第6話

「そ、それは――今すぐに、でしょうか」

「?」


 苦しそうに告げるイリッツァに、リオはチラリと視線をやって疑問符を示す。見れば、入り口に立っている修道士も、困惑したような顔をしていた。


「何か問題が?……まさか、エルム教の教義で、体液や便を提供してはいけない、なんてものがあるとでも?」

「いえ、そうではなく――血液はまぁ、ともかく――さ、さすがに、いきなり、民に尿や便を提供してくれと言っても、困惑されて拒否されてしまうと思うので、協力を要請するにも、理解を得るための時間をもらえたらと……」


 おずおずと告げるイリッツァに、リオは今度こそ呆れかえったため息をついた。


「さっきザッと目を通した患者の主訴に、喉の腫れや痛みは少なかった。腸からの熱の可能性が高い。検便は絶対だ。血液検査より優先度は高い」

「で、ですが、我々の文化にはそうした習慣はなく――」

「だから何だ。――もしもこれが、命にかかわるような重大な感染症だった場合、あっという間に王国が滅ぶぞ。羞恥だの困惑だの、そんな下らない感情に配慮している場合か」

「っ……!」


 ぐっと歯噛みするイリッツァに、リオは淡々と続ける。


「文化の違いは理解する。技術の遅れも理解した。だが、俺は医者だ。一つでも多くの命を救うために、ここにいる。最初に言っただろう。――エルムの教えだの、文化だのに配慮してやる余裕はない。ここからは、俺たちのやり方に従ってもらう」


 反論の糸口など欠片もない正論をぶつけられ、イリッツァは静かに俯いた。

 銀色の旋毛が物言わず向けられるのを見て、リオはチッ……と小さく口の中で舌打ちした。


「……これだから女は嫌なんだ」

「――――は――……?」


 思わず。

 ――低い声が出た。


 ゆっくりと顔を上げると、やれやれと言うようにリオは頭を振りながらぼやく。


「全く論理的じゃない感情論で、意味の分からん主張を繰り返す。命の危機の前じゃお前たちの感情など知ったことじゃないんだ。その聖女様の威光とやらで、さっさと人民の糞尿くらい集めてこい」

「っ――!」


 今までの態度が偽りだったかのように、明らかに侮りを含んだ言葉に、カッと怒りがこみ上げる。


「黙って聞いていれば、聖女様に何ということを――!」

「うるさいな。俺はエルム教徒じゃない。最大限譲歩してやっていたが、限界だ。ことは一刻を争うんだぞ」


 思わず修道士が詰め寄るも、リオの態度は変わらない。

 暴力とは無縁の修道士が、思わずリオに掴みかかりそうになったところで――


 バンッ


「わかりました!!では、まずは私のものから検査すればいいでしょう!!」

「「――――」」


 傍にあった机を思い切り平手打ちしてイリッツァが叫ぶと、男二人はピタリと静かになった。

 美しい相貌のこめかみにくっきりと青筋を浮かばせながら、イリッツァはやけくそのように言う。


「ここにずっと詰めている私も、何度か発熱しては自分で治癒を繰り返しています。患者という観点では、同じです」

「な――!?」


 修道士が焦った声を上げる。

 それもそうだろう。――イリッツァは、決してそんな素振りを一度も見せなかった。

 いつも、体調が悪いと感じると、周囲の者に気付かれる前に、すぐに自分で治癒をしていたのだ。

 人々の希望である”聖女”が倒れるなど、この非常事態では決してあってはならぬことだったのだから。


「この緊急事態に、女だからだのなんだのと言われるのは大変心外です!私は、女だから抵抗したわけではなく、民を守る存在故に、民が拒否を示すことを伝えただけです。勿論、私が聖女の威光を振りかざして命じれば、王国中の民がその場で糞尿くらい献上するでしょうが――貴方の、その、私の民と彼らが大切にするものを軽んじる発言や態度は、大変遺憾です!」

「――――」

「貴方たちの国には、貴方たちの国の歴史があり、私たちには私たちの紡いできた六百年の歴史がある。どちらが優れているとか劣っているとかではないでしょう!貴方自身が言った通り、私たちはこの方法で、事実六百年、一度も伝染病で国を亡ぼすことはなかった!」

「…………」

「ファムーラは『自由の国』ではないのですか……!?個性や文化を重んじ、男女の別すらなく、自由を重んじる国だと聞いていましたが――その国の使者として、その代表として、貴方のように”女”をひとくくりにして侮蔑する人間が派遣されてきたと思うと、とても信じられません」


 ギリッ……と奥歯を噛みしめ、イリッツァは言葉を言い切ると、くるりと踵を返す。


「私が民に、頭ごなしに命令するのは簡単です。でも、私は、彼らの感情を無視してそんなことをしたくない。……ですが、他でもない私が貴方たちに率先して協力したという事実があれば、民もきっといくらか抵抗が薄れるでしょう。そのあと、正式に民に協力を仰げばいい」

「なっ――お、お待ちください聖女様!」


 扉へ向かおうとしたイリッツァに追い縋り、慌てて修道士は入り口を背に庇う。


「ま、まさか――本当に、聖女様のものを献上するおつもりですか――!?」

「先ほどからそう言っているでしょう。どきなさい」

「でっ――でででで出来ません!!!!!」


 蒼い顔をした哀れな修道士は、両手を広げて全力で抵抗する。


「せ、聖女様にそんなものを提供させるなど――え、エルム様の怒りを買います!!!そんな不敬、許されるはずがありません!」

「大丈夫!神も民のためならば許して下さるでしょう!」

「そそそそそそんなはずがないです!!!ありえません!!!王国全土に特大の神罰が下ります!!!病から国を救った後、神罰で王国を滅ぼすおつもりですか!!」


 ぷるぷると震えて、しっかりドアノブを隠しながら男は叫ぶ。


「えぇい、うるさいですね……!この危機を前に、エルム様も、そんな尻の穴の小さなことは言わないはずです!」

「おおおおおおおおお考え直しを!!!仮に神罰が下らなくても、そんなことをさせたと知れたら、今度は騎士団長が暴れます!!!俺たち聖職者が全員、軒並み殺されます!!!」


 つい素の口調の滲ませるイリッツァは相当怒っているらしいが、そんなことは気にならないくらいに修道士もまた必死だ。

 拉致のあかない問答に、チッとイリッツァは舌打ちした。


「あぁもう、うるせぇな……!とにかく、俺がイイって言ってんだからイイんだよ!糞くらいいくらでも取って来てやらぁ!!」

「いいいいいいいいけません!!!教会の聖職者の全員の糞尿を献上しますから!!!しますから!!!!どうか!!!どうか後生ですから、それだけは――――!!!!」


 入り口で押し問答を続ける二人をじっと見つめていたリオは――


「――……”俺”……?」


 イリッツァが口走った言葉に、口の中で小さく疑問符を上げていた。

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