琉金姫(4)

一日目 夕の六の刻 (午後六時)


愛すべき母国での稽古初日は険悪なまま流れ、披露に値する手応えも生産出来ないまま貴重な時を無駄に費やす途中経過で劇員も探偵達の警護も終わりを迎えた

水蓮華の劇員は各自、必要な二週間分の荷物が詰まったであろう大きめの鞄や舞台用の衣装をぶら下げ続々と宿舎方面の廊下へ押し寄せる。その光景からお目にかかれるかもと期待していた憧憬の宿舎を思い出した氷六は硝子の向こうの浅葱色の建物を横目に未練を体現する。


「はぁー 羨ましいなぁ。今日から劇員は宿舎泊まりでうちらはまた二十分かけて事務所に戻るのかぁ」


「そんなにあの宿舎に行ってみたかったの? みなとさんの手料理と大きなベッドは一流旅館にも負けない充実度だと思うけど?」


喫茶とろぴかると比較した佳菜子の揶揄を多少は肯定しつつも違う、違う。と氷六は首を横に振る。


「例え往復距離が短いとしてもこの二週間、毎日明の七に起床して寒空の下、身体震わせながら路面電車待って駅着いたらちょっと登山すんだぜ? そんなの面倒臭いしキツいじゃん? 」


「仕方ないよ氷六さん。部屋が空いてないなら我儘は言えないよ」


海外の高級 "ほてる" を模した宿舎と言えど文字通りの看板である劇場を差し置いて経営資金を注ぐ事は出来ない。

駐在出来る係員等を考慮し宿泊出来る部屋は二階に置かれた十部屋。水蓮華に所属する劇員、上層部で均等に利用しても柚達が使える部屋は残っていない。

既に予約された限りある一時の安息場所を劇団の無関係者が無理を申して譲って貰う訳には行かないので諦めてセレナの説得に応じるしか無かった。


「やぁやぁやぁ。皆さん、お疲れ様だよ」


「広い劇場だから巡回するのも構造の把握も大変だったでしょ? 私達、この劇場は足繁く通ってるから困った事があったらどーんと頼ってね」


帰り支度を済ませた柚達を見かけ、舞台の清掃と後片付けを終えた煌木達が程よい会話の途切れに合わせて労いを贈る。

反射で挨拶を返し異常が無かった本日の成果を報告した後、打ち合わせで伝えたもう一人の警護人について改めて共有する。


「それじゃ予定通り、後の警護は学生の子にお願いするから明日も同じ感じでお願いするよ」


入場者を厳しく裁定する係員達が前に立つ劇場の正門扉が開かれる。

そこから現れたのは理性的才能に長けていそうな普通の青年。ゆったりとした丈の長い上着とジーンズを合わせた街中で疎らに見かけ始めたありふれた服装をしているので招待客とは思えなかったが煌木は彼を見つけると紹介する手間の短縮、柚達が帰る前に出会えた偶然に喜び、手招きして青年を引き寄せた。


樹倉きくら君は近くの大学に通う学生さんでね。大学を卒業する三年間、ここで働いてくれてるんだ」


「縹電社代表を務めている、白糸 佳菜子と申します」


「憲兵の麻沫 仁だ。短い間だが、世話になる」


「・・・・・・ どうも。樹倉、です」


二人に怯えているのか、おどおどした態度で小さく素早く名乗ると樹倉は逃げる様に従業員専用入口へ入っていく。


「二人共〜 挨拶が硬すぎるって。もうちょっと柔らかい物言いは出来なかったの?」


「悪いが俺は職業柄、人を和ませる話し方は出来んぞ」


「ちょっと。私はいつも通りに話したつもりよ。鬼の形相しか出来ない麻沫さんと一緒にしないでよね」


「お前は俺にどんな印象を抱えてるんだ・・・・・・」


一日の締めくくりが終わり警護中、ずっと燻らせた感動を真っ直ぐに伝えようと氷六は役者にも劣らない大仰な身振りで賛辞する。


「いや〜 それにしても流石、水蓮華だね!! 万華町一と謳われる所以ゆえん。稽古の時点で他の舞台との違いを一瞬で区別してしまったよ!!」


探偵業、執筆、発明の充実した生活の合間を縫って数々の庶民向け演劇を見に行けたものの特別な客にしか閲覧出来ない水蓮華の劇は正に高嶺の花であった。

今回の仕事で舞台警護の傍ら、誰よりも迫力に満ちた創造世界の片鱗と他の劇団との相違点を肌で感じていた氷六の興奮は抑えきれない。

役者陣は嬉しいものの若干、照れくさい一人のファンから賜った好評を素直に受け止めつつ飛躍に向けて期待を煽る。


「そう言って貰えると俺達も姿勢が引き締まるよ」


「はは、ありがとよ。本番ではもっとあんたを痺れさせる公演にしてみせるから楽しみにしててくれよ。なぁ川内?」


「・・・・・・ あ、うん。期待しててね」


ふと、エントランスの壁に埋め込まれた時計に目をやると長針は十分に近付いている。気が付けば二十分に到着する路面電車に乗車するにはそろそろ劇場を発たねばならぬ時刻となっていた。


