琉金姫(3)

一日目 宵の一の刻 (午後一時)


舞台設営と昼食を済ませ、柚達の仕事と水蓮華の本格的な稽古の幕が上がった。

舞台袖では稽古が始まる少しの間、各自、柔軟運動や筋力を鍛え上げ演技の下準備を備える者で溢れているが、その中でも初舞台で主演を任命される程期待されている朱音は群を抜いていた。


「わ〜ぉ。朱音ちゃん、めっちゃ体柔らかいんだね」


右のつま先に向けて伸ばし続ける朱音の上半身は足に衝突すれすれで平坦にすれ違いしかも苦しい表情を一つも浮かべていない。

流石、雑技団出身と言うべき身体能力の高さである。


「ありがとうございます。ですが霧ヶ谷さんも靱やかな体ですよ」


氷六が思わず感嘆した朱音の柔軟は、体のほぼ全てが吸い付くように床と並行で伸びており賛辞を顔だけ上げて受け入れた。

だが隣で柔軟運動に挑戦している氷六も負けていない。まっすぐな開脚と細長い体を生かした伸びは他の劇員にも引けを取らない。


「でも、薄い布を敷いただけじゃやっぱ痛いね。この時代にもヨガマットがあればなぁ」


指で摘める布とも言えない足下のそれは黒いタイツに覆われた氷六の長い足がギリギリ収まる大きさで、乗り心地も酷い。それ故思わずぽつりと零したいつもの呟きは朱音を困惑させた。


「よが・・・・・・まっと? この時代ってどういう事ですか?」


「あぁ、ごめんごめん。私ね、未来からやって来たからつい自分の時代を懐かしんじゃうんだ」


氷六としては至極真っ当な事実を述べているだけで、自分が異端の存在である事を恥じるつもりは無い。だが時を越えるという非科学を受け止められない大抵の人には大ぼらを吹いていると勘違いされやすいのだ。

