第14話

 リオはイリッツァの視線から逃れるように軽く頭を振って、ふー……と深くため息を吐くと、そのまま、再び机の端に置かれていた色眼鏡を身に着ける。


「えっ……あの――」


 夜間の作業にそれは、さすがに視界が悪いのではないか――そう思って思わず声をかけようとしたが、すぐにリオは背を向けてしまう。


「祖国では気にならないんだが――この国の人間にとって、この瞳の色は、気味が悪いんだろう。……俺の先祖が、かつてこの国で、瞳の色が理由で酷い迫害を受けたという記述が残っている」

「えっ……!!?」


 驚きのあまり、小さく声を上げて聞き返すと、ちらり、と色眼鏡の下の紅い瞳がこちらを向いた。


「知らないのか?……血の色だとか炎の色だとかいって、不気味だと蔑まれていたようだが」

「ししし知らないです!確かに、貴方は真紅と言って差し支えないほどなので、あまり見ない色なのは事実ですが――た、例えば、この国でも、赤銅色の瞳などは見たことがあります。そのほかにも、赤系統の色の瞳の人間は生まれますし、迫害を受けるほどの理由はありません」

「赤銅色――あぁ。有名なバルド・ガエルか。出身はカイネス領だったな。地理的にも近いファムーラの血が混じりやすいだろうし、確かにあまり違和感はないのかもしれない」


 言われてから納得したように、リオは頷く。


「そ、そうです!彼は国民的な英雄でしたし、歴史上はじめて、王族でも聖人でもないのに国葬で弔われたほどの男でしたから、その外見的特徴は好ましく受け取られていたはずです。……そもそも、人間を謂れなく差別し、迫害することは、聖典でも禁止されています。だから、旧帝国で当たり前に施行されていた奴隷制度を、初代クルサール王は禁止し、奴隷身分を解放したと言われているくらいで――」

「……そうなのか。俺は、王国に来たことがなかったから知らなかった。今は、だいぶ受け入れられているんだな」

「そうです!」


 王国の民が、謂れなく差別意識を以て人々を迫害するような人種だと思われては敵わないと、必死に弁明するイリッツァに、リオはふぅん……と小さく相槌を打つ。


「も……もしかして、そのせいで、色眼鏡をしていたのですか?ずっと……?」

「あぁ。無用な争いの種を自分から撒くことはないだろう。……そもそも、エルム教徒は異教徒に対して苛烈だと書物で読んだことがある。大前提、俺たちはエルム教信者ではないからな。そもそも受け入れられにくいのはわかっていたが――その上、外見的特徴で排他的に扱われ、協力を得られないのは本意じゃない」

「そ、それは気を遣わせてしまって申し訳ありませんでした……でも、私たちは、改宗の使命を負っていますから、異教徒だからと全てを排除するわけではありません。改宗の見込みがある民には手を差し伸べますし――王国憎しと決めつけ、光魔法を否定して迫害していたかつての帝国民のような、明らかな敵対者でなければ、基本的に、隣人を愛すべしとのエルム様の教えに従う国民性がありますよ」

「そうか。それはこちらの勉強不足だった。すまなかったな」

「い、いえ……わかっていただけたなら、何よりです」


 再び作業に戻りながら背中で返事をするリオは、いつも通りだ。

 話が途切れて、不意に訪れた沈黙に、イリッツァは少し考え――意を決して、リオの作業台へと近づく。


「?……なんだ。寝るんじゃなかったのか」

「いえ、その――興味が、ありまして」

「……興味?」


 怪訝な顔で、リオはイリッツァを振り返る。


「はい。……私たちにはない、文化と技術。まるで魔法のようなそれを、学んでみたいと思ったのです」

「――――……」


 じっ……とリオは無言でイリッツァを眺める。

 煙水晶の眼鏡の奥にある、男でも見惚れてしまいそうな美貌を思い出して、イリッツァは少し居心地が悪そうにコホン、とわざと咳払いをする。


「その――私たちには私たちのやり方がある、尊重しろ、と啖呵を切った手前、とても恥ずかしいのですが……現実問題、私たちのやり方では、今回の件に太刀打ちが出来ていないのは事実です。民を救うためなら、私は何だってしたい。だから――貴国の不利益にならない範囲で、教えを乞うことは可能でしょうか……?」


 長い睫毛を伏せて真摯に頼むイリッツァに、リオはしばらく手を止めて見つめていた。


「……まぁ……こちらとしても、先ほどは言い過ぎたと思っていた。謝罪しよう」

「あ、いえ、それは別に――」

「国家間の協力体制の話に、俺の個人的な感情を入れて、公私を混同した。すまなかった」


 言ってから、少し迷った後、眼鏡をはずし、頭を下げる。

 息をのむほどの美丈夫が頭を下げるのを、イリッツァは慌てて手で制した。


「い、いえその、大丈夫です。お互い、誤解があったようですし――」

「いや。あれはこちらが悪かった。王国の積み上げた歴史と実績をこちらの一方的な物差しで測り、軽んじたことも勿論だが――そもそも、お前個人としても、”女”扱いをされるのは我慢ならなかっただろう」

