、むむ……と難しい顔で唸る。


「やっぱ、女だからなのかな。俺、どんだけ鍛錬しても、男みたいに筋肉つかないんだよ」

「それはまぁ……仕方ないだろう」

「やっぱり、ファムーラでも無理か?薬とか使って、男みたいに筋肉つける方法とかないのか?」

「さぁ……俺はそっち方面は専門じゃないって言っただろう」

「そっかぁ……」


 女だと考えれば十二分に引き締まっていると言える腕を袖の中にしまいながら、残念そうにため息を吐くイリッツァを前に、リオは困惑した顔をする。


「――妙な気分だ」

「へ?何が?」

「お前は、外見が女だろう。――脳みそが、混乱する」

「は……?」

「素顔を晒して、上裸で目の前をうろうろしても、黄色い悲鳴を上げなかった女は、お前が初めてだ」

「ははっ……そりゃどーも」


 暑い、とぼやいていただけあって、まだ衣服を着込む気にはなれないのだろう。しっとりと濡れた髪をがしがしとかき混ぜるように頭を搔きながら言うリオに、イリッツァは苦笑する。

 王都一の女たらしと呼ばれた男も、イリッツァに対して昔似たようなことを言っていた。二人の方向性はだいぶ違うが、モテる男故の苦悩というのもあるのかもしれない。


「さて、じゃぁ俺も、シャワー浴びるか。……先寝てていいぞ」

「いや、待て。俺が寝る部屋を聞いていない。案内してからシャワーを浴びろ」

「へ?……あぁ――もうリアムもうるさく言わないだろうし、ここで寝ればいいんじゃないか?」


 ふぁっと欠伸を漏らしながら投げやりに言うイリッツァに、リオは目を丸くする。


「だが――」

「今日は外に出てたやつも教会にいた奴も死ぬほど疲れてるから、誰も俺が誰とどうしてるかなんて気にしてねぇよ。俺も、もうさっさと寝たいし。ベッド、半分空けといてくれたらそれでいいから」

「べッ――ちょ、おい。待て。さすがに、待て」


 ひらり、と手を振って併設されている脱衣所に消えようとしたイリッツァの手を掴んで引き留める。


「それはさすがに――問題が、あるだろう」

「は?なんで?」

「いや……ない……のか?」

「シーツとか布団とか、今から予備探して持ってくるの面倒くさいし。まぁ夏だから床で寝たって風邪ひくことはなさそうだけど、お前も俺も昨日からほとんど寝てないし、ベッドで寝た方が疲れとれるだろ」

「それは――そう、だが――いや……」

「何だよ。お前、同じベッドに入ったら、俺のこと襲うわけ?」


 呆れて半眼で見返すと、むっとリオの眉間にしわが寄る。


「あるわけない」

「あ、そ。じゃ、問題ないじゃん。俺も、疲れてんのに野郎に鼻息荒く襲われるとかマジで勘弁。――あ。でも、さすがに周囲に知られたら、お前確実にぶっ殺されるから、秘密な。周りの連中には、床で寝た、ってことにしといてくれ」

「それは構わないが――」

「んじゃな。はー、疲れた。俺もさっさと風呂入って寝よ」


 くぁ、と眠そうに欠伸を漏らしながら、何も気にせず脱衣所に入っていくイリッツァは、とても妙齢の女とは思えない。


「……脳みそが、混乱する……」


 パタン……と軽い音を立ててしまった扉を見て、リオはぽつりともう一度だけ呟いた。


 ◆◆◆


 遠くで微かにシャワーの音が響くのを聞きながら、リオはとりあえず寝台に横になる。

 まだ困惑しているのは事実だが、イリッツァがシャワーから出て来るまでベッドで仮眠を取り、出てきたら起きて床で寝るなり別室へ案内させるなりすればいい。

 とにかく今は、ほんの少しの間でもいいから、疲れ果てた体を休めたいと言うのが本音だった。


(あいつが自己認知している性別は男。それなら、女として扱うのはおかしいし、失礼な話でもある。もしアイツが本当に男なんだとしたら、それはそれで、野郎同士で同じベッドに寝るという状況もなかなか受け入れがたいが、幸いアイツは小柄でスペースには余裕がある。俺も疲れているのは事実だし――)


 疲れた体を横たえて、ベッドの端で瞳を閉じてもんもん、と考える。


(待てよ。そういえば聖女は、王国騎士団長と婚約をしているとかいう話がなかったか?それは、大丈夫なのか?)


