第7話
見渡す限り、真っ白な、清廉潔白を象徴する王城の一室――
カルヴァンはこみ上げる苛々をぶつけるように、インク壺にペン先を突っ込み、手元の紙に強めの筆跡で文字を書きなぐっていた。
「チッ……なんで俺が、こんなことをしなきゃならん――!」
「も、ももも、申し訳ございません……!」
かつて鬼神と呼ばれていたカルヴァン・タイターの恐ろしさは、国民の誰もが知るところだ。
ここ一年半ほどは、歳の離れた婚約者を溺愛しているという噂も聞くが、不機嫌に顔をしかめて舌打ちする姿を前にすれば、凶悪な魔物を眉一つ動かすことなく次々と屠る、かつての鬼気迫る騎士団長の姿が思い起こされ、入り口に控えていた年若い近衛兵はぶるっ……と身体を震わせた。
己の危険も顧みず、魔物の噂を聞けばすぐに駆け付け、聖人の結界が無くなり絶望する国家を救ってくれる頼もしい英雄は、神にその心も身体も捧げているのだと、畏怖を伴いながら国中の民に囁かれていた。
同時に――彼は、人嫌いとしても有名だった。
どれほど凶悪な魔物を屠っても、長きにわたる偉業をどれだけ褒めたたえられようとも、驕ることもなく口の端に笑みの一つも浮かべることもなく、ただひたすらに騎士の使命を果たし続ける凄絶な背中は、神に全てを捧げるために人間らしい情を欠如させた、慈悲の欠片もない”鬼神”だと噂された。
人の身でありながら、最も神に近づいた男――そう讃えたのは、どこの詩人だっただろうか。
彼が当時、魔物討伐にのめり込んでいた本当の理由は、決して王国民たちが考えるようなものではなかったが、神に心身を捧げ、殉じることを美徳とする価値観のこの国において、過去のカルヴァンは、これ以上ない畏怖と尊敬の対象だったのだ。
最近はいつも、イリッツァの前で悪童のような人を食った笑みを浮かべているせいで忘れがちだが、不機嫌を露わにした精悍な顔つきは、若い近衛兵を恐怖で震わせるのに十分な威圧感を伴った。
この状態のカルヴァンを前に、平然といつも通りの調子で接することができるのは、イリッツァとリアムくらいなものだろう。
「おい」
「は、はははいっ!」
低い声と共にギロリ、と灰褐色がこちらを向いた途端、蒼服を纏った青年はビシッと敬礼して返事をする。
近衛兵ということは、彼は貴族の出身なのだろうが、騎士団長の肩書を持つカルヴァンは、平民出身であっても大貴族と同等の権限を持つ。
そして、残念ながら今、ここに不機嫌な大魔王の扱いを心得た有能な補佐官はいない。
哀れな若者に出来るのは、恐縮して暴君の言葉を拝命することだけだった。
「これを、リアムに届けろ。こっちはツィー――『聖女様』宛だ」
「は、はい!」
「リアムには、何かの作業の途中だったとしてもすぐにその場で返事を書けと要求しろ。……わかったら、さっさと行け」
「はっ!か、かしこまりました!」
二通の封筒を受け取り、ビシッと一部の隙も無い敬礼をしてから、くるりと部屋を出ていく。
それを見届けてから、ふー……と大きく息をついて天を仰ぎ、瞳を閉じる。ギッ……と長身を受け止めた背もたれが小さく鈍い音を立てた。
(王家の主張は、わからんでもない。国の一大事、使える手駒は温存すべきだ。宰相も特別外交官も病に倒れたと言うから、事態は本当にひっ迫しているの確かなんだろう)
カルヴァンは、どうしようもない現状に痛む頭を抱え、数刻前の出来事をゆっくりと思い出した。
◆◆◆
数刻前――いつものように報告のために謁見の間に赴き、カルヴァンは少し面食らった。
エルムの宗教画が見下ろすその荘厳な広間に、王の姿はなかった。――いや、見えなかった。
感染経路が判明していない今、国の司令塔たる王家を守るのは最優先事項だ。不用意な外部との接触は徹底的に避けられるのは当然のことだが――まさか、謁見者との間に分厚い幕を用意し、直接言葉を交わすことすら叶わないほどの厳戒態勢を敷かれているとは思わなかったのだ。
本来、報告の場に同席すべき枢機卿団の人間すら排除され、護衛も最低限の人数しかいない。
その辺りで、カルヴァンは王都からの手紙だけで把握していた事態が想定以上に重いのだと察した。
魔物討伐の報告もそこそこに、すぐにファムーラの応援を取り付けた報告をした。勿論、事前に手紙のやり取りで、ファムーラに応援を要請すること自体の許可はもらっていたし、応援を取り付けた後も早馬で知らせをやったため、概要は伝わっているだろうが、念のためだ。
カルヴァンが、ファムーラの言語に精通していたのは不幸中の幸いだった。王は、感染が疑われる外交官を派遣する危険を冒すことなく、カルヴァンを信頼し、現地で直接ファムーラと交渉をする許可を与えた。
そして、カルヴァンはイラグエナム帝国の新皇帝とすら対等に渡り合う比類なき頭脳を持って、しっかりと異国の地で与えられた役割を果たした。
「帰路で、ファムーラの医療団から、流行病に対する処置の方法を聞きました。彼らが過去、どこかで直面したことがある病であれば――直接ではなくとも、文献などで症例が残っているものであれば――収束することは可能とのことでした。しかし、全く未知の、彼らの知見すら及ばぬ病だった場合は、試行錯誤しながらゼロから治療薬を作ることになる――長期戦を覚悟してほしい、とのことです」
カルヴァンの報告に、初老を迎える王は、呻くようにして押し黙った。
既に、この混乱が生じてから、一か月以上が経とうとしている。ここからさらに”長期戦”を覚悟しろというのはつまり――王国全土に病が広がる可能性が高いことを示していた。
そして、今はまだ、王立協会の国家の粋を集めた光魔法遣いたちのおかげで、何度も命の危機に陥りかけた者たちが出てはギリギリのところで救命をされているため、死者は出ていないが、それも長くは続かないだろう。
「そうか……それでは、カルヴァン・タイター。お主には、しばらく、王城にとどまり、外界と隔離して過ごしてもらう」
「は……?」
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