暗転(1)

二日目 明の九の刻 (午前九時)


絶賛、柚の肩で爆睡している佳菜子にもつを引き摺りながら入場したエントランスはステンドガラスから射し込む神々しい光に包まれており、その下では劇員達が既に待機しており思い思いに雑談を交わしたり台本を確認している。

佳菜子を下ろせる手頃な椅子を探してエントランスをざっと遠見すると台本と筆記具を持って宿舎方面からやって来た谷川と目が合い、困った柚に助け舟を出そうとゆっくり近づく。


「おはようございます。谷川さん」


「おはよう、泡辻さん。相変わらず白糸さんはおネムのようだね」


夢の中で最近流行りのステーキを食している呑気な友人を今すぐ床に打ちつけようか迷ったが、人様が多くいる場所なので我慢して控えた柚だった。


「佳菜子とは三年の付き合いになりますがそろそろ勘弁して欲しいですね」


「こいつ、もう病気か呪いの類いにかかってるだろ。仕方ねぇなぁ。また激辛飴を放り込んで」


「いけません麻沫さん。二日連続で最終兵器はこの劇場が飛びます」


無気力な片方の腕を掴む事に苛立ちを感じ、懐から飴を出そうとした麻沫が必死に取り押さえられる。

慌てて強硬手段を使った起床を阻止するのには佳菜子の本性に原因がある。縹電社の中では最年長で代表取締役にも似た役割を担う彼女だが、真面目で気品高い女性と見せかけてその裏、まだ幼さが抜け切っていない。辛味、苦味が強い食材は必ず残し冷静さを欠けば不満と苛立ちを無自覚に相手にぶつける。再び口内に苦手な刺激が見舞われる理不尽を感じれば佳菜子の怒りは即座に噴火し愛刀から劇場内の人間を気絶させる調香を放つかもしれない。

谷川に空いたソファを用意して貰い、眠る佳菜子を真っ白に燃え尽きた闘士の様に座らせた後、谷川の脳内に閃きの電影が光る。


「そうだ。ちょっと待っててくれ。使えそうな物を宿舎から持ってくるよ」


谷川が去った後、微かな寝息を漏らす佳菜子をセレナが覗き込む。


「この様子だと三十分は起きなさそうだね・・・・・・」


佳菜子が一度、まぶたを下ろせば最低でも十五分過ぎるまで遠のいた意識が還る事は無い。その為、初めて会った時から佳菜子を現場まで運搬する無駄な奉仕は恒例行事と化している。

苛立っている時に呑気に小さな寝息を立てているのを見ていると、時たま放置したいと邪念が浮かぶ時もあるがこれでも柚にとっては大切な恩人。

正直、生きてる間にこの恩を返せるとは思っていないが、対価に見合う近しい役目を果たすまで佳菜子の傍から離れるつもりは無い。だから困りつつも朝に弱い佳菜子を進んで補助しているのだ。


「待たせたね」


簡素な呼び掛けに反応して振り返ると谷川が持ち運んで使う形態の小型の灯りを手にして戻って来た。

八メートル並の連絡通路を態々、小走りで戻って来たにも関わらず呼吸が乱れていない所に役者の熟練度を感じる。


「良かったらコイツを使ってみるかい?」


谷川の話に拠るとこの逸品は赤国せきこくを訪れた記念に買ったという植物園の景色を収縮した模様が美しい手乗りの白香炉。一緒に持って来た飲食店の宣伝用マッチ棒で小さな火を移すとまず薔薇特有の甘酸っぱい香りが柚達を包むが、後から果実にも良く似た刺激的な匂いが鼻腔を突貫し眠っている体を活動的に切り替える。

寝坊助を叩き起こすだけで無く睡眠時間を充分に確保出来なかった早朝に嗅ぎたい香りと言える。


「あ・・・・・・あれ? 激辛飴を舐めてないのに目が覚めてる?」


目覚めた佳菜子が目を丸くするのも無理は無い

普段は氷六から "観察" と称して体の至る部分をまさぐられている最中、付き人の柚がツボ押しの本で学んだ激痛が走るツボを押す手荒な目覚ましが主流だったが、ここ最近は忘れかけていた麻沫の激辛飴を口に入れられてたのだ。

舌の上を転がる灼熱の球体とはしる痛覚も無くすっきりと目覚めた佳菜子を見て谷川は安堵した。


「どうやら効果はあったみたいだな。気に入ったなら君達がそれを貰ってくれないか?」


効果を実感した佳菜子にとっては願ってもない申し出。目新しい玩具を見つけた子供っぽく期待に満ちた輝きを目に宿す傍ら、貴重な珍品だと見抜いていた柚は、すぐには受け取れず戸惑って再確認する。