「では、僕達もそろそろ宿舎に戻るよ。日も落ちかけてるし足下に気をつけてね」


「ご忠告痛み入ります。では明日、指定の時間に」


柚に続いて劇場から去っていく探偵達の背中を見届けた後、煌木達も宿舎へ足を早める。

唯一、防犯砂利の影響を受けない桟橋じみた連絡通路の橋上。柚達が脅迫犯と対峙した場合に不安を持つ谷川が煌木に尋ねる。


「団長。縹電社の探偵さん達は本当に信頼出来るのですか? 刀を携えてると言えど彼女らは女性です。もし犯人が屈強な男だったらまともに渡り合えるとは」


「それは偏見と言う奴だぞ。谷川君」


女は非力な存在。

この時代の人間ならば心底に深く根付いている男尊女卑の風潮から来る憂いを煌木は即座に否定した。


「確かに縹電社は名が浸透し始めたばかりの探偵集団。しかも女性だけで構成されてる。不安になるのも無理は無いが僕だって理由も無く彼女達を雇いはしないさ」



今から二年前。

突如、万華町に現れたひったくりは金目の物を狙って誰彼構わず強奪を繰り返す卑劣な男で憲兵相手でも一騎当千の無双を実現させる危険人物として瞬く間に新聞の一面を飾った。

縹電社が動いたきっかけは心地好い花野風が事務所の窓を通る午後の一時。微かながら植物の豊かな芳香が印象的な女性からの依頼であった。


「指輪を取り返して欲しい・・・・・・ ですか」


柚が確認した依頼内容に女性は頷く。


「婚約予定の彼から貰った大事な指輪を巷で騒がれてる大男に奪われたんです。必死に抵抗したのですが、あたしの全力じゃ奴には響かなくて」


ドレスの袖を捲った細い腕には毒気づいた痣が痛々しく鮮烈に残っており、巨大で石のように硬い手で押さえ付けられたと言う傷は見ただけで尋常ではない力を込められたのが伝わって来る。

女性がひったくりに襲われたのは昨日。仕事の昼休憩を行きつけの店で過ごそうと一人で路地を歩いていた時、故意に狙った破壊の突進が彼女の身体を吹き飛ばし気が付けば路傍に投げ飛ばされていた。幸い大怪我に繋がる事は無かったが、二メートル越えの巨体の全体重が乗った体当たりを喰らえばすぐに体勢は立て直せ無い。

空気を揺るがす重い足音。獲物に照準を向ける眼光。為す術なく強奪される指輪。全てが彼女の恐怖体験として脳裏にこびり付いている。

二人の生活は裕福とは言えない。寧ろ一般家庭より少しばかり恵まれない環境である。そんな中、婚約者が女性の幸せを願って用意してくれた唯一無二の思い出を金以外の価値を知らぬ欲の亡者に奪われたのだ。外野では計り知れぬ悔しさがあるはずだ。


「あの指輪は彼が死ぬ気で仕事に打ち込んで貯めたお金でプレゼントしてくれた宝物だから取り返したいんです。でも、憲兵さんでも歯が立たないとなれば裏稼業もこなせる皆さん以外に頼れる人がいないんです。 お願いします。どうか・・・・・・ 依頼を受けて頂けませんか?」


裏稼業と聞き柚は白黒頭の男を思い出し無性に腹立って来たがひったくりの被害は今も増え続けている。死に至った被害者はいないが全治に数ヶ月かかる大怪我を負った者は沢山いる。このまま野放しにしていれば万華町は弱者から金品を搾取する為の庭になるかもしれない。責任者の佳菜子は別の依頼で出張してその場にいなかったが困った人は見過ごせないのが探偵のさが。彼女なら受けるべきだと助言すると信じた柚は縹電社の運命を左右する仕事を請け負ったのだった。



