琉金姫(2)
初めて踏み入れた格別の高貴に満ちた一室。そこは普通の一軒家よりも僅かばかりの贅沢な生活を送っている一行でも萎縮してしまう真紅の別世界であった。
椅子の価値観を上塗りされてしまうソファに通され香り高い紅茶やコーヒー、茶菓子 (柚だけ緑茶と栗羊羹)を味わいながら全員共通の驚きを内心に秘めていた。まさか招待状に記された依頼人が年端も行かぬ赤髪の少女だということに
趣味の観劇で水蓮華の役者達を見慣れている氷六も興味深そうに朱音を観察する。
「へぇ。水蓮華は長く見てきたけど子役がいたのは知らなかったな〜」
熱烈に自分の劇団を見てくれる愛好家の前で煌木は饒舌に語る。
「彼女こそ水蓮華の新たな一色を飾る期待の新星!! 旅する雑技団出身で身体能力ピカイチ!! しかも魅せる演技は大人顔負け!! 僕が
煌木が朱音と出会ったのは二年前。
赤国での公演の合間、パンフレットで興味を持った雑技団が滞在していた街の近くにいるという朗報を耳にし数名の団員を引き連れ舞台を眺めていた時である。
舞台の内容は物語に沿って肉体を大胆に操る芸を披露する新鮮な経験。どの出演者も観客を惹き付ける実力を備えた名優ばかりだったが煌木の目は途中で出てきた朱音に釘付けだった。
常人離れの柔軟、道具を用いた美しき舞、極めつけは我が身を依代とし空想の人物を纏った様な桁違いの演技力。三十の歳で劇団を設立し十三年間、数多の才能を発掘し続けた煌木 導にとって初めて受けた最大の衝撃に突き動かされるまま得意の赤国語で交渉し見事、水蓮華の一員に招き入れたのだった。
煌木が加入の経歴を語り終えた所で朱音が依頼人達の目を据えて団長と話す前から習得していたこの国の言語で打ち合わせ開始を合図する。
「本日、皆様にお集まり頂いたのは他でもありません。本日から二週間後の公演までお願いしたい警備の依頼です」
朱音がテーブルに広げた一枚の筒状の紙。赤紐の拘束が解け机上に公開されるとそこには役者への応援や感謝とはかけ離れた内容が新聞紙記事の継ぎ接ぎで全面に敷き詰められていた。
『舞台ノ主役カラ下リロ
サモナクバコノ劇場ゴトオマエヲ葬リ去ル
オマエノヨウナ外来人ガ水蓮華ヲ汚スナ』
脅迫紛いの批判は過去にも送られた事がある。団員達の精神を守る為、本当に演技構成の参考になる評価以外は触れないよう細心の注意を払い続けている。
それ故、煌木も最初はこの怪文を本気で受け止めるつもりは無く無視していたのだった。
「最初、僕は良くある悪戯だと思っていたんだ。応援してくれる人は多くても嫌いな人はやっぱり少数いる訳だからね」
「そういや俺もあなたの団員を巻き込んだ暴徒達の事件に駆り出された事があります。その度に何度も挨拶に」
「その節は大変世話になったよ。憲兵さんがいなかったらうちの団員は怪我してたかもしれないんだからねぇ。そんな経験があったからこそ念の為護衛を付けたんだけど・・・・・・」
しかしその考えは甘い見通しだと知るのはその翌日からだった。
稽古初日で音響機器が故障する。次の日には朱音の台本が盗まれるなど数日は劇団員の悪戯程度の被害しか受けていなかった為、水蓮華に期待を寄せる支援者や朱音と煌木を除く他の団員には一切口外しなかった。が、依頼文を送る数日前から赤国人の朱音を批判する手紙が増加し帰り道で刃物を向けた大勢の男達に囲まれ命を狙われる最悪の事態に陥ってしまった。