「良いのですか? せっかく買った高級な土産を手放して」


「使い道に困っていたから構わないよ。それに、大切に保管するだけじゃなくて本来の用途で沢山使ってくれる方が道具も嬉しいだろう?」


人間と同じように道具にも寿命はある。

数多の知恵と工夫でどれだけ寵愛を施そうが塗装は色褪せ、骨格や使用者を支える機能は朽ちていく。

物の本分を果たせぬまま持ち腐れになるならば、真に必要とする者に手渡した方が余っよっぽど良いというのが谷川の思想。物だけでなく求める人に対する確固たる慈愛を見せられれば柚も受け入れざるを得なかった。


「ありがとうございます。大事に活用させて貰いますね」


柚が受け取ると同時に御手洗に行っていた氷六と淑やかに劇場に入って来た朱音が興味深そうに香炉を観察していた。


「んー? 何そのカンテラ?」


「あぁ、香炉ですか。赤国では定番の土産です。それはこの国の銭貨で五千円以上はしますがもっと手頃に買えるのもありますよ」


やっぱり貰って良いのか迷った柚だった。



明の十一の刻 (午前十一時)


「止めなさい」


舞台袖に響く傘橋の一時停止の一声。

役者達が稽古する向こう側の舞台は今日も事ある毎に流れを断ち切られ、その原因はやはり朱音にあった。


(あぁ〜あ・・・・・・ 今日も八つ当たりされてるなぁ、朱音ちゃん)


松明、狐の面、賽銭箱に投げ入れる小銭を順に取り出し劇に使う小道具の整理を手伝いながら謂れのない指摘にしみじみ不快に思っていた氷六。冒頭で駄作と押し付けた場面を昨日と変わらない演技で認めてる分、更にタチが悪く感じられたのだ。

今日の稽古は冒頭の復習を終え光兵衛とイヨの願いに関する交渉の場面を中心に進められるはずだが。


「・・・・・・ お前が、この神社に住む狐か?」


「そうよ。イヨと呼んで頂戴。それで? 狐を憎む下の人間が私に何の用かしら?」


「俺は光兵衛。病の母を助ける為、狐の助力を乞いに来た。狐に望めば如何なる願望も叶うと聞いているが本当か?」


噂を聞いたイヨの顔には悪巧みを思い付いた怪しい笑みが宿っていた。


「事実よ。最も・・・・・・ 肝心の部分が抜けてるようだけど」


迫力ある劇中人物達のやり取りが順調に流れている中でも一人を集中的に狙った切り込みが緊迫した稽古の雰囲気を汚染する。


「ちょっと朱音!! あんたふざけてんの!?」


「ふざけてるのは貴方じゃないかい? 傘橋さん。これ以上偏った指導を続ける様なら演出を降りてもらう羽目になっちゃうよ?」


「それはこちらの台詞です、煌木団長。あなたこそ朱音ばかりに入れ込んでる印象がございますが?」


執拗に朱音の指摘が多いのも稽古が進まない一因だが合間に挟まれる煌木と傘橋の衝突が長時間の拮抗から抜け出せないのもあった。

演劇愛好者の氷六から見ても朱音の演技に不出来な部分は見当たらない。寧ろ傍観する大人もその魅力に惹き込まれ圧倒される完成された美、その物。それを慎重に磨き更なる輝きを増す為の調整なら本人も喜ぶはずだが今の指導を例えるなら大きな槌。貴重な原石を壊しかねない危険な兵器である。


(これ演技指導じゃなくて最早パワハラだな。私の尊敬していた水蓮華の裏側って現代よりも劣悪なんだな)


夕の十二の刻 (午後零時)


劇場玄関口を守護する第二の石像として微動もせずエントランスに立つ柚とは対極に肩の上で遅い時間の流れが退屈だと感じ欠伸をするウラシマの傍を刻みの速いヒールの音が横切る。


「おや、どちらに行かれるんですか?」


「ちょっと急用が出来たから先に上がるわ。お疲れ」


「所で一つお聞き・・・・・・ 行ってしまいましたか」


大量の原稿用紙の用途を聞き出そうとするも、傘橋は聞く耳を立てずに手早く宿舎へ踵を返した。


三日目 明の十の刻 (午前十時)


