第10話
それから再び、夜まで目まぐるしい忙しさは続いた。
ひっきりなしにやってくる患者対応はもちろんだが、ファムーラからやってきた医療団たちとの”常識”の差に驚いた。
王立教会のメンバーは、やってきた患者の症状が重いか軽いかで振り分け、簡単な主訴を聞いた後に誰に治癒を任せるかを決め、魔法を施していくのだが、そのやり方にファムーラの人間は強い懸念を示した。
曰く――それでは何もわからない、というのだ。
とはいえ、患者は待ってくれない。対応するこちら側がまごついていて、処置が遅れる者が出ては本末転倒だ。
仕方なく、症状が軽い患者を一度ファムーラの人間に任せ、重傷者を重点的に教会メンバーで対応することにしたのだが、根本から対応が異なった。
まず、症状についての聞き取りが、驚くほどに詳細だ。今現れている症状が何か、だけではない。いつごろから症状が出たのか、直近で何を食べてどんな生活をしていたのか。痛みを訴える箇所があれば、必要に応じて触って押して、痛みの具合を推し量ることもある。
そしてそれらを全て細かく記録し終えてから、魔法で治すのか、薬で治癒を測るのかを考える。
しかし、薬というものに馴染みのない王都民は皆、処方された薬をいぶかしんだ。それを一人一人納得させるハードルの高さを感じたのか、最終的には皆光魔法で対応するようになったようだったが、どれだけの患者が押し寄せようとも、症状の聞き取りだけは決して妥協しなかった。
患者の回転率が下がる、と言ってぼやく聖職者もいたが、イリッツァはその王国の常識とは全く異なるアプローチの仕方に強い興味を示した。
(もし、あれで薬を処方して返せるなら、俺たちはもう少し魔力を温存して接することができる……聖職者がぶっ倒れる確率が減るわけだ)
見ていると、光魔法の練度もかなりのものだと言わざるを得ない。最小限の魔力で的確に症状に作用するよう、繊細な魔力の練り方をしていることが、はた目に見てもよく分かった。
流石に、光魔法の練度や技術に関しては負けているとは思わないが――それでも、彼らがここまで高度で繊細な魔法を使えるとは思っていなかった。
(駄目だな……どうしても、先入観を持ってみてたみたいだ……)
ファムーラの”医療”は帝国の薬師の知識と光魔法を合わせたものだと言う。勝手に、きっと彼らの光魔法の練度は高くないと思い込んでいたのだ。
たった一日足らずで今までの常識が次々と覆っていくのを実感しながら、イリッツァはふぅ、と額の汗を拭って一息つく。
夜になると、よほどの重症者以外の来訪は減る。交代で休憩をするなら、夜の内だ。
「聖女様。そろそろ、お休みになっていただいて――」
「はい。わかりました。それでは、後は任せます。皆さん、お休みなさい」
にこり、といつもの聖女の笑みを浮かべて礼拝堂を後にする。見れば、ファムーラからの強行軍でやって来て疲労がたまっているだろう医療団のメンバーも、かわるがわる仮眠を取ってはいるようだが、必ず誰かが処置に当たっていることが見受けられた。
他国の患者――それも、信条も常識も全く異なる環境下で――に心を砕いてくれることに感謝しながら、イリッツァは己に割り当てられた部屋に向かいつつ、思い出したようにポケットを探った。
(そういや、ヴィーからの手紙――まだ読んでなかったな)
リアムの予想通り、夕方には手紙が届いていたのだが、丁度重症を訴える患者が押し寄せたタイミングで、天手古舞だったため、とりあえずポケットに封筒を突っ込んで――そのまま、この時間になるまで忘れていた。
同時に手紙を受け取ったリアムは、手紙を届けた使者と一言二言言葉を交わした後、その場を任せてふらっとどこかにいなくなってしまった。何か特別な言伝をカルヴァンからもらっていたのだろう。
「今のうちに、読んでおくか。水も飲みたいし」
見れば、今日は随分と月が明るい。燦々と降り注ぐ蒼い月光は、今夜がよく晴れた満月であることを示していた。
井戸のある裏庭の方へと足を進めながら、封を切って中身を取り出す。
性格はたちの悪い悪童のようなのに、彼の書く字は昔から妙に大人びて整っている。そのアンバランスさに懐かしさを覚えながら、イリッツァは月明りを頼りに手紙を読み進めた。
「……ん……?」
手紙を読んで、妙な違和感を覚える。
半分ほどざっと目を通した後に、もう一度ゆっくりと最初から注意深く読んで行った。
『親愛なるツィーへ
報告が終わったらすぐに俺も行くと言っていたのに、リアムだけを帰すことになってしまって悪かった。
あいつはしっかり働いているか?
