第11話

「リアムさん。貴方こそ、こんな夜更けにどうされたのですか?」

「いえ……夕方、団長への報告書も終わったので、色々な所に顔を出して手伝いを買って出ていたのですが、夜になってそれも一段落したので――光魔法も使えない俺は休んでも大丈夫だと言われまして。そうしたら、イリッツァさんが独りで裏庭に向かっていくのが見えたので、夜も遅いし、お声をかけようと」

「あぁ……なるほど。心配してくださったんですね。ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。寝る前に少し、水を飲みに来ただけです」


 蜂蜜色の髪が蒼白い月光に照らされているのを見ながら、イリッツァはふわりと聖女の笑みを浮かべて信者を安心させる。


「まぁ……貴女に何かあったら、俺が団長に殺されますから。過保護に思われるかもしれませんが、せめてお部屋までお供いたします」

「ふ、ははっ……ありがとうございます」


 この不憫属性を背負った童顔の騎士が、上司に八つ当たりされている様が容易に浮かんで、イリッツァは軽く笑いながらその申し出を受ける。

 読んでいた手紙を折りたたみ、ポケットにしまうと、リアムがそれを見て声を上げた。


「あ。……もしや、それは団長からの――?」

「はい。……リアムさんが仕事をさぼらないかしっかり見ておいてくれ、とのことです」

「はぁ……よく言いますね……サボれない量の仕事を吹っ掛けてくるのは団長なのに……」


 苦労人の憂鬱なため息に、イリッツァはふっと笑いながら何気ない口調で口を開いた。


「私とリアムさんが初めて逢った時のように――本来の職務を忘れて、口説いたりされないかが心配だ、と言っていましたよ」

「――……なるほど……?」


 長く一緒にいると、口癖が移るのか。リアムは、ぽつり、と口の中で上官の口癖を呟く。

 イリッツァは、相変わらず感情の読めない聖女の完璧な微笑みを向けて、言葉を続けた。


「心変わりは心配してないから、その時はリアムさんの尻を蹴飛ばして、協力してやってくれとのことです。……リアムさんも、いつも無茶な仕事を任されて大変ですね。何かあったら、いつでも言ってくださいね」

「あぁ――はい。なるほど。理解しました。そうですね。……俺も、聖女様のご理解を得られるなら本当に助かります」


 イリッツァの言葉の意図をリアムも正しく汲んで、苦笑と共に頷いた。


(本当に、イリッツァさんはすごい。団長が手紙の中に残した一見してわからない裏のメッセージをちゃんと読み取るなんて――賢い、というより、付き合いが長いから、なのかな……?)


 手紙は、燃やしてでもしまわない限り、証拠が残る。

 今、リアムが密命を受けて、隣国を疑い諜報活動まがいのことをしているなどと公になれば、ファムーラとの関係に大きくひびが入るだろう。

 当然、リアムに届いた手紙も、リアムにしかわからない暗号で指示が記入されていた。

 どうやらイリッツァには、暗号ではない形で、「リアムはカルヴァンの指示で何らかの密命を負っている」「周囲にそれと知られぬように何かを探っているが、違和感があっても深く追求せず協力してやってくれ」というメッセージを込めたらしい。


「団長のことだから、イリッツァさんに逢いに行けないことを嘆いて、不敬罪で投獄されかねないようなことをつらつら書き連ねる熱烈な恋文でも送ったのかと――」

「まぁ、後半はそんな感じでしたね。あの人も、随分と暇な男です」

「……なんだろう。俺、生まれて初めて、あの人が不憫だと感じました」


 どちらかというと、カルヴァンが伝えたかったのは前半の業務連絡ではなく、後半の恋文部分だっただろうに、しれっと流されているのが不憫でならない。

 吐息を漏らすように笑いながら、イリッツァは自室へと足を向ける。

 

「リアムさんは、今日、何か不便はありませんでしたか?立ち入れない場所などがあれば、明日以降、何らかの便宜を図りますが――」

「あっ、いえ、大丈夫です!今のところは――あ、でも、まだ数名、ここへ来てからお会いしていない医療団の方々がいるので、彼らが今請け負っている仕事内容とよくいる場所を教えていただけるとありがたいです」


 ”協力”の申し出をすると、リアムは聖女の手を借りることに恐縮しながらもおずおずと申し出る。どこで誰が聞いているかわからないので、誰に聞かれても怪しまれないような言葉を選んで。

 

(ふぅん……なるほど。医療団の動向を探りたいのか。政治的な観点で何かあったのかな。……ま、そこらへんは頭のいいヴィーとリアムに任せるけど)


 親友程ではないものの、それなりに察しのいいイリッツァは胸中で一人完結する。


「勿論、構いませんよ。誰にお会いしたいんですか?」

「えっと――まず、一番気になっているのは、何よりも責任者の――」

「あぁ。リオさん、ですか。では、このまま挨拶をして行ったらいかがでしょうか」

「……へ?」


 ちょうど目的の部屋の前だ。平然とイリッツァが発した言葉に、ぱちくり、と鼈甲の大きな瞳が瞬かれる。


「え゛……ちょ、待ってください。ここって、イリッツァさんの私室としてあてがわれた――」

「失礼します。入りますね」


 イリッツァは、自室としてあてがわれているはずの扉をコンコン、と軽くノックしたかと思うと、声をかけてから開け放った。


「……あぁ。戻ったのか」


 ぼそり、と聞き取りにくい低い声で呟いた後、机に向かって一心不乱に何かの作業をしていたらしきリオが、キィと椅子を鳴らして振り返る。


(――うぉ。びっくりした)


 さすがに、夜間は見えにくいのか――

 降り注ぐ月光を背にするようにして振り返った男の顔に、見慣れた色眼鏡がかかっていないことに驚き、思わずその顔を凝視する。


「……?なんだ」

「あ、いえ――」


 間抜けな顔で凝視したせいか、怪訝な顔で尋ねる言葉に応える前に――


「ちょ――待ってください!!イリッツァさん!これはどういうことですか!!!」


 キャンキャンと五月蠅い、狂信的な信徒が喚く声が部屋に響き渡った。

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