それは二人分の水分を差し入れしに来た川内も例外では無い。


「へぇ〜 氷六ちゃんは面白い冗談言うね。じゃあ何の為にわざわざこの時代にやって来たの?」


答えは一つしか無い。と言わんばかりに氷六は手短に、だが幼い頃から宿していた決意を込めながら堂々と答えて見せた。


「勿論、夢のためさ」


紙コップに入った天然水を一口含み、氷六はかつての思い出を想起させていた。

子供の頃の氷六は氷に閉じ込められたように感情の起伏が少ない静かな少女だった。

ある日、両親と共に訪れた祭りの屋台の一つに珍しい出し物があった。鎧に身を包んだ女性や小さな男の子が楽器を弾く動物達を先導する表紙絵が目を引く本の山だった。

店主の老人に勧められ適当に手を取った本は少し難しい言葉もあったが自然と読む手が止まることは無かった。

現実のように連なる物語、胸が高鳴る世界観の素晴らしさを認識した氷六は食いるように本の世界にのめり込み、気付けば初めて親に強請っていた。


氷六の叶えたい夢は『人々の心を動かす小説を完成させる事』


その想いから古今東西の本を取り寄せ、魅力的な作風を調べ、執筆に全てを捧げ、あの感動を再現しようと奮闘している。


「そして歴史書を読み漁っている時、この時代が今書いている物語の舞台に相応しいと直感で感じてね。思わず飛び込んでしまったって訳なんだ」


正直、真の気持ちかお得意の作り話か真偽は掴めないが感銘を受けた朱音は激励の微笑みを向けた。


「きっと叶えられますよ。それだけ真摯に向き合える事が出来れば、夢は実現しますから」


一足先に舞台エリアの観客席に邪魔したセレナと麻沫は、舞台の上で揃った水蓮華の劇員による発声練習を見守っていた。

端から見守る観客にも不便無く良質な劇の世界を楽しんで貰うには、劇場中に響き渡る透き通った声量が必要不可欠。

当然、水蓮華も稽古前に毎回行っているがこの下準備だけでも他の劇団との実力を測る事が出来る。

混ざりあった男女の声は高波となって劇場を飲み込み、中央の座席に座っていたセレナと麻沫の全身に万華町一の劇団と呼ばれる所以を激しく叩き込む。

十二分に水蓮華の実力を知ったところでいよいよ今回、公演する劇『狐火』の稽古が始まる。


「これって何かモチーフがあるのかな? 麻沫さん」


「あー、御伽噺って奴さ。この国では悲恋の話として有名になってる」


「へぇ、どんなお話なの?」


「せっかくの機会だ。最高の劇団の芝居を見ながら説明してやるよ」


丁度、全ての準備が済んだ暗転の舞台を麻沫が示すと同時に開演を告げる振動音が流れ、悲しき昔話を紡ぐ稽古が始まった。

劇は三上が演じる語り部の軽快な口上から始まる。大きな手拍子で注目を集めると江戸っ子口調にも良く似た癖になる話し方で観客を物語の世界へ引き込む役割を充分に果たす。


「さぁさぁ、これより語り継ぐは偏見と種族という分厚い壁に阻まれながらも真の愛を貫き通した悲恋の物語。どうぞ最後までお付き合いくださいませ」


この物語は赤国せきこく定番の出だしから始まる。

昔昔、魂魄村という片田舎の近くの丘。その上に建てられた大きな神社にはこんな言い伝えがあった。


『神社には忌まわしき狡猾な狐共が住み着いており、どんな難題も叶えてくれるが村では払えぬ大事な物を求める』


簡単に言うと、狐を頼れば願いを聞く代わりに莫大な対価を要求するという事だが、食料の確保すら厳しい魂魄村の村人達が狐の対価を馬鹿正直に払えば村の破滅は免れぬ上、人間の女に化けた狐が王家を崩壊させた逸話も耳にしていた為不安があったのだ。

狐の目的は魂魄村を乗っ取り人間の支配を進める事だと思い込んだ村人達は狐を敵視し、子供達にも丘の神社には近付かないよう厳重に言い聞かせていたのだった。

重々しく緞帳が上がると、今回の舞台に出演する男女が中央に佇んでいる。まだ稽古という事もあり皆、練習着のみを着用し化粧も付けていない。

麻沫の解説ではこの二人は魂魄村で畑仕事をしながら暮らしている親子で主人公は息子の光兵衛。物語が始まる前から幼少期に亡くなった父親の代わりになろうと小さな畑を守り続けて来た逞しい青年である。

数年前、病にかかった母を救おうとこれまで以上に働きようやく医者を見つけた光兵衛が寝たきりの母と共に医者を待つところから昔話は始まる。

母親は小さな布団に横たわり酷く咳き込んでおり、弱々しく谷川が演じる光兵衛の頬に触れようと手を伸ばそうとしていた。


「すまんねぇ、光兵衛・・・・・・病にかかっちまったばかりにお前に苦労をかけてしまって」


「大丈夫だおっかあ。もうすぐ村の外から偉ぇ先生が来てくれる。すぐに良くなるさ」


些細な希望と自分の生気を分け与えるように強く握り返す光兵衛だが母親の咳は一向に収まらない。光兵衛が必死に励ます中、待望の医者と劇場を案内してくれた川内演じる付き添いの看護師が訪れる。

鞄で持ち運んだ診療器具を使い、病の原因を探り当て光兵衛達の最後の希望となれるように丁寧に診察は進んでいくが、暫くして医者は自身の無力さを悟って聴診器を手放してしまう。