このまま公演を迎えるのは厳しいと判断した煌木は稽古の舞台を宿泊施設が併設されたこの劇場に異動し、強力な警備として様々な難事件を解決した憲兵と探偵達に協力を仰いだというのが今回、柚達を招集した経緯だ。
類まれなる経歴を信頼して警護のやり方は柚達に一任するが、劇場の係員にしか入れない部屋もあるのでこの後の案内で一緒に紹介するという。
「私達は今日から公演まで劇場と向こうの宿舎を行き来する生活を送ります。皆さんには稽古が終わる夕の八の刻まで警護をお願い致します」
「特に質問が無ければ終わろうと思うんだけど、良いかい?」
全員、現時点での不明点が無い事を確認し概要の説明に一区切り付いた所で渡したい物があると朱音が席を立とうとした時、榊とは違う優しい三回のノックが楽屋に来客の訪問を知らせる。
「失礼しま・・・・・・ おや、まだ打ち合わせ中でしたか」
朱音の下を訪ねたのは夕焼けに染まった海を波打つセミロングに降ろした成人女性。
空気を察し周囲に良き印象を与える明るい性格はまるで太陽を擬人化したしっかり者のまとめ役という印象を与え、健康な肌を引き立たせる薄い化粧と派手な髪色に合わせた着物から浮き出た締まった美体は舞台上に限らず通り過ぎた人々の目を奪う。鮮やかな魅力を纏うその容姿は万華町の究極娯楽、その頂点に咲く水蓮華の一員に相応しいと言わざるを得ない。
「いや、丁度終わった所さ。紹介しよう。劇員の川内さんだよ」
「
その場の空気を心地好い気温に変えるように爽やかな陽射しの挨拶を探偵達に披露すると川内は煌木の方に振り返る。
「二人共、遼花が台本の事で相談があるって。後の事は引き受けますから早く行ってあげてください」
「分かりました。既に依頼の説明は終えてますので劇場内の案内だけお願いします。それとこの劇場にいる間は身分証明の為にこちらをお付け下さい」
朱音から渡されたのは透明なカードホルダーに青い紐が付属した劇場係員への支給品。
事前に登録された各自の名と顔写真が載った名札を頼りに自分の物を受け取り、打ち合わせは終了となる。
「それでは皆様、これから二週間よろしくお願いします」
懇切丁寧なお辞儀と気の抜けた別れを柚達に捧げ二人は楽屋を出ていった。
いつもと何一つ変わらない淑やかな彼女を見送り終えた川内は、手を叩き注目を集める。
「さ、ここからは私、川内
二週間張り込む事になる建物の構造把握。犯人に対抗する作戦立案の参考に加えそれぞれの配備場所を割り振る為の劇場巡りでまず案内されたのは地下一階、演者の控え室が並ぶ通称、"楽屋エリア"
先程も通った細長い廊下を改めて見てみると迷宮と言われても違和感無い複雑な造りになっている。一応、目的地を矢印で示す看板が特殊な糸で吊られている為目的地に着くまで右往左往する事態は無いだろうがやはり気になるのは所々壁のせいで見通せない曲がり角
その指摘を受け、川内は困り顔を残す
「あはは・・・・・・ ここって直角曲がりの部分が多いから荷物を運ぶのも一苦労でさ。オマケに吸音材も全面に敷いてるから人の気配に気付けずぶつかる事もしょっちゅうあって、おわっ!?」
早速、楽屋エリアでありがちなちょっとした事故を実演してくれた川内。
曲がった先で衝突しかけた相手は、舞台の上から吊るして使う大きな照明を台車で運んでいたゆったりした青と黒の上着がトレードマークの神秘的な雰囲気に包まれ豊満な肉体を持つ女性だった。
「ご、ごめんね!!
