第8話
しばらくの沈黙の後、王に告げられた言葉に、カルヴァンは間抜けな声を返した。
思わず顔を上げるも、分厚い障壁は国家最高権力者の表情を伺わせてはくれない。
「今、王都の中で安全と言えるのは、この王城の、さらに限られた一画のみだ。面会を謝絶し、徹底的に外部との接触を排除するその区画に――お前も控えてもらう」
「ちょ――お、お待ちください。意味が――」
「宰相も、外交官も、既に病に倒れた。今、我が国は、かつてない危機を迎えている。未知の病と――それに伴う、周辺諸国との関係の変化、という危機だ」
「っ……!いや、それはわかりますが――!」
後ろのリアムは一瞬話の展開に付いて来られなかったのか、怪訝な顔をしたが、カルヴァンはすぐに王の言葉の意図を正確に把握する。
何せ今、過去の帝国との戦争をきっかけに、周辺諸国との関係性は、とても微妙なものなのだ。
大陸最大の宗教国家たるクルサール王国が、思いのほか周辺諸国からの支持を得ていないことが露見したばかりである。
未知の病で王都が封鎖され、国家としての機能が実質凍結していると周辺諸国が知ってしまえば――
――今、王国にある十二のどこかの領土に武力で攻め入り、掠め取ることすら、容易だろう。
戦争になった時の主力たる王都の兵士団も、周辺諸国が震えあがる戦力を有した紅の騎士団も、救援に駆けつけることはないと証明しているも同然なのだから。
「最も不安なのは、かつての宿敵たるイラグエナムだ。……お前の申し出を受け、確かにこの未曽有の事態を収束できるのはもはやファムーラに頼るほかないと考え、覚悟を決めたが――正直に言えば、他国に弱みを握らせたにも等しい。今は友好関係を築きたいと言っているイラグエナムだが、まだ、我らの関係は始まったばかり。どこまで信じられるか、疑わしい」
「いや、それはその通りですが――」
あのヴィクターに限って、今更手の平を返すことはないだろう――とは思うものの、それは彼の性格やここに至るまでの経緯を鑑みて、というだけの話だ。
もしも彼が国内で失脚するような何かがあり、再び王国憎しと考える勢力が実権を握ってしまえば、容易に緊張状態へ逆戻りするのは見えている。
そして――何よりも。
「っ……万が一の事態の時、ファムーラがどちらにつくか、わからない、ということですか……」
「あぁ。知っているだろう。――そもそも、歴史を顧みれば、ファムーラは王国よりも帝国と縁が深い。ちょうど今、かの国の元首は、初代元首の血を引く一族出身の者なのだろう。……なおのことだ」
ぐっとカルヴァンは言葉を飲み込み拳を握る。
先の戦争で協力を惜しんだときの元首は、革新的な政策を掲げて新星のごとく現れた無名の男だったらしいが、先の戦争での決断を国内から一斉に糾弾された。
友好国として信頼を築いてきた今までの実績を無に帰す行いであるという道徳的な観点の他にも、結果論ではあるが王国が勝利してしまったがために、これ以上ない弱みを王国に握られた形になったのだ。講和条約として、圧倒的に王国有利な内容が締結されたのを見て、国民は王国の衰えぬ勢力を垣間見、明日は我が身と怯えた。
そして、そんな事態に追い込んだ元凶はその決断を下した男なのだと、すぐに元首交代を望む声が大きくなったのだ。
結果、過去六百年の歴史の中で、何度も元首を輩出してきた一族の出身で有望株の男が次期元首として相応しいと票を集め、今は彼の元で地に足のついた政策で着実に国家が一つにまとまりつつあると言う。
(だが、初代元首はもともと、旧帝国の皇族出身――今の帝国の初代皇帝とは血を分けた兄妹で、そのおかげなのかは知らないが、彼女が在位中は勿論、その後も百年以上、あの地は帝国の軍事侵略から免れ続けた実績がある。何より、血筋を大陸中のどの国より尊ぶイラグエナムだ。こじつけでも何でも、今のファムーラ元首は、帝国と友好関係を築きやすいのは事実……ヴィクターの母親は、その一族の出身らしいしな)
ファムーラにある初代元首の銅像と同じ、翡翠の瞳を持った褐色の肌の軍服を纏う伊達男を思い浮かべて、思わず頬を苦く歪める。