「――へ……?」

「知らなかったとはいえ、すまなかった。俺はそっち方面は専門じゃないから詳しくないが――想像するだに不快だっただろう。個人の尊厳を傷つけたという意味でも謝罪させてくれ」

「は、はい……?いえ、あの――え??な、何の話ですか……?」


 どうにも、何か話が嚙み合っていない気がする。

 昼間、不毛な言い争いをしてしまったのは、互いに言葉を尽くさなかったからだ。

 反省を生かして、違和感を放置せずに尋ねると、リオの真紅の瞳がパチパチと瞬いた。


「?……お前は、”女”扱いされるのが嫌なんじゃないのか」

「え……?いや……あのとき私が怒りを覚えたのは、女扱いをされたからではなく、人のことを性別でひとくくりにしてレッテルを張って断じた行いが耐えがたかっただけで――」

「そうなのか?――だが、自分のことを”俺”と言っていただろう」

「――っ!!?」

 

 ゲホッと思わず変な所に空気が入って咽る。

 吸い込まれそうな紅い瞳が、咽るイリッツァの顔を見つめたあと、すぃっとその身体へと視線を移す。

 いつぞや、王都一の女たらしに身体を値踏みされるように見られた時とは違う、真紅の感情を宿さない視線は、ファムーラからやってきた医療団が患者にしていた診察のそれに他ならない。

 ――単純に、リオが不愛想なだけかもしれないが。


「身体の線が出ない法衣を着ているせいでわかりにくいが、相当体を鍛えているだろう」

「はっ……ははははっ!!!?な、なんのことやら!!?」


 乾いた棒読みの笑い声をあげて無理矢理話を流そうとするが、リオの視線はイリッツァの右手に移る。


「握手をしたときに、違和感はあった。王国は、女が肉体労働をすることは稀で、軍人になることも出来ないと聞いていたが――お前の掌は、剣の心得があるように思えた」

「そそそそそそれはっっ!!!」

「部屋にも剣がある。刃こぼれもしていないから、よほどこまめに管理をしているんだろう。作られてからそう年数も経っていないように思えるが、柄のあたりは随分使い込まれた跡がある。日常的に振られている証明だ」

「う、うぐっ……」


 部屋の隅に立てかけられた訓練用の剣を見ながら展開されるぐうの音も出ない正論に、イリッツァはついに反論の言葉を飲み込んで押し黙る。

 剣を見ていたリオの紅い瞳が、すぅっと再びイリッツァへと戻ってくる。

 ひた、と薄青の瞳を無感動な瞳が見据えていた。


「だから――お前の認知している性別と、周囲が認知している性別に乖離があるのでは、と考えた。察するに、周囲には隠しているようだが――もしそうなら、どんな理由であれ、お前を”女”として十把一絡げに断じたのは、より耐えがたかったのではないかと思ったんだ」

「ぅ……ぅぅぅ……」


 イリッツァは呻きながら頭を抱える。

 ――合っているような、間違っているような。


(でも、うまい言い訳が思いつかねぇ……!)


 流石、ファムーラが誇る知識階級。それも、今後の国家間の関係改善の責を負って派遣されるほどの男だ。見た目から察するに随分と若いが、洞察力も、頭脳の回転も目を見張るものがある。

 だが、イリッツァの件に関しては、事実は少し異なる――とはいえ、それを説明したところで、頭がおかしいと思われるだけだ。

 いや、そもそも、信じられてしまっても困る。

 今この時代に――『稀代の聖人』リツィードの魂が蘇っている、などと知ったら、この国民は一体どんな反応を示すのか。彼らの平穏な日常をハチャメチャにしてしまいそうで、怖くてたまらない。


「え……っと……まぁ……はい。ソウデスネ……」


 結局イリッツァは、心の中で聖印を切って神に嘘を吐く罪を懺悔してから、相手の論に乗っかることにした。


「そうか。……改めて謝罪しよう。悪かった」

「イエ……ダイジョウブデス……」


 素直に頭を下げる青年に罪悪感が募り、血を吐きたい気持ちだ。イリッツァは頬を引き攣らせながら、何とか言葉を絞り出す。


「昼間、お前が修道士に叫んだ言葉は、だいぶ粗野な言葉だった。あれが本来のお前の口調なのだろう。普段は隠しているのかもしれないが――これも何かの縁だ。俺は医者だ。偏見もないし、気にもしない。俺の前では、普通に話せばいい。俺も、お前のことは女ではなく、男だと思って接する」

「は……ははは……」


(ヴィーに知られたら、きっと滅茶苦茶怒られるな……これ……)


 迂闊すぎる、と顔を赤くして怒る婚約者の顔が浮かんで、乾いた笑いが漏れたのだった。

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