 リアムと名乗る紅の装束を着込んだ童顔の青年が、ことあるごとに「団長に怒られる」と言っていたことを思い出す。


(いや、ちょっと待て。そもそも、もしあいつの自己認知が男なんだとしたら――男と婚約しているってのはどういう状況なんだ?政治的な思惑で、無理矢理婚姻関係でも結ばされたのか?)


 帝国に攫われたか弱い聖女を取り返した英雄の話は、ファムーラにも届いていた。その二人が婚約したことで、宗教色のあまりない祖国では、めでたいことだと騒がれていたのもよく知っている。

 だが――内情を知ってしまった今、リオの頭の中は混乱を喫していた。


(とてもじゃないが、あいつの素を見たら、女らしさなんか皆無だ。男の裸を見ても筋肉の付き方に真っ先に注目するし、自分の筋肉を憂うし、俺の顔を見てもうるさく悲鳴を上げないし、同衾することすらどうでもいいと言い出す。野郎に襲われるなんか勘弁、とまで言い切ったんだ。本当に心は男だとしか思えない――そんなアイツが、男らしさの塊みたいな、あの騎士団長と婚約って、どういうことだ……?)


 とてもじゃないが、本人の意志とは思えない。


(大丈夫なのか?そもそも、部屋を一歩外に出た瞬間から、仮面か何かを被るみたいにして『聖女』になり切る奴だぞ。普段から滅茶苦茶に無理をしているんじゃ――)


 取り留めなく考えているうちに、さすがに寝不足が祟ったのだろうか。

 いつの間にか、睡魔に襲われ、意識が混濁していく。


(カルヴァン・タイター……軍人として比類ない男だと聞いていたし、一度剣を交えてみたいと思っていたが……人嫌いと言われ、神に最も近づいた男とまで謳われた奴が、聖女を『仕事』だと言い切り、複雑な性自認をしているあいつを受け入れられるのか?)


 うとうとしながら次々と浮かんでは消える疑問。もはや、夢現の合間で浮かぶそれらに回答を考える気力さえない。

 寝入ったことにすら気づかないほど自然に意識が白濁し、睡魔に完全に捕らわれ――


「ん……リオ、もうちょいそっち。……駄目だ、完全に寝てんな。まぁ、昨日も今日も相当頑張ってくれたし、無理ないか。………ま、ちょっと狭い気がするけど、今の俺女だし、イケるだろ。うん」


 何か、遠くで女の声が聞こえた気がした。

 その後、もぞもぞとすぐそばで何かがうごめく気配がする。

 ほんの少しだけ、意識が浮上し――


「うん、イケるイケる。よし。……んじゃ、リオ、おやすみ」


 間近で声が聞こえて――


「――――――――っっ!!?」


 ふわり、と鼻腔を擽った石鹸の香しい香りと、女特有の柔肌が身体に触れる感覚に、一瞬で意識が覚醒する。

 バチッと瞳を開けて身体を起こすが、寝つきが良い、と言っていたイリッツァは、その言葉通り、既に寝入ってしまったようだ。すー……と昨日と同じ穏やかな寝息を立てて、無防備な寝顔を晒している。


「おい。――おい……!」

「ん……むにゃ……」


 だらだらと心で冷や汗をかきながら声をかけるが、イリッツァはよほど疲れていたのか、起きる様子はない。

 絹のようなうっとりする手触りの銀髪がシーツに散って、祖国の雪を思わせる抜けるような白い肌からは、風呂上がりの香りがふわりと漂っている。


(これは――駄目だろう!!!何が、かはわからないが――とにかく、駄目だろう!!!)


 脳みそが混乱するどころの話ではない。

 起きているときは、イリッツァの言動は男に近いから、”混乱”で済んでいた。

 だが、眠っている今は――どこからどう見ても、女にしか見えない。


(コイツの性自認が何だとか、どうでもいい!俺が、今のこの状態のこいつと同じ寝台で寝ることに、とんでもない後ろめたさを感じる!それだけで理由は十分だろう……!)


 バッと身体を起こして、イリッツァを残し、寝台を出る。ガシガシ、と髪をかき混ぜて、なぜか走り出した心臓を必死になだめた。

 徹底的に”女”という存在を避けて生きてきた人生だった。女から逃げるために軍属になったと言っても過言ではないほどだ。

 女を見る目がまるでゴミを見るようだと、祖国の知人に揶揄されたことは数知れず。さすがに角が立つから口に出して肯定はしなかったが、気持ちの上では、本気でごみを見る目で見ていたと思う。

 その自分が――”女”を相手に、振り回される日が来るとは思わなかった。


「……勘弁してくれ……」


 チッ、と口の中で舌打ちをしてから顔を覆って呻く。

 結局、リオはその日はそのまま、石床の上でごろりと横になって眠ったのだった。

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