第2話
王都が未曽有の大混乱に陥った時、王国騎士団は、北の国境付近に出現した魔物討伐の遠征に出ていた。
イリッツァが聖女としての役目を果たすようになってから、かつてに比べてめっきりと出撃機会の減った騎士団は、貴重な遠征任務は騎士団の有用性を内外にアピールする良い機会だとして、目立つ騎士団長を連れた一行は大所帯で、道中通りがかる領民たちにも愛想を振りまきながら討伐に向かった。
当然、紅の装束に身を包む彼らを率いるのは、泣く子も黙る王国騎士団長カルヴァン・タイターだ。
彼本人としては、愛しい婚約者の傍を何日も無意味に離れるのが嫌だと言って、精鋭部隊でさっさと向かってさくっと討伐して帰って来たい、何なら自分は王都で待っていたいと遠征前に散々駄々をこねたのだが、律儀で仕事のできる補佐官と国王が最後まで許してくれなかった。
「よし、終わったな。さっさと帰るぞ」
「団長、帰り道はお願いだからむくれないでくださいね?別ルートで帰るんですから――」
「まっすぐ帰ればいいだろう」
「駄目です、国中に騎士団の有用性をアピールしないと税金泥棒って言われますよ。俺たちにとっちゃ死活問題です」
「全く……」
討伐が終了した森の中で、補佐官兼副団長でもあるリアムの声を聴きながら、カルヴァンは鼻の頭に皺を刻む。どうにもこの補佐官は口うるさい。
「ツィーが現れるまでの十五年、誰が国を魔物の脅威から守ってやったと思ってるんだ。その時の行いでチャラだろう」
「気持ちはわかりますが、そう言わないでください。あぁもう、最悪、当時のイメージ通りの憮然とした顔してていいんで、行路だけは当初の予定を守ってください!」
憮然として不機嫌を露わにする国の英雄を、不憫が板についてきたリアムは必死になだめる。
王都を離れて既に一週間ほどたっている。七日間も愛しい婚約者と離れて独り寝を強いられて、どうやらこの英雄は死ぬほど不満らしい。
帰るのにまたさらに七日も掛けねばならないことに、イライラを募らせているのだろう。
「先代聖女時代に作った主要街道を通って帰れば数日だろう。お前たち別動隊は来るとき何日かけた?」
「二日程度ですけども!あの道は、国を南北に両断して物流に特化してるんですから、途中の領民の目に触れないんです!」
「領民なんぞに行軍を阻害されないように作られた道だからな」
「だから今回の目的には沿わないって言ってるんです!」
王都の騎士団に応援要請が来るほどの火急の事態に、カルヴァンらも、まさか自分たちの対面を最優先して無駄に一週間も掛けるほど愚かではない。リアムが精鋭の別働隊を率いて、街道を最短距離を駆け抜けて真っ先に現場に赴き、討伐を始めていたのだ。
それが出来たのは、ひとえに先代聖女フィリアの時代に、彼女の夫であったバルドの故郷でもある国内最北端に位置するカイネス領への街道が整備されたことで、王都から北への移動時間が一気に短縮されたためだ。
昔から、王都から最も遠いカイネスは、魔物が出ても王都からの応援が間に合わず壊滅的な被害が出やすいことで有名だった。そこで、フィリアの結界で安全が確保されている期間に、街道整備を推し進め、機動力に優れた軍馬を持つ騎士団が風の魔法を使いつつ全速力で進めば、ほんの数日程度で駆けつけることが出来る直進路を作ったのだ。
結果、リアムたち先遣隊が大半の魔物を討伐し終えた後にカルヴァンたちの本体が到着し、本体は残りわずかとなった魔物の残党を殲滅しただけでこの任務は終わってしまった。
無駄足にも思える任務に、カルヴァンの不機嫌が加速したのは言うまでもない。
「駄目ですよ!今、俺たちに使われている国家予算が削減されたら、せっかく入団した新兵たちが使い物になる前にお役御免にしなきゃいけなくなります!」
「使えない奴なんかさっさと切ればいいだろう」
「駄目ですって!そりゃ、帝国との衝突の危険が無くなったのは事実ですが――その分、他の国との緊張感が高まっているのはご存知でしょう!?」
「まぁ……この前の戦争で、意外とこの国も、他の国から嫌われていることがわかったからな」
「き、嫌っ……そういう言い方はどうかと思いますけど!」
思わず誰かが聞いていないかと肝を冷やしながらきょろきょろと当たりを見渡すリアムは、相変わらずの心配性だ。
とはいえ、聖女を人質に取られて、約十五年ぶりに帝国と正面対決で大掛かりな戦争に発展しそうな軍事衝突を起こしたとき、周辺諸国に応援を頼んだにもかかわらず、手を貸してくれる国はどこにもなかったのは事実だ。友好国だと思っていた北のファムーラ共和国ですら、だ。
