第12話
真っ青な顔で声を上げたリアムに、驚いて振り返る。
「えっ……?どういうこと――とは……?」
リオに会いたいと言ったのはリアムだろう、と思いながら怪訝な顔で見返すと、リアムはわなわなと両手を震わせ、イリッツァに言い募る。
「ここは、聖女様の私室――寝室でしょう!?」
「は、はぁ……まぁ、そうですね」
「どうして、そんな神聖不可侵な場所に、異国の見知らぬ男が我が物顔で鎮座しているのですか!!!」
「――――……あー……」
イリッツァは半眼で後ろ頭を掻いて視線を逸らす。
忘れていた。――自分は確かに、聖女だった。
本来、王城の奥深くにある神殿に閉じ込められ、俗世とのかかわりを捨てて、お世話係をはじめとするごく限られた人間とだけの接点を持ち、孤独に生きる、神の化身。
たとえ、今は特例としてカルヴァンと共に暮らすようになったとはいえ、敬虔な信徒の中では、今でも聖女は神に等しい神聖な生き物であり、俗世の人間が気安く接して良いような存在ではないのだ。
それが、異教徒――それも、性別が男という時点で最悪だ――に、神の化身が束の間の休息地として定めた部屋を占拠させるなど、リアムのような男にとっては、とても看過できぬ問題なのだろう。
「仕方なかったんです。教会内の部屋はどこも、患者で溢れていて――それ以外は、調理場や洗濯場などしか残っていませんし――彼が、病の原因を突き止めるための作業場として十分なスペースを確保でき、集中出来るような場所は、もはやここにしかなかったのです」
「いやいやいやいや!!!何をおっしゃっているのですか!!?本来、同じ部屋で息を吸うことすら許しがたいのに!」
(お前は面倒なときのヴィーか)
独占欲を露わにしたときの我儘放題な婚約者の顔が思い浮かんで、思わず心の中でツッコミを入れる。
気付かれないように呆れたため息をついた後、にこり、と聖女の微笑みを作る。
「大丈夫ですよ、リアムさん。今、最優先すべきはこの未曽有の事態の収束であると、エルム様もおっしゃることでしょう。そのために、隣人に最良の環境を与えることに、どうして異を唱えることがありましょうか」
「っ……で、ですが――!」
聖女は、神の声が聞こえるものだと思い込んでいる信者も多い。リアムは、”神”の名前を出されてぐっと言葉に詰まる。
「便や尿の検査は半刻程前に終わった。聖女の私室だと聞いていたから、一応気を遣って、処理も清掃も終えて、念のため風の魔法使いまで呼んで換気をした。今も、窓は全開だ。俺はずっとこの部屋にいるからわからんが、さすがに臭いはもうなくなったんじゃないか?」
何やら言い争うイリッツァとリアムのことなど気にも留めず、リオは既に机に向き直り、真剣な顔で手元の試薬に血液を垂らし、反応を見ては手元の用紙にガリガリと何かを書きつけながらぶっきらぼうに告げる。
「そ、そういう問題ではありません!第一――貴方、いつまでここで作業をするつもりですか!?」
「?……勿論、終わるまでだ。そうだな……まぁ、明日の昼前には終えられるか」
チラリと残っている検体に目をやってから、くぁ、と口の中で軽く欠伸をかみ殺し、淡々と次の試薬を手に取るリオは、わなわなと手を震わせるリアムが何を言いたいかなど察するつもりもないのだろう。
「あっ――ありえません!貴方がここで作業をしていたら、イリッツァさんはいったいどこで寝れば――」
「?……そこに寝台があるだろう」
くい、と顎で示されるのは、シーツを軽く整えられた寝台だ。
「さすがに一睡もせずに徹夜するのは効率が悪い。換気の最中、少しだけ仮眠を取らせてもらったから、俺はもう使わない。好きに寝ればいい。俺は気にしない」
「な――!あ、ああああああああ貴方が気にしなくても、クルサール全国民が気にします!!!」
