第16話

 その後、リオは宣言通り一睡もすることなく検査を続けた。イリッツァは、途中で少し仮眠を取ったものの、夜の大半をリオの作業を眺め、記録作業など出来ることは積極的に手伝いながら過ごした。

 結果、当初は昼ごろまでかかるだろうと思われていた作業は、朝日が昇るころには何とか完了した。


「助かった。礼を言う。お前のおかげで想定よりかなり早く終えられた」

「いや、良かったよ。原因はわかりそうか?」

「あぁ。かなり顕著な結果が得られた。ここまで傾向が偏っているなら、昨日直接患者と接した部下からの報告と合わせれば、追加で検体を用意する必要はなさそうだ。感謝する」

「そっか。なら、良かった。……ふぁ……じゃあ俺、もうちょっとだけ寝る……朝食まで、少しだけ時間あるし……」

「あぁ。すぐに寝入れるように、入眠の魔法をかけておくか?」

「うんにゃ、大丈夫……俺、寝つきも寝起きもいいから……」


 布団に入ってむにゃむにゃと言いながら少女が瞳を閉じると、程なく穏やかな寝息が聞こえてきた。


「便利な奴だな……いや、難儀な奴でもあるが……」


 ぽつり、とリオは呆れたようにつぶやく。

 昨夜も、ずっと夜通し作業をするリオが傍にいるせいで、気が散って眠れないのではと心配し、自分で光魔法をかけることを提案したのだが、イリッツァはその申し出を同じように断った。

 イリッツァの言葉によると、彼女は規格外の魔力を有しているため、睡眠の魔法などという初級魔法は、逆に加減が難しく、一度かけると昏々と眠ってしまうらしい。仮眠には適さない、と言ってあっけらかんと笑う少女に、リオはどんな顔をしていいかわからなかった。

 かと言って、今のように気を遣って代わりに自分が魔法をかけてやる、と言ってみたところで、あまり返答は変わらないらしい。


「聖女――か」


 昨夜、少女がリアムと交わしていた異様な会話を思い出し、嘆息する。

 一晩、互いに気安い言葉を交わして理解したイリッツァと、リアムの前で見せた”聖女”のイリッツァは、まるで別人だった。

 何より、イリッツァは聖女の”仕事”と言ってのけたのだ。


(ファムーラこちらの考えを押し付けるつもりも、他国よその事情に口を挟むつもりはないが――この国には、人権だのなんだのっていう考えはないのか?)


 剣術を愛し、屈託なく笑い、真摯に頭を下げて国のために医療を学びたいと申し出たイリッツァを思うと、どうにもやり切れない思いが浮かぶ。

 彼女は、信者の前で素の自分を出すことが出来ない。それどころか、自由に国外に出ることすら――


「いや……まぁいい。まずは、やるべきことをやる」


 スヤスヤと穏やかな寝顔を晒すイリッツァを前に、ふるっ……と頭を振って余計な考えを締め出してから、リオは検査結果を記録した台帳を手にその部屋を後にしたのだった。


 ◆◆◆


 事態は、昼前までに急激に進展した。


「へ……?み、水……?」

「あぁ。検査と診察に当たった部下の話から、発展途上で上下水の管理が不十分な国や水質汚染が起きた街でみられる症状に近いと判断した。この街の上下水の管理はどうなっている?」

「そんな――ちゃんと上下水は分けて管理されていますし、そもそも見習いの聖職者たちが季節の始まりに定期的に解毒の魔法を施して――あ……」


 リオの報告を聞いて、そんなことがあるはずがない、と言いかけて言葉を止める。


「少し前に、大きな嵐が来て――大雨と強風で、家屋にも被害が出ました。川は氾濫し――一部、井戸が溢れたところもあると……」

「それだな。その時に、どこかの井戸――上水に病原菌が入り込んだ可能性が高い。それを摂取した人間から、一気に感染が広がっていった」

「確かに――嵐が来たのは春の終わりで、その後すぐにこんな状態になったので、定例の解毒作業などをしている場合ではないと、まだ魔法を施せていません」


 責任者として報告を受けるアランは蒼い顔で俯く。

 だが、今は過去の責任問題を追求する場ではない。隣で聞いていたイリッツァはリオを振り仰いだ。


「それでは――今すぐに王都中の水を解毒すれば解決するのでしょうか?」

「いや。それだけでは不十分だ。これは感染力が強い。汚染された水を直接摂取しなくても、下痢や嘔吐物の処理をするときに感染すると証明されている。水の解毒は確かに最優先ですべきだが――これ以上の感染を広げないためには、まずは、看病をする側も正しい知識を以て当たること。それから、一度感染した人間は、菌を完全に外に排出しない限り症状を繰り返す。薬草で強制的に汚染された腸内を綺麗にしてやる必要があるだろうな」


 リオの指示に、イリッツァもアランも真剣な顔で頷く。

 たった一日で寝る間も惜しんで原因究明をしてくれた彼らの指示に反する理由などどこにもなかった。


「薬草に関しては、俺たちが持ってきたものもあるが、この患者数を思えば、とてもじゃないが数が足りない。初期に感染したり、体力や抵抗力が少ない子供や老人の中には、命の危険があるほど衰弱している人間もいると聞く。そういう患者に優先的に配分するにしても、早期に追加で大量に用意する必要がある」

