第15話

「お前が自分を男だと認識しているなら、なおさらこんな煩わしいものは必要なかったな」

「へ?」


 好きに手元を見ていろ――と言われて作業を覗き込もうとしたところ、リオが外した色眼鏡をひょいっと手の届かない所へ乱暴に投げ遣ったのをみて、イリッツァは疑問符を上げる。

 リオは面倒くさそうにため息をついた後、作業台へと向き直った。


「この瞳の色が王国では迫害対象だと思ったから隠していたというのは嘘じゃない。だが――祖国でもこれをかけているというのも、嘘じゃない」

「え……?な、なんで……?ファムーラじゃ、その色を気にする人はいないって――」

「迫害はされないな。だが――妙に目立つのは一緒だ」


 何か嫌な思い出でもあるのか、リオはぐっと眉間にしわを寄せて不機嫌に呻く。

 きょとん、と眼を瞬くイリッツァに、リオは説明を続けた。


「お前は、ルロシークという男を知っているか」

「あっ!あの、歴史上最強って言われた男――!魔封石を嵌められた状態でも炎を出して見せたっていう――」

「そうだ。よく知っているな」


 名前だけは聞いたことがある――程度の認識かと思っていたが、具体的なエピソードを口にしたためリオは少し驚いた顔をする。

 大陸史上に残る賢君として有名な建国の祖ミレニアはともかく、その夫というのは、ファムーラにルーツを持つ者でもなければ存在を知ることはないだろうと思っていた。


「そのルロシークが、こういう瞳だったらしいんだ。当時、奴隷だったルロシークは、身分的にも瞳の色でも迫害されていて――だが、ファムーラでは昔から、知らない者がいないくらいの人気者だ。建国者のミレニアが愛した夫ということで、理想の夫婦像として名前があるのはもちろんだが、彼が成し遂げた功績も大きい。……どうしても、帝国や王国に比べれば、ファムーラは人口は少ないからな。その中で、さらに軍人になろうなんていう人間はもっと少ない。いくら、地の利があるとはいえ、それだけで他国の侵略を防ぎ切るのは難しい」

「そ、そうだよな……雪中行軍の辛さは確かにあるけど、訓練と魔法使いの起用である程度は対策できるし――」


 軍事談義は、イリッツァにとって何より心が躍る趣味の話題だ。

 予想以上に食いついてきたイリッツァに、チラリと視線を飛ばしてから、リオは言葉を続ける。


「俺たちは、大陸有数の豊富な鉱物資源の産地だ。高級な布織物でも一目を置かれている。……まぁ、要するに、昔から帝国も王国も垂涎の金脈を持っているってことだ。軍事侵攻の危機にさらされたことは数知れない」

「ぅ……それは、歴史で習うから知ってる……」

「まぁ、戦わないに越したことはないからな。外交で何とか出来るところはしてきたんだが、どうしてもってときは戦わなきゃいけない。……それを見越して、少数精鋭でも、大陸最強と謳われた軍国主義国家イラグエナムに対抗できる軍事の基礎を作ったのが、ルロシークだ。男たちは、最強の誉れ高い彼の偉業を、幼少期から憧れを持って聞くんだが――問題は女だ」

「お、女……?」

「無駄に人気が高い。残っている肖像を見ても、相当整った顔立ちで描かれているからな。その上、愛妻家としても有名だった。夫にするならルロシークのような男を――っていうのは、うちの国じゃ当たり前のように母親が娘に聞かせる言葉だ」

「へ、へぇ……まぁ、仕方ないんじゃ……?」

「そうだとしても、面倒だろう。――同じ色の瞳というだけで、昔から、女たちが五月蠅い」


 吐き捨てるように言ったリオに、思わずその顔を凝視する。

 長い睫毛に彩られた瞳は、確かに美しい。色眼鏡で隠してしまうのがもったいないと思っていたが――


「もしかして……そのせいで……?」

「あぁ。……時々、うちの一族では出るんだ。先祖返りなのか何なのか知らないが、ミレニアみたいな綺麗な翡翠か、ルロシークみたいな真っ赤な色をした瞳の人間が。男女が逆なら問題ないんだが、男で紅い目だと最悪だ。幼少期からキャーキャーと五月蠅く騒がれることこの上ない」