初めてお前にリアムが逢った時のように、俺が任せた本来の仕事をうっかり忘れてお前を口説いたりしていないかが心配だ。
お前の心変わりなんぞ疑っちゃいないが、部下の職務怠慢を見過ごすわけにもいかない。俺がそこにいられない分、アイツがサボっていたら本来の職務を思い出せと尻を蹴飛ばして協力してやってくれ』
(……なんだ、この手紙……)
美しい眉を顰めて、首をかしげる。
気付けば井戸の目の前までたどり着いており、少し考えてから、懐に手紙をしまって、とりあえず水を汲んで微量な疲労回復の光魔法を練り込み、飲み干した。
ふぅ、と息をついてから、もう一度手紙を取り出し、しげしげと眺め直す。
「アイツが、わざわざこんなこと言うか……?」
呆れて、半眼で月明りの下で踊る妙に几帳面な文字を見つめる。
確かに、第三者が見ればいつものカルヴァンらしいと言うだろう。
わざわざ隔離されている王城から急いで手紙をよこしたくせに、自分が連れてきた医療団について触れることもなく、今の未曽有の事態についてすら話題に出さず、ただイリッツァが自分の部下に口説かれていないかを心配するなど、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。いうなればこれは、ただの恋文に他ならないのだから。
さすが神の化身たる聖女を人目もはばからず溺愛する、神をも恐れぬ騎士団長だと言われるに違いない。
だが――
(――本気で俺に恋文を送りたいと思ったら、あの自由人かつ下半身暴れ馬の女たらしは、そもそもリアムのことすら話題に出すわけないんだよなぁ……)
誰かに聞かれたらただの自惚れにしか思えないだろうが、長い付き合いから導き出される事実なのだから仕方がない。
あの女に対しての扱いがクズの中のクズとしか言いようのない少年時代に、カルヴァンが恋文などという面倒くさいものを書いていたところなど見たことがない――し、女の名前を呼ぶことすらなかったと言っているような男がそんなことをするとも思えない――が、彼が道端で女を引っ掻けているところだけは、何度となく兵士時代に見てきた。
あの灰褐色の瞳を意味ありげに眇めて色っぽい流し目をしながら、甘い言葉で女を褒めて腰砕けにして、サラッと宿屋街の方へと腰を抱いて連れて行く鮮やかな行為は、彼曰く女を落とす「ゲーム」感覚だったらしい。いつか必ず特大の神罰が下るだろうと思って、代わりにエルム様に許しを乞うてやったものだ。
彼にとって女を口説くと言うのは、いわば、
(もし本気で俺に恋文送ろうと思ったら、アイツはどうせまた、抱きたいとかそういう下らない下ネタをぶっこんで来るか、こっちが赤面するくらいほめ殺して来るか、ストレートに愛してるだのなんだのって恥ずかしい言葉を列挙するかだよなぁ……)
もう一度首をひねって、一応最後まで目を通してみる。
すると、後半は――イリッツァの当初の想像通り、砂を吐きそうなほど甘く胸焼けしそうな文言が、ここぞとばかり踊っていた。
「……暇人かよ……」
呆れながら、もう一度イリッツァは違和感を覚えた冒頭へと視線を戻す。
(第一、あいつは確かに女たらしだし、自由人だけど――ああ見えて、馬鹿みたいなワーカホリックだぞ。今この状況で、わざわざ俺に意味のない恋文なんか書く暇があったら、医療団との意思疎通が簡単になるような言語返還の早見表を作るとか、医療団で解決できなかった時のための次の一手を考えるとか、そういう実のあることをする男だろ。こんな手紙をわざわざ急いで、夕方に届けさせたっていうのが、そもそも違和感なんだよなぁ……)
むむ……と唸りながら、もう一杯水を飲む。
「リアムと初めて出逢ったときのように――?」
イリッツァは、カルヴァンの手紙に書かれていた文言を思い出し、記憶をたどる。
リアムと初めて出逢ったのは、ナイードの教会だった。
カルヴァンと一緒に訪れてきて――教会嫌いのカルヴァンを外に置いたまま、リアムだけを中に案内し、祈りを捧げるのに付き合った。
「あの時、何話したんだっけ……いや、そもそも口説かれたっけ……?」
確かに、何度か「結婚したい」というような発言をされた記憶はある。だが、それが話の主旨ではなかったはずだ。
何か、別の話をしている合間に、脱線するようにしてそうした話題に飛んでいただけだ。
そう、あの時話していたのは――
「――――――あ。なるほど」
記憶をたどって、カルヴァンが手紙で伝えたかった真意に思い至るのと同時――
「イリッツァさん?こんな夜更けにどうされたんですか?」
童顔の騎士が、月明りに照らされながらこちらへ歩いてくるところだった。
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