「他国を頼った時点で、短期解決は必至だった。ファムーラならそれが叶うと、賭けたのだ。……だが、それが叶わないと言うのなら――隣人の裏切りも念頭に置いた、最悪の事態に備える必要がある。今、この状況で、頭の切れるファムーラとの貴重な交渉役を、失う訳にはいかない。……何、短期で解決するようならば、問題はない。お前が今回まとめてくれた条件は、短期解決するなら双方の落としどころとしてはちょうどいい。ファムーラにも、我が国にも利がある状態で、今後の関係の正常化も図れるだろう。だが――代々、あの一族出身の政治家は、交渉事に長ける者が多い。外交官も宰相も王都から出ることが叶わなくなった今、お前は貴重な、今後状況が変わったときに直接交渉の場に着くことができる人材だ。解毒の魔法がかけられた隔離部屋に、このまましばらく滞在してもらうぞ」
ごくり、と後ろでリアムが唾を飲むのを聞きながら、カルヴァンは苦い顔でうつむいた。
王都とそれに連なる十二の領地を持ち、そこに住まう民の安寧を守るため、疑うべきを疑い、最悪の事態に備えるのは、彼が賢君であることを何よりも示していた。
義理と人情だけで、政治は回らない。それは、歴史が証明している。
「……では、リアムを俺の手足として使わせてください」
「む……?」
「隔離が必要だと言うのなら、手紙のやり取りで連絡をとります。有事に備えて各領地に置いてきた部下たちへの指示もあります。勿論、王都で教会の手伝いをしている部下や――俺が連れてきた医師団の同行を把握する必要もある。考えたくはないですが、もしも彼らが、ファムーラの密命を受けていて、俺たちの弱みを握ったと不穏な動きをする場合、現地での交渉をじかに見ていたリアムであれば、すぐに違和感に気付ける。……ただでさえ疲弊している教会の連中は、降って沸いた希望に縋るしかないだろうから、疑わしいことがあっても口には出来ない。政治的思惑がどうのこうのより、まずは人命のことしか考えられないだろう。その点リアムなら安心して任せられる。敬虔な信者のふりをして現場に紛れ込み、実情を事細かに報告させられる」
「なっ!?」
振りも何も、心の底から敬虔な信者だと名乗っているリアムは心外だと言わんばかりに後ろで声を上げるが、カルヴァンはしれっとした顔で言葉を続けた。
「コイツは意外に器用な男です。頭も悪くない。愛国心もある。信仰と信念のためなら、どこまでも冷徹になれる男です。スパイのようなことも何食わぬ顔でやってのけるでしょう。……この通り、一見すれば人畜無害な顔をしていますので、怪しまれにくいのは事実です」
「……何でしょう。あまり、褒められている気がしないんですが」
ぶつぶつ、と口の中でリアムが小さくぼやいているが、黙殺する。
「……わかった。では、書面での外部とのやり取りに関しては許可をしよう。しかし、状況が動くまでは、許可された人間としか接するな。身の回りのことは全て、限られた従者と許可を得た近衛兵が行う。……不便をかけて申し訳なく思うが、堪えてくれ。カルヴァン・タイター」
「……不便が云々というより、俺はやっとの想いで王都まで帰って来たのに、またしばらく嫁に逢えないことが不満なだけです。アイツをここに呼んでくれるなら、俺は別に何の文句もなく半永久的に引き籠ります」
むすっとして不機嫌につぶやくと、王が小さく嘆息する気配が伝わった。
「我らとて、それは一番最初に打診した。神の化身たる聖女様を、未知の病で失うなどあってはならん。伝染病の可能性があるとわかった瞬間、真っ先に”神殿”に居を移し、外界と隔離をすべきだと進言したのだが――」
王の徒労感の滲む苦い声に、くくくっ……とカルヴァンは喉の奥で笑う。
長い付き合いだ。――彼女がその申し出を受けて、何と答えるかなど、容易に想像がつく。
「聞き分けるわけがないでしょう。――目の前に苦しみ、救いを求める信者が列をなしているのに、彼らを置き去りにして自分だけが安全地帯に引っ込み、事態が収束するのをただ待っていろと言ったところで、あの綺麗な顔で一喝されて終わりだ」
「……よくわかっているではないか」
はぁ、と重いため息を吐く初老の男に、カルヴァンは再び笑いを漏らす。