「ぅ……ぅおぉ……それは……ご愁傷様」


 不機嫌の極み、という様子を隠しもしないリオに、イリッツァは苦い顔で同情する。

 自分も、昔からフィリアと瓜二つの外見だったせいで、ナイードにいたころから聖女聖女と言われ続けていたから、何となくその境遇はわかる。

 ナイードの民は気の良い人間ばかりだったから、煩わしいことはなかったが、聖女フィリアの面影を排除してイリッツァ個人を見てくれ、と頼んだところで難しかったであろうことは想像に難くない。

 

「王国や帝国と違って、普段なら血統なんてものには一切興味を示さないお国柄なくせして、ここぞとばかりに血統に注目しては特別視されるのは、たまったもんじゃない」

「血統……?」


 イリッツァの疑問符に、あぁ、とリオは初めて自分がフルネームを名乗っていなかったことを思い出す。


「リオ・ドゥ・ファムーラ。俺は、建国の時代から脈々と続く一族の出だ。……ファムーラには、分家だの宗家だのって概念はないから、どれくらいの血の濃さなのかはわからないが」

「!」


 くぁ、と欠伸をかみ殺しながら手元に何かを書きつけて、どうということもないように言うリオに、驚きに息をのむ。

 カルヴァンから聞いた、心を躍らせる異国のおとぎ話が、急に身近なものに感じられた。


「だから、昔から女が嫌いなんだ。黄色い声でキャンキャン叫ばれるのは本当に鬱陶しい。顔を見て、ルロシークの再来だなんだと言われるのはもっと煩わしい。髪の色も肌の色も違うのは肖像を見ればわかるだろうに――」


(……まぁでも、騒ぎたくなるような外見ではあるからな……)


 イリッツァはルロシークの肖像を見たことがないため比較のしようがないが、少なくとも一般基準と照らし合わせて、リオがとんでもない美青年だと言うのは疑いようがない。

 心底同情しながらも、まだ見ぬ異国の女性たちが騒ぐ気持ちも何となくわかってしまって、否定も同意も出来ずに黙ってぼやきを聞く。


「この瞳を隠すだけで、だいぶ煩わしさは減る。外に出るときは、視力が弱いと偽って眼鏡をかければいい。あとは、男社会に飛び込めば、幼少期から頭を悩まされた煩わしさからは解放される。だから俺は、この職に就いた」

「え……医者、って男が多いのか……?」


 男女問わず職業選択の自由があると聞いていたので、少し驚いて聞き返す。

 ファムーラには、軍人になる女すらいると聞いていたので、そこに男女の別があるとは意外だった。


「いや?……俺は軍医だ。女で軍に属する奴もいるが、まぁ、少数派なのは事実だ。普通の医者になるよりは職場に女が少ない」

「へっっ!!?」


 予想外の返事に、イリッツァは素っ頓狂な声を上げる。

 するとリオは、逆に呆れたようにイリッツァを見返した。


「まさか、どれだけ長期間になるかもわからないこんな任務に、普通の開業医が派遣されるわけがないだろう。自分の病院の経営が立ち行かないし、患者も困る」

「いや――え、いや、そうかもしれないけど……ぐ、軍医……?って――」

「軍属の医者のことだ。軍の中では将校と同じ権限を持つ。有事の際に、本陣で傷病者の手当てを請け負う人間だな」

「な、なるほど……王国じゃ、基本的にそういうのも全部聖職者が請け負うから――」

「それもそれで凄いけどな」


 司祭だの修道士だのといった者が、ぞろぞろとした法衣を着て本陣に詰めている様を思い描いて、リオは鼻の頭に皺を寄せた。


「連れてきた部下は、皆、軍医の卵と衛生兵だ。知識はちゃんとしているから安心してもらっていい」

「そ、それは心配していないけれど――」


 言いながら、はた、と気が付く。

 知識階級だと聞いていたのに、信じられない速さで王都までやってきた医療団。握手をしたときに気付いた、リオの掌にある剣胼胝。リアムの脅しに、一切狼狽えることのなかった姿――


(……全部、”軍医”だから、なのか……?)