「せ、先生? どうされたのですか?」


「これは、結核ですね・・・・・・私の力では治すことが出来ません・・・・・・」


医療が発達していない当時、結核は不治の病として恐れられ判明した以上患者に出来る事は死を静かに待つのみである。

だからと言ってこのまま何もせずに母の死を許容など出来るはずがない。

打開策を閃く為、光兵衛は母を治そうと村や外を駆け回った。治療費を貸して欲しいと村の者に頭を下げ、噂に聞いた名医の街まで走りまた頭を下げた。だが結果は実らない。

魂魄村は都心部から離れた極小の田舎町。必死に育てた農作物の売買から得られる僅かな利益でその場しのぎの貧しい生活を送る村人達に新たな医者を呼ぶ金など無い。

身を削った努力も全て無へと還ってしまい、母の容態は日に日に弱っていった。


「もういいんだよ、光兵衛。おっかあの為に体を傷付ける必要は、無いんだよ・・・・・・」


病で父を亡くした光兵衛にとって母の死は、唯一の家族を失う事になる。女手一つで光兵衛を育ててくれた母への恩返しをする為にもなんとかしたい。


「嫌だ・・・・・・おっかあ、死んじゃダメだ。俺がなんとかするからさ。だから、生きる事を諦めないでくれよ・・・・・・」


幾ら涙を流し悲しみを示しても運命の神は粗略に眺めるのみ。

必死に母の手を握る光兵衛の頭に子供時代に聞かされた言い伝えが蘇る。

誰も力になどなってくれないのだ。ならば躊躇などしていられない。

関わってはいけない忌むべき存在に頼る決意をした所で舞台の照明がパタリと落ちる。

先程まで暗転していた舞台が照らされ、場面は村の者が寝静まったその日の夜に移る。

光兵衛は強い決意を秘めて近くの丘へ踏み入れていた。舞台エリアで案内された際に見た道具達は丘の上の神社を再現していたという訳だ。


「ここが、狐の住んでいる神社か・・・・・・」


大きな鳥居がある事を除けば自然と身が引き締まる程の神聖さを感じる普通の神社だが、今は丑三つ時。青暗い空に視界を遮られ、階段渡りは難航する。

慎重に足元を触りながら境内に辿り着いたその時、光兵衛の目の前をふわりと漂う白い人魂一つ。

周囲を気の向くままに回り終えると人魂は傘を差した少女の形を成して気品良く地に降り立ち、客人に歓迎の笑顔を浮かべる。


「こんな夜遅くに客人とは珍しい。何をお望みで?」


少女らしいあどけなさと狐らしい妖艶さが共存する笑顔を振る舞っているのは今回の主役である朱音。

団長直々のオファーされたその演技は、十歳の子供には不相応な最高の物で役用の衣装を身に纏えばその魅力は留まる所を知らないだろう。

このまま最高の流れで芝居が続くと思ったその矢先、劇場を震撼させる怒声が稽古を断ち切った。


「朱音? さっきの演技は何? 笑顔振り撒くのに集中し過ぎて台詞が棒読みになってるじゃないの!!」


腕を組み朱音の演技に容赦無く批評を入れているのはミノカサゴの警戒色を想起させる真紅の髪を丁寧に後ろに結んだパンツスタイルの黒いスーツを着た端正な女性。

水蓮華の敏腕演出家、傘橋かさばし遼花りょうかである。

紅色の眼鏡の奥で光る眼光と同じ鋭さを宿した言葉は未熟な精神の朱音の心を貫く。


「そもそもなんで声のトーンを高めにしてるのよ!!村の人から恐れられてる狐よ!?もっと人間の心を見透かして弄ぶように、落ち着いた声で話しなさい!!」


『えぇ〜・・・・・・さっきのも充分良かったのに』


セレナが心の内で賞賛してもプロが求めるクオリティはもっと遥か先にある。理解や経験が乏しい素人が口を挟んだ所で業界の貢献になる事も有り得ないし、真剣に取り組む界隈人の火に油を注ぎかねない。


「止めて!!朱音!!何度言えば分かるの!!」


その後の稽古も朱音の同じ演技で足踏みし他の劇員の苛立ちも募っていく。重くなった雰囲気の中、遠くの座席から稽古を見守っていた煌木が宥めようとする。


「まぁまぁまぁ落ち着きなよ、傘橋さん。僕はさっきの演技でも期待以上で通用すると思うからそこまでキツく言う必要は無いだろう」


「では妥協をしろと? それは万華町一の劇団と讃えられる水蓮華の株を落とす事になりますが」


肩肘張らずにいつも通りの演出を望む煌木と更なる向上を目指し続ける傘橋。決して交わらない信念が衝突し起こす気の無い騒乱を渦巻く。

膨大していく二人の理念が譲る気の無い対立をし続ければ稽古に支障が生じて最悪な雰囲気に包まれる。

流れを変えようと水蓮華の優れたまとめ役である川内は、持ち前の明るさを発揮し重苦しい曇り空を晴らす光明を提案した。


「ね、ねぇ。ちょっと休憩にしない?朱音ちゃんも一息入れたら何か新しい演技が浮かぶかも」


親友の合理的な願いを傘橋は不機嫌に鼻を鳴らして許諾する。


「・・・・・・十分。それ以上は取らないわ。ったく、なんでイヨ役が巡じゃなくてこんな異国のちんちくりんなのよ・・・・・・」


ドアが壊れそうな開閉音を残しながら傘橋が出ていくと、川内は不安を払拭しようと子供をあやすように朱音の頭を摩る。


「朱音ちゃん、大丈夫?」


「すみません・・・・・・ 私のせいで」


自責に満ちた朱音だったが、そんな彼女に今すぐ嫌味を言いたくて堪らない輩が若干嬉しそうにしゃがむ朱音に近付いてきた。


「はぁ〜あ。勘弁してくれよなぁ」


六月むつき 大生だいせい


棘の様に毛先が尖った黒髪から覗かせる翠玉の片目は、深い嫉妬を灯らせ朱音を見下す。

変幻自在な声を用いて子供向けの人形劇もこなす水蓮華の中でも異色の逸材である彼だが生来からの付き合いである痩せ細った標準より小さな身体、覇気の悪い顔によって目立った役を演じる機会に恵まれなかった。

その為、子供でありながら初主演を務める朱音の事を事件前から酷く妬み、同じ考えを共有する仲間と影で叩きあっていたが傘橋から幾度と止められた機を皮切りに朱音への精神攻撃を始めたらしい。


「お前が何度も何度も傘橋さんから指導を受けてるせいで俺達、全っ然稽古出来ないんだよなぁ〜 そこんとこ分かる?」


引き連れた仲間との茶化した連携を披露しながら牽制を仕掛ける六月。

川内は怒ること無く朱音を庇いつつ諭す。


「ちょっと、言い過ぎだよ。それに朱音ちゃんが指導を受けてる間に台本見通すとかやる事はあると思うけど?」


「・・・・・・ふん。俺は川内の方が絶対適役だと思うんだがなぁ」


水蓮華の良心である川内には強く出られない六月は舌打ちを残し楽屋エリアの奥へ去っていく。

六月達の嫌味を深く受け止める朱音だったが本番までまだ猶予は残っている。演技を改変出来る時間を有効活用するべきである。


「気にしなくて良いよ。まだ稽古の時間は残ってるから、今の内に練習しよ?」


その後も静かに劇を見守る二人だが、朱音の演技に納得いかない傘橋が何度も止めこの日の稽古は、イヨの一言以上のシーンまでしか進まなかった。


琉金姫(3) (終)








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る