聖女が横たわる神聖な寝台に、あろうことか先に横たわって仮眠を取っていたと知り、もはやリアムは顔を青ざめさせている。本気で神罰が下ってもおかしくない。
「ま、まぁまぁ、リアムさん」
「イリッツァさんも!!なんでそんなにのんきでいらっしゃるんですか!!!」
「大丈夫です。先ほども言いましたが、神も、きっとこの事態の収束が最優先だとおっしゃいますから……」
「ですがっ……ですがっ……!」
困ったように眉を下げてなだめるイリッツァを前に、ふるふると握った拳を震わせる。
「神罰など下りません。私が皆さんをお守りしますから。――ね?」
ふわり、と優しく完璧な微笑を讃えられてしまえば、リアムはそれ以上言い募ることは出来ない。
ぐっ……と息を飲み込んだ後、苦々しく口を開いた。
「聖女様のお言葉です。信者として引き下がれ――という言葉には、本意ではありませんが、一応納得しました。ですが――」
「?」
「これを知ったら……鬼の騎士団長は……きっと黙っていないと思うので……」
「あー」
人一倍独占欲が強い婚約者の顔が脳裏に浮かんで、思わず半眼になり、呻きながらすぃっと視線を逸らす。
「念のため言っておくが――もしも、俺が聖女を襲わないか心配しているんだとしたら、見当違いも甚だしい。そんな暇があったら、一つでも多く検査をこなす。この非常事態に、下らないことを考えている場合じゃないだろう」
「ほ、ほら……リオさんも、ああ言っていることですし」
背中を向けたまま視線一つすら寄こすことなくぶっきらぼうに告げるリオは、本当にイリッツァに興味があるようには思えない。
「せめて、夜の間は他の場所で作業をしてもらう――とかは出来ないんでしょうか?」
「いちいちこれを片付けて場所を移せ、と?そして、朝になって皆が起き出して来たら、また片付けて場所を移すわけか?……効率が悪い。却下だ」
リアムの申し出も、すげなく却下されてしまう。
確かに、今もリアムやイリッツァにはわからないたくさんの器具が机の上に広げられており、これを一度鞄にしまい、持ち運んで再び広げるだけでも大変そうだと言うのは理解できた。
「どうしても俺と同じ部屋で寝ることが問題なら、聖女が別の部屋で寝ればいい。どこかの部屋で寝ている男と場所を交換すればいいだろう」
「ぅ……い、イリッツァさん、念のためお聞きしますが――」
リアムが苦しそうな顔で振り返るが、イリッツァは小さく嘆息してふるふる、と無言で頭を振った。それだけで、リアムは状況をすぐに察する。
今、この敷地にあるすべての寝台は、患者のために使用されているはずだ。聖職者たちは、寝台でゆっくりと眠るなどということは出来ず、交代で床に転がって仮眠を取りながら夜通し治癒に当たっている。
唯一、患者のために使われていない寝台がここにある物であり、それはつまり、国の宝たる聖女のための特別待遇に他ならない。
もしも誰か男の修道士と場所を交代――となれば、聖女を雑魚寝部屋の床に転がして、自分が独りベッドで悠々と眠る、ということになる。そんなことを、敬虔な信者である教会関係者が許容出来るはずもなかった。
(だけど、聖職者にこの状況を報告したら、また話が大きくなって――検査は滞ってしまうだろうな)
困り果てて、リアムは憂鬱なため息を吐く。
イリッツァに言われるまでもなく、今の最優先事項が、リオが滞りなく検査を進めることだと言うのは理解しているが――
「あの……リアムさん。大丈夫ですよ」
「いやいや、駄目ですって。神が許さないですし、そもそも団長に殺されます。待ってください、今、夜の間にやろうと思っていた団長からの指示をどう都合付けるかを考えているので――」
リアムの言葉に、ぴくり、とイリッツァの眉が動いた。
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