彼らにとっては死活問題なのだろうが、あの、聖女の顔で厳しく一喝されれば、信者は誰一人逆らえない。
そういうときの、凛とした美しい婚約者の横顔を想像しながら、どこまでも想像通りな幼馴染に笑いが堪えられない。
――そういう所も、どうしようもなく彼女らしくて、愛しい。
「まぁ、安心してください。さすがに一か月以上、最前線で患者とふれあい、誰より熱心に働いているだろうツィーが、病に罹患していないとは思えない。もしこれが命にかかわる重篤な病で、それにもかかわらず下らない政治の陰謀に利用されそうだと言うなら、派遣された医療団を人質として脅してでも――ここでは口に出来ないほどもっとえげつない手を使ってでも、俺の持てる全てを使って何が何でもファムーラに全面協力を約束させます。……まだ、嫁にしてないんだ。やっと助け出したアイツを、こんなところで失う訳にはいかない」
カルヴァンの言葉に、王は額に手を遣り、ふるふると疲れた仕草で頭を振った。
この王国で、信仰心が皆無――どころか、愛国心すらどこかに置き去りにしてきたとしか思えぬカルヴァンに、政治的な思惑に協力させようと思えば、方法はただ一つ。
国の宝たる聖女で釣るしかない。
そんな方法は不本意極まりないので、神罰を恐れる信者としては、決して故意に仕組むことは出来ないが、今回はたまたま、イリッツァ自身が治癒の最前線に留まると言ってくれたことが、功を奏したと言えるだろう。
「本当に聖女様が罹患されているのだとすれば、それは我らとしても国家として取り組むべき最重要課題だ。ことが公になれば、神罰に怯え、健康な民すら夜も寝られなくなる。我らは同じ方向を向いていると思ってくれていい」
「それはありがたい」
くっ、と喉の奥で笑うカルヴァンは、相変わらず国家最高権力者を前にしているとは思えぬ態度だ。後ろでリアムが胃をキリキリさせて、ハラハラしている空気が伝わってくる。
カルヴァンはくるりと振り返り、案の定顔を心なしか青ざめさせている補佐官にニヤリと笑った。
「と、いうわけだ。――俺に『えげつない手』を使わせたくなければ、せいぜいスパイ活動を頑張ってくれ、神に仕える聖なる騎士サマとやら」
「ほんと……いい性格してますよね、団長……」
敬虔な信徒たる童顔の補佐官は、聖印を切って天を仰ぐ。そこには、全てを捧げるに相応しい神エルムの見事な天井画が描かれていた。
周囲の人間と手を取れと説く、エルム教。
異教徒を排除することに躊躇はないが、改宗する見込みのある者には優しい、エルム教。
無宗教の人間も多いと聞くファムーラ共和国の人間には、手を差し伸べ、エルム教のすばらしさを伝え、寛大に接するのが本来の教義に則った姿だが――この上官は、相手を疑い、笑顔で欺き、利を得てこいと命令するのだ。
しかし、それこそが神に愛されたこの国家を守ることであり――神の寵愛を一身に受ける『聖女』を護ることにつながると言われれば――
「わかりましたよ、やればいいんでしょう、やれば」
鼈甲の瞳の奥に冷たい光を宿し、いくらでも冷徹になれるのが、リアム・カダートという男だ。
彼は今の騎士団の中で誰よりも、信じる神のために己の身も心も命さえも投げ出すことを微塵も躊躇せぬ、騎士の中の騎士といって差し支えのない男なのだから。
「あぁ、頼んだぞ、リアム。無事に事態が収束したら、褒美に女の口説き方の一つくらい教えてやる」
「そういうトコですよ、ほんと……」
騎士を鼓舞するなら、神の名を出せば事足りるのに、そんな軽口を聞く上官に呆れてため息を吐く。
「……――ちょっと最近、気になっている団長の知り合いの女の子がいるんで、その子のこと教えてくれるだけで大丈夫です」
「あぁ――……お前の望んだ結果になるかは保証しないが、まぁ、首尾よく物事が進んだら一考してやろう」
ぼそり、と一瞬煩悩を出した補佐官の言葉に、隣国の使者として一度訪れた、中性的な美貌を持った黒髪の食えない人物を思い起こしながら、カルヴァンは悪童のようにニヤリと笑って答えたのだった。
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