「・・・・・・ これで本当に上手くおびき出せるんですか?」


翌日、午前帯の万華町内

宝石商や輸入品、贅沢な女子会に相応しい茶菓子を並べる富裕層御用達の高級志向の店が点在する大通りはひったくり被害が初めて確認された場所。本来ならば貴婦人や従者がちらほら行き交う静かな大通りだったのだがひったくりの出現に伴い外出も控える様になったこのご時世では店も営業していない無人の街並みとなっていた。

閑散とした大通りの傍で囮役を頼まれた柚は嫌という程、金の装飾に酷似した飾りが散りばめられた鞄を疑いの目で眺める。


「裁縫得意なセレちゃんと共同で開発した純金紛いのショルダーバッグ。金目の物、大好だーいすきなひったくり犯には最高の釣り餌になる事、間違い無し!!」


胡散臭い商人の様に怪しさ満点の言葉を並べる考案者の氷六。海底に潜む大食漢を釣る用意は全て任せたので事細かに文句は言えないが、今回の事件は初めて佳菜子抜きで挑むのだ。しくじれば会社の名を傷付ける上、化け物じみたひったくりに殺されるかもしれない可能性も加味すれば柚の様に慎重過ぎるくらいが丁度良い。


「素人目から見ても偽物ってすぐ分かりますよ。相手の鑑定眼が鋭かったら一体」


「大丈夫。私の推測が合ってるなら絶対上手く行くよ」


普段、控えめなセレナからは滅多にお目にかかれない自信に満ちた約束は囮作戦を実行する際の不安を払拭した。

根拠は二つ

依頼人の話に拠ると男は眼鏡を着用していたらしいがこの時代、極度の近眼で生活もままならない限り高い代価を払って使用する事は無い。つまり視力が悪い男が遠目から見ればこの偽物を見分けられずに食いつくという訳だ。万華町よりも眼鏡が普及している外国出身のセレナだから出来る推理であった。

加えて犯行は全て白昼堂々で行われている。ガス灯の微かな明かりしか無い夜では無くわざわざ日の出てる午前に活動するのは自信の現れもあると思うが逆を言えば少しでも暗いと動きが鈍るのでは無いだろうかと。


「・・・・・・ 分かりました。セレナの根拠を信じましょう

すみません。念には念を入れたかったので」


「探偵を初めてもう一年だもん。私達だって未熟から卒業しないと」


抱いていた志は同じだと確認し掛け紐を肩に担ぎ大通りへ駆け出す柚。

壁伝いで氷六達に見守られながら歩き始めて三分経過した頃、海中に垂らした釣り糸が波紋を立てて大きく揺らす。

背後から標的を丸呑みにしようと殺気で尖らせた狩人の目で凝視する気配に気付き流麗な動きで横に飛ぶ。先程まで柚が立っていた道は打ち付けた拳から放たれた衝撃によって茶色の塗装を貫通し粉砕されていた。後少し判断が遅れていれば欠片になっていたのは柚である。


「おっと、これは随分と激しい口説き方ですね」


足場を崩した拳の持ち主は気配と音を頼りに柚の方に顔を向ける。推定二メートル越えの巨体は分厚い筋肉の鎧に覆われ丸太以上の太さを併せ持ち、黒色のレザーコートが今にもはち切れそうだった。明らかに顔の大きさと釣り合っていない眼鏡の奥から渇望の目を覗かせて男が威圧する。


「お前の鞄、綺麗。きっと金になる。だから寄越せ」


「そんな頼み方で譲って貰えると思ってるならとてつもなく救い難いですね。さ、諦めて憲兵さんの所に行きましょう」


「憲兵は嫌い。アイツら、俺の路銀稼ぎ邪魔する。そいつらの所まで連れてこうとするなら俺、抵抗する」


「この国の人の宝物はあなたの旅行費じゃないんですよ」


たどたどしい言葉での交渉が無意味だと知ると、男の一撃が繰り出され戦いへ突入する。

男の戦闘方法はただ殴りと蹴りを織り交ぜたがさつな武闘術だったが威力は規格外だった。鈍器に似た一撃は柚が躱した後の建物の壁にヒビを入れ、造形物を簡単に破壊する。幸いにも武器が重い為か連発は出来ず動作も速くない。大振りから生み出される後隙を丁寧に見極めながら柚は愛刀「朧雲」を構える。


「傾注」


精神を音無き水中へと沈め集中力を極限まで高め、ひらひらと落ちる薄い一枚の桜の花弁が裏返る一瞬を見極め、均等に斬る要領で刀を抜く。

故郷で学んだたつみや流剣技。全てのに通ずる原初の型


"一裂いちれつ ふう"