「薬草――どこで手に入るものなのでしょうか。薬師という存在は、王都にはいませんし――」

「ファムーラから取り寄せる――にしても、時間がかかるな。そもそも、温暖な気候で育つ薬草だ。ファムーラでは採れる時期が限られているせいで、国内の貯蓄を思えば、無限に提供が出来るものでもない。事情を説明したうえで、多少の交渉が必要だろう。勿論、万が一に備えて、今日にも早馬を出して祖国からこちらに送らせるが、近隣で調達出来れば話は早い」


 言いながら、リオはぎゅっと指で眉間を摘まむようにして考え込む。

 睡眠不足の頭を必死に回転させて、何かを思い出そうとしているらしかった。


「――森」

「?」

「地図上では、王都の東に、森があったはずだ。そこに薬草が生えていないか、捜索隊を出したい。これだけ温暖な気候なら、運が良ければ十分な量が採集できるだろう」


 リオの言葉に、アランはイリッツァをチラリ、と伺うように見る。

 その視線の意味を正しく理解し、イリッツァは困ったように眉を下げた後、ふるふる、と頭を振った。


「?……なんだ。何か問題があるのか」

「いえ。……大丈夫です。かの地は、初代クルサール王が、旧帝国の時代から長らく王都の民を苛み続けた恐ろしい魔物を討伐した森でした。その偉業をたたえ、我らは『聖なる森』と呼んで、祭事のときでもない限り、許可のないものは足を踏み入れることも出来ないのですが――そのような理由であれば、神も、初代王も、お許しになられるでしょう」


 イリッツァの発言に、少し気遣わし気な空気を纏わせたリオだったが、すぐに目的のために取れる手段として譲れないと思ったのだろう。瞳を閉じて余念を祓い、こくり、と頷いた。


「理解を示してもらい、助かる。薬草の知識がある俺たち医療団の人間と班を組んで森を捜索し、採集にあたる部隊を編成してほしい。人海戦術になるだろうから、一定の人数が必要だ」

「上水の解毒に回る人員も必要ですね。とはいえ、症状を訴えて今日もやってくるであろう患者を放置も出来ないですし――」


 どうしたものか、とアランが頭を悩ませた瞬間、コツッと背後で足音が響いた。


「それでは、森の捜索には、騎士団の人手をお貸ししますよ」

「リアムさん!」


 にこり、と笑顔で進言するのは、童顔の騎士。

 医療団の動向を探っていただけあって、リオの報告もこっそりとどこかで聞いていたらしい。


「いくら聖女様がお許しになったとはいえ、『聖なる森』に足を踏み入れるには抵抗がある民が殆どでしょう。それが、異国の人間と共にと言うのなら、なおのこと――ですが、神に仕える騎士が、民を救うために森に踏み入るというのなら、納得する者も多いはずです。我が国が初めて魔物に武力で勝利した、記念すべき聖地ですからね。騎士には似つかわしい場所でしょう」

「まぁ……言われてみれば、確かにそうですね」


 詭弁を弄すリアムに、苦笑を漏らして同意する。


「医療団の皆さんは、本当に心を尽くして、異文化に戸惑っているだろうに必死に向き合ってくださった。そして、本当に鮮やかな手並みで、早期解決の糸口を見つけてくださった。この報告には、カルヴァン団長も納得するでしょう。騎士団を動かすことに、異を唱えることはないはずです」


(……そういえば、医療団の動向を疑ってたんだっけ。そんなの、リオの態度を見てれば杞憂だってすぐにわかるのに――まぁ、そういうのを疑うのも、大事なんだろうけどさ)


 リオは、意見が対立したときに『俺は医者だ』と言い切ってイリッツァに真っ向から異を唱えた。寝る間を惜しんで気が遠くなるような膨大な検査を、責任者であるリオ自ら、延々と集中を切らさずに続けてくれた。光魔法ですべてを対処するのは、彼らの常識からすれば非効率と思えただろうに、王国の文化に配慮して、その方法を尊重してくれた。

 そのせいでリオの検査作業を手伝う人員を割けなかったにもかかわらず、文句も言わず独りで黙々と続けていた。

 イリッツァに、自分に構わず先に寝るように促したのも、”聖女”という存在の特殊さに理解を示し、人民の心の支えである彼女が翌日も倒れず彼女の”仕事”を全うできるように、という配慮だろう。

 リオが連れてきた医療団も皆、誰一人文句を言う人間などいなかった。言葉が拙い者もたくさんいたが、それでも懸命に聖職者たちと意思疎通を図り、患者を一人でも救うために奔走してくれた。

 リアムも、それらを見て、彼らに悪意はないと判断したに違いない。


「そうですね。万が一カルヴァンがごねるようなことがあったら、私もリアムさんと同意見だと伝えてください。最後は『五月蠅い黙れ』と言ってくださって構いません」

「あの、鬼のような団長に笑顔でそんなことを言えるのはイリッツァさんだけですよ……ホントに……」


 聖女の微笑みで有無を言わさずきっぱり言い放つイリッツァに、リアムは苦笑しながらつぶやく。

 報告書の最後に、必ずイリッツァの一言を書こうと心に決めたのだった。

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