病状を適確に言い当てたイヨは一粒の薬を託し、食事に混ぜて与えろと服用方法だけ伝えると彼女は消えていった。

稽古はその翌日の夜に再び光兵衛が神社を訪れ、イヨを粗暴に呼び掛ける場面から始まる。


「イヨ、イヨはいるか?」


光兵衛の来訪を感じ取ったイヨは初めて会ったあの時と同じように光の集合体となって姿を現した。


「よく来たわね光兵衛。薬はちゃんと効いたかしら」


「あぁ。おっかあは元気に働いてるよ。病人だったのが嘘みたいだ」


イヨの言われた通り、塩の味のしない粥に恐る恐る小粒の錠剤を混ぜて飲ませると翌日から家事や畑仕事をこなせる程の健全な肉体を取り戻し、周りを驚愕させたが光兵衛には少し罪悪感が残っていた。


「・・・・・・なぁ、対価はどうすれば良い?」


「対価?」


狐であるイヨは言い伝えの文面に沿って結核を治すという難題を確かに解決させた。

当然、禁忌を犯した光兵衛はそれに見合った代価を支払うことになるが狐の求める物は村でも払う事の出来ない大事な物。光兵衛も覚悟していたが村を巻き込む事態を避ける為脳内で交渉の言葉を生産し続けるが、イヨは悪戯ににやけあまりにも拍子抜けな物を提示した。


「じゃあ、私とお話してくれない?光兵衛の余裕のある時で良いから」


「ちょっと待ちなさい!!朱音!!」


いつものように怒号を飛ばして稽古を遮る傘橋。

しかし、今回に関してはイヨになりきって話した台詞も舞台上の動きも間違えたつもりは無い。

少しの妥協も許さないからこそ見逃さず鋭く指摘してくれたと自分を誤認させ続けた朱音もさすがに困惑するが、同じ違和感を抱いた三上が台本を握りしめ舞台袖から飛び出した。


「どうしたんだよ?さっきの別に変なとこ無かっただろ?」


今まで完璧な語り手として欠落の無い彩りを魅せてくれた思わぬ相手の噛み付きは朱音にとっても傘橋にとっても予想外の助け舟であり想定外の変事の筈。

勢いが削がれるかと思いきや寧ろ傘橋は三上も巻き込んで怒りの矛先を向けた。


「は? あんたらまともに台本も読んでないの? ここにちゃんと書いてあるでしょ?」


傘橋は適当な女性団員を指名し、朱音が言った台詞を正しく読み直すよう促した。


「えぇっと・・・・・・"じゃあ、私に付き合いなさい。人と狐の境界を取り払う一大事にね"・・・・・・です」


「そういうこと。もう本番も近いんだから台詞忘れるなんて素人みたいな失敗は止めてよ」


この二日間、朱音を期待の原石として輝かせる為にいつもの癖で指導に熱が入りすぎただけと考えていたがその考えは改めないといけないらしい。

今の傘橋は演劇を愛する情熱に満ちた演出家では無い

力のある権限を間違った方法で使い、目障りな障害を排除しようと横暴の限りを尽くす暴君に三上が反論した。


「忘れるだと? なんも言わずに変えられた台詞なんて言える訳ねぇだろ」


その反論に対応したのは昨日から朱音いびりに参加している六月であった


「あぁ? 昨日の夜、傘橋さんが態々一人一人の部屋まで届けてくれただろ? なぁ、みんな?」


他の劇員達は当然のように頷き無知である事に軽蔑の眼差しを向ける者もいるが三上と朱音に心当たりは無い。


「はぁ!? 俺聞いてねぇぞそんなの!! ちゃんと通告しとけよ!!」


「あんたと朱音のとこにも行ったわよ? ぐっすり眠ってたからか返事は無かったけど。さ、分かったら稽古再開するわよ。朱音がミスしまくるせいで本番まで時間無いんだから」


ある稽古で起こった出来事をきっかけに、少し前から関係が悪化していた二人。水蓮華の雰囲気を壊さないよう不穏な仲を隠し続けてきたがこの一言で三上の不満は我慢の限界を迎えた。


「・・・・・・いい加減にしろよ!!お前が朱音ちゃんにどんな恨みがあんのか知らねぇけど、稽古に私情を持ち込むな!!」


「は? 私情って意味分かんないんだけど? 私は演技の指摘をしただけ。変な言い掛かりは止めてよ」


「その演技の指摘もほぼこじつけだし出来てたやつにもキレてただろうが!!」


今まで互いに腹の底に貯めた鬱憤を晴らすように本心を宿した言葉を言い続け、口論は洒落にならないほど激しい火花を散らしていた。

このままでは稽古を続行する事が叶わないと分かっていても他の劇員は巻き込まれたくないと遠目に傍観している。

そんな沈んだ空気の中、いつもなら制止に出るのは団長の煌木なのだが今日は宿舎で別の仕事に着手しているので劇場には来ていない。しかし舞台袖から口火を切った氷六と震えながらも一足早く加勢した朱音が比較的短時間でこの場を抑えた。