尋常ではない集中力を注ぎ込み刀の切っ先を向ける方向が間違っていなければ的確に弱点を両断する剣技はひったくりの男に通じていなかった。


「攻撃、避けるだけなら憲兵も上手かった。俺の体、簡単に痛くさせられない」


朧雲の一太刀は剛腕の右腕によって受け止められていた。男の顔に苦悶の表情は一切無い。攻撃が通じない理由を柚はなんとなく察していた。

朧雲が奴の体に当たった時、最初に響いた鋼鉄の音。人間の皮膚とは違う材質の正体は恐らく鉄板を加工した防具を身体中に巻いているのだろう。その下にある屈強な肉体と相まって男の身体は如何なる攻撃も弾く強固な守りと化している。

朧雲で攻撃を捌く間、柚は一つの打開策を生み出す。何度も男と衝突した結果、防具は服みたいに全身に身に付けている訳ではなく腕、胴と特定の一部分を覆っているだけと見える。ならば固定する為に紐などを身体の一部に結んでおく必要がある筈と睨み、柚は次なる剣技を魅せる。


「続く」


一裂 風華を振るいし後、精神世界で体の節々に煌々のしゃぼん玉を五つ浮かせる。所定の作法で刀を滑らせればしゃぼん玉の破裂と同時に出血少なく肉と骨を断ち切る五連撃。


つい夢想むそう ほう連鎖れんさ


案の定、斬撃は全て弾かれるがこれは防具の粗を探す為の探知の一撃。手応えは無いが刀から伝わる振動と音の強弱で装甲の薄さは大体把握出来た。後は堅牢なる陣形を解く一撃を叩き付けるだけだ。

最も男の方はこの戦いに飽き始めているようだが。


「お前、しつこい。俺、腹減ったからそろそろ飯屋行きたい」


「後少し付き合って頂けませんか? 終わったらご飯を奢りますよ。刑務所のですが」


これで決着を付けようと最大限の力を込めた拳が顔面に飛んで来る。しかし最後の好機を見逃さまいと柚は俯き目を背けずかっと見開き心を平常に保つ。

深く集中し太刀筋を脳内で描き、即座に朧雲でくうを斬る。

一裂 風華、派生して追夢想 泡連鎖。

全ての斬撃を切り払うと柚は朧雲を持ち直し鞘にしまう。男の傍を通り過ぎ鞘と切羽が擦り短小の金属音が刹那に弾くと大地を揺るがす断末魔が響く。


「ぐおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


男の近くには留め具の紐を綺麗に切断された鋼鉄の鎧と右腕と右脚から伝う鮮血が落ちていた。



「・・・・・・という感じで無敵の悪漢は泡辻さんの活躍によって見事、お縄についたって訳だよ」


朝刊だけでは知り得ない水蓮華の起点を聞き役者達は皆、口々に感心の言葉を呟く。


「強大な敵にも恐れず、正々堂々立ち向かう・・・・・・ 最っ高にかっこいい奴らじゃねぇか!!」


「しかも柚ちゃん一人で無力化させちゃったんでしょ? 氷六ちゃんもマルチに活躍してるらしいし彼女達を導いた白糸さんも名だたる名士。護衛を任せるにはこれ以上頼りになる存在はいないですよ」


当時、憲兵でも歯が立たなかった大男を女性達が捕まえた吉報は万華町の新聞をかっさらい商業雑誌で特集が組まれるちょっとした革命になっていたが数日後、一面は別の速報で埋め尽くされた。

獄中で男が殺害されたのだ。

探偵の出現まで敵無しだった男が抵抗出来ずに殺された二度目の衝撃は谷川も既知だったらしい。


「そのニュースなら俺も聞きましたよ。噂では腹を一突きされて失血死とか」


「マジかよ・・・・・・ えげつねぇなぁ。俺ちょっと寒気感じてきたぞ」


感じた悪寒は気の所為では無かった。劇員達は少し長く話し込んでしまったらしく空模様は数刻で日が落ちそうな暗さまで落ち込み、吹き込む外気は冷感を増して強く連絡通路の隙間に入り込む。

もう外出には不向きな環境に早変わりした桟橋の向こう側、宿舎方面の入口から息を切らして近付く小さな人影があった。


「朱音ちゃん? 慌てて走って来て何があったの?」


「川内さん。給湯室まで来て頂けませんか? 食後のお茶に関して相談がございまして」


「うん、いいよ。着替え終わったらすぐ行くね」


準備の為、急いで戻る川内に続いて他の劇員も宿舎へと歩を進める。


琉金姫(4) (終)



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