 もしも、軍医という存在が、戦争時に本陣に詰める王国の聖職者たちと異なる存在だと言うのなら、医者よりも軍人に近い存在なのかもしれない。

 それならば、彼らが移動に馬車ではなく軍人のように馬を駆っていたことも、リオの剣胼胝も理解できる。リアムの脅しに対しても、剣を用いた戦いに長じているのであれば、白刃を見ただけで無様に狼狽えることもないだろう。

 思い付きを確認したくなったイリッツァは、興味本位で尋ねてみる。


「なぁ。……軍医、ってどうやってなるんだ?」

「普通に、医者を志す人間が、就職先として病院ではなく軍を選ぶのが一般的だな。俺は少し特殊な経緯だが」

「と、特殊――?」

「最初から軍人になるつもりで生きて来て、普通に軍人採用試験を受けた。まぁ、そこで――色々あって、軍医にならないかと声をかけられて、そちらの道に進んだ。俺の一族は昔から、軍人か、政治家か、医者になる奴が多い。姉も、国立病院で女医をしているし、医者という仕事自体に抵抗はなかった。――女のいない職場で働けるなら、なんでも」

「ぶれないな、お前……」


 飄々と言ってのけるリオに、半眼で呟く。

 道理で、女性蔑視のような発言が口をついたわけだ。彼の言う”公私混同”という部分なのだろう。どやら、筋金入りの女嫌いらしい。


「医者としての仕事も、嫌いではないが――俺個人としては、剣を振っている方が好きなんだがな」

「そっか。……俺も、聖女の仕事は嫌いじゃないけど、剣を振っている方が楽しいから、気持ちはわかる」


 ふ、と吐息を漏らすように笑うと、リオも口の端に微かに笑みを浮かべる。


「俺も部下も、有事に備えて、日ごろから体を鍛えている。体力に関しては職業軍人と変わらないと思ってくれていい。好きにこき使ってくれ」

「あぁ。それを聞いて、安心したよ。ファムーラじゃ医者は知識階級だって聞いてたから、教会の冷たい石床で雑魚寝させるのが申し訳ないなって思ってたんだ」

「雨風がしのげるところで寝られるだけ快適だと思うような連中ばかりだ。文句は言わないさ」


 くっ、と喉の奥で笑う。

 ここへ来てから初めて彼が見せる笑みに、イリッツァは、彼が心を開いてくれたと実感してほっと安堵の息をついた。


「俺さ。実は昔から、ずっと、ファムーラに行ってみたかったんだ」

「ふぅん……特に観光資源があるわけじゃないから、来てもがっかりするんじゃないか?寒くて痩せた大地が広がる、面白みのない国だ」

「そんなこと言うなよ。大事な祖国だろ」


 はは、と笑いながらイリッツァは想いを馳せる。


「さっき、リアムとのやり取りを見ただろ。『聖女』ってのは、この国じゃちょっと特殊な存在なんだ。そう簡単に国外に出ることなんか出来やしない――まぁ、本来、王城の外に出ることすら出来ない存在だったんだから、それを思えば、今はだいぶ好きにさせてもらってるのは事実だけど」

「――……」

「俺は、自分が聖女だって知った時から、そういう運命だって受け入れて生きてきたけど――やっぱり、心のどっかに、憧れってのはある。一面の銀世界とか、歴史上最強と謳われた男の伝説とか。見事な織物や、宝石。広場に立ってる銅像ってのも――リオは、面白みがないっていうかもしれないけれど、見てみたい。……一度でいいから、見てみたいなぁって、思うよ」

「……そうか」


 ぽつり、とこぼされた相槌は相変わらず平坦な響き。

 王国の”常識”を一方的に断じぬようにしながらも、イリッツァの心情を慮っての返事なのだと伺えて、イリッツァは苦笑する。

 無表情で無感動な、不愛想な男だと思っていたが――意外と、優しい所があるのかもしれない。


「色々落ち着いたら、さ。聞かせてくれよ。ファムーラのこと」

「……あぁ。無事、この騒動が落ち着いたら、必ず話すと約束しよう」


 穏やかな月光が、静かに部屋に差し込んで、ゆっくりと温かな時間を包み込んでいた。

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