「まぁまぁお二人さん。積もる話は後でも出来るでしょう? 今は稽古に集中しようじゃないの」


「そ・・・・・・そうですよ。悪いのは私なんです。三上さんが怒るべき相手は私のはずなんです」


庇っている朱音の言い分を受けると三上はすぐに否定しようとするが若干、気分を落ち着かせる事が出来たのか溜息一つを置いて赤毛に覆われた頭を搔く。


「・・・・・・すまん、みんな。俺、頭冷やしてくるわ」


叩きつけた台本に抑えきれない怒りをぶつけながら拾い足早に舞台を去る三上を止められる者はおらず、ただ全員いつもと変わらぬ伸びた背中を見送る事しか出来なかった。


明の十一半の刻 (午前十一時三十分) 楽屋エリア


「ごめんねぇ。荷物運び手伝って貰ってぇ」


「これくらい幾らでも手伝いますよ」


縹電社の中で唯一戦闘能力を持たないセレナにとってこうした雑事は役に立てる実感を得られる数少ない機会だ。

箱詰めされた昼食の弁当と数種類の茶やジュース等の飲料が搭載されたポットを載せた少し重めの台車を押して不便な廊下を渡るセレナと萩野。

運搬途中のささやかな隙間時間。萩野がセレナの身の上について問いかける。


「そういえばセレナちゃんも朱音ちゃんと同じ外国人でしょぉ?」


「はい。青国せいこくから来ました」


「青国かぁ〜 自然に囲まれた場所って憧れてたから一度くらい行ってみたいなぁ」


青国は雄大な山脈から育まれた大きな針葉樹と河川に囲まれた自然豊かな国。心が洗われる天地の恵みと色彩豊かな街の造形はまるで絵画の中に飛び込んだ美しさを秘めていると言われており、この国でも一度は行ってみたいと願う人は多い。

目の前で故郷を訪れたいと志望する外国人がいると言うのにセレナの顔は何故か曇っていた。


「そう・・・・・・ですか」


「ん〜 どうしたのセレナちゃん?」


実はですね。と重く切り出したセレナから語られたのは自分が万華町に来るまでの悲痛な経緯。

セレナの両親は青国の王族として絶大な信頼を集めていた自慢の人間であった。そんな親の一人娘として産まれたセレナも高度な教育を受け、民衆の暮らしを眺めながら王位を継ぐ自覚を少しづつ芽生えさせていた。

例え大多数が優れた物だと認め賞賛をあげていても、それが受け入れられず敵対する者はどの界隈にも少なからず存在する。

突然、なんの宣告も無くセレナの両親に不満を持つ造反者が銃を手に取り発砲していったのだ。

セレナの大事な使用人達は次々に裏切りの弾丸に倒れ白く美しかった城内が飛び散る血飛沫で塗り潰される地獄そのものを命懸けで抜け出し、両親の計らいで別の国へ移住する事になったセレナは万華町に流れ着き縹電社に至る。


セレナの叶えたい夢は『もう一度、大好きな故郷に帰る』


青国に残った両親や生き残りの従者の話では造反者によって自慢の自然も立ち向かう民衆も焼き尽くされてると聞く。

旅行も帰郷も叶わない状況だが、王族として自国に篭っているだけでは学べない知識を吸収し統治する際の経験として活かしてやる。そんな固い意思を萩野に宣言し、角を曲がろうとしたその時だった。


「うわっ!!ご、ごめんなさい!!」


「い、いや。俺の方こそ。気づけなくてごめん」


早足で舞台方面からやって来た三上と鉢合わせるも彼の様子がおかしい。いつもの朗らかで頼り甲斐のある声は一聴瞭然で低くなっており、肩も上がっている。


「三上君? 稽古中に何があったのぉ?」


「・・・・・・ちょっと風に当たってくるだけだ」


ぶっきらぼうに逆方向へと進んで行った三上を見送ると、萩野は全てを悟ったように無心で突っ立っていた。


「これはあれだねぇ、遼花ちゃんとなにかあったんだねぇ・・・・・・」


自身の言葉を説明せず萩野は運搬を再開するよう呼び掛けると、何事も無かった様に台車を押した。


第三話 暗転(1) (終)

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