当時、王国の味方をすれば、すなわち帝国の敵であると意思表明をするも同義だった。
その昔、『赤銅色の死神』と綽名された最強の剣士の活躍によって不平等条約を結ばされたせいで、王国に戦争を仕掛けることすら出来なくなった帝国は、王国以外の国には精力的に領土侵攻をしては確実に力を付けていた。半面、王国は、聖人を失ったことで騎士団の活躍ばかりが目立ち、人同士の戦いで活躍する兵団の実力はどんどんと落ちて行った。
(その上、聖女っていう国家の弁慶の泣き所を人質に取られてたわけだ。そりゃ、あの時点では、俺が他国の人間でも、王国に勝ち目があるとは言い切れなかっただろうな)
そうした思惑の末に、王国は結局自国の民兵まで投入して独自で戦いを仕掛けることになり――結果、勝利した。
挙句、去年の冬には、まさかこの建国以来六百年ほど続く犬猿の仲だった大陸二大国家が、建国後初めて国交樹立に向けて動き始めたのだ。
周辺諸国にとっては、青天の霹靂にもほどがあっただろう。
(今頃、どこの元首も顔を真っ蒼にしてるだろうな)
くく、と喉の奥で笑いをかみ殺し、カルヴァンは馬の頭を振って今夜の宿を取っている街の方角へと歩き出す。
それまで友好関係を築いていたと思っていたのに、戦争という有事の際にその信頼を裏切り、帝国の顔色を窺ったのだ。しかし、蓋を開けてみれば、帝国が負けたどころか、帝国と王国が仲良くすると言い出してしまった。
王国は今や、有事の際に協力をしてくれなかった国に対して、冷遇処置を取る絶好の口実を得たのだ。
関税を上げようが、難癖をつけて領土をぶんどろうが、何かしらの協力要請を断ろうが、相手も痛い腹がある分、強くは出られない。
「まぁ、緊張状態とは言え、戦争にはならんだろう。少し前ならいざ知らず、俺らの後ろには今や泣く子も黙る軍国主義国家がいる。戦いを仕掛けてくる馬鹿な奴らはいないだろうさ」
「でも……こちら側が仕掛けることはあり得るじゃないですか……」
コソッと声を潜めるリアムに、カルヴァンは嘆息する。
「まぁ、それはそうだが――宗教が絡まない人同士の争いに、俺ら騎士団は関与しないんじゃなかったか?」
「そうですけど――……兵団が実践投入されたとしたら、その間国家を守るのは俺たちじゃないですか。各領土の守りは薄くなりますし――」
「ツィーの結界もあるんだからそうそうヤバいことにはならんだろ」
「ですが、団長の指揮能力の高さがあの戦いで露見したわけですし、もしかしたら特例で団長が戦場に赴けと命を受けることも――」
「俺としては、そっちの方が面白そうだと思っているが――まぁ、あの王家に限ってはないだろう」
年を取った国王の実直な性格を思い出して否定する。
民を想う気持ちが強く、心の底から神を信じる賢君だ。他国に不必要に喧嘩を売って争いを広げ、統治しきれないほど広大な領土を欲しがるような君主ではない。
「それならいいですが……俺は逆に、ここぞとばかりに王国にすり寄ろうと、他国からの魔物討伐の応援要請が増える可能性があるんじゃないか、と見てます」
「あぁ。いい読みだな。俺も、戦争が起きるよりはそっちの方が可能性が高いと思っている。何なら、帝国側から要請があるかもしれないな。わかりやすく、仲良しアピールが出来る格好の機会だ」
頭の切れる補佐官が成長していることに満足げに頷きながら、ふっと口の端に笑みを浮かべる。
「国をまたいでの遠征となると、さすがに準備だけで金がかかります。人員もそれなりに必要でしょう。高度な政治的思惑が絡むならなおさら、神と王国の権威を見せつける必要があります。――そんな時、税金が足りないからって、しょぼい装備や不完全な準備で行けないじゃないですか」
「くく……その辺は、お前が何とかしろ、リアム」
「ちょっ……!その丸投げは酷くないですか!!?団長が金策に走った方が絶対に効率良いのに!!」
キャンキャンと喚く補佐官の声を軽く嗤って聞き流す顔は、悪童そのものだ。
そのまま一行は森を抜け、街の入り口に辿り着いたところで――蒼い顔で騎士団の帰りを待っている男を見つけた。
「何だ……?」
「さぁ……服装を見るに、王都からの早馬じゃないですかね……?何かあったんでしょうか……」
リアムは馬の腹を蹴って駆け足で男の傍へと寄っていく。カルヴァンも、その後ろから続いた。
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