「大丈夫だよぉ。こっちも気づけなくてごめんねぇ」
人と違う時の流れを生きているかのようにゆっくりと話す彼女は、
水蓮華では照明全般を担当している彼女に同じ水蓮華の劇員であろう男性達が走って接近していた
「南香ちゃん!! 他に持ってく物は無いか!?」
「おい、抜け駆けは良くないぞ!!」
「えっとねぇ。後二台残ってるからぁそれを運んだらおしまいだよぉ」
萩野は裏方として活動する為、目立つ機会は少ないが密かに劇員の間でファンクラブが出来る程かなりの男性から好意を寄せられている。ふわふわした雰囲気、同性でも目を奪われる破壊的なまでの風采で無自覚に人気を得ていた萩野の心を射抜こうと先程の様に仕事を手伝って平均点を稼いでるらしい
彼女としては力仕事を変わってもらう事が増えたので有難いが自分が惚れられているのは見る限り勘づいていないようだ
「じゃぁ私行くねぇ。まだまだ照明残ってるからぁ」
「うん、頑張ってね!」
水蓮華劇員同士の簡単な別れの最中、目と鼻の先の天井、壁、床を見渡しながら佳菜子は静かに考えていた
「思っていたよりも狭いわね。ここで犯人を抑えるとするなら私が適任かしら」
楽屋エリアを抜け、一階に戻った一行が辿り着いた次の目的地、“舞台エリア” は異次元の空間であった
水蓮華の表現の可能性を誇示する巨大な舞台には原寸に近い朱色の鳥居が中央に鎮座し、登場人物達の立つ場所が神社である事がひと目でわかる
星の微かな光も届かない夜空を表現した紺色のカーテンと背景画のパネルに描かれた杉の木と灯籠もまた、神がおわす神秘の領域が際限なく顕現している
そして極めつけは眼下に広がる赤い椅子の数々
世界的に有名な"おぺらはうす"を真似て荘厳に作られた観客席である
「ここは、劇場心臓部に当たる大事な場所だから一層力を入れて作られてるんだ。上流階級の人達にも受け入れて過ごしてもらえるように様々な工夫がされてるよ」
肉体を柔らかく包み込む快適性と飲料を入れる筒状の容器が備わっている利便性が合わさった最先端の座席には、至る所に金色の模様が彫られ造形面でも格式高い
演劇マニアにとって憧れの場所である万華町屈指の劇場は行きたくても入る事は叶わない。そこに足を踏み入れられた氷六も気分が高揚し、つい座席に頬擦りをしていた
「良いなぁ。一度はこんな場所で過ごしてみたいよ」
「氷六。不用意に劇場の物に触らないでください」
舞台エリアを構成しているのは舞台と観客席だけでは無い
演者と同じく物語を彩るのに欠かせない音響と照明。それを操る特別な機械が置かれている裏側も他とは一線を画す
楽屋エリアや持ち込みで用意された使用法も検討つかない漆黒の機械が運送業者と劇員の手によって着々と舞台袖に集合し所定の位置に設置する最終段階まで進んでいるのだ。
ここでもう一つの舞台が出来ると錯覚しそうな広々とした空間だが、準備が終われば劇で使う小道具も増え刀組では動きにくくなる。間近で劇を眺める機会にもなる為、ここの警備は肉体戦を得意とする氷六に任せるという全員一致の結果になった
「ん? アンタら一週間、ここの警備をやる奴らかい?」
舞台袖を調査している三人に突然声を掛けてきた赤毛の熱血漢。重労働を果たすのに最適なタンクトップ一枚から見える並の鍛錬では生み出せない締まりある筋骨と恵まれた長身は、憲兵である麻沫にも劣らない
「えぇ、初めまして。私は白糸 佳菜子。こっちのお嬢様っぽい彼女はセレーナ・コストゥリカで、後ろにいるのっぽ男は麻沫 仁」
「おい、俺の紹介雑すぎんだろ」
「十分過ぎると思うけど?」
根深く残る激辛飴の恨みをさりげなく晴らした佳菜子をよそに、首にかけた手ぬぐいを額に当てながら男性も軽いノリで素性を明かす
「俺は
「役者さんって舞台の稽古が中心じゃないの?」
セレナの純粋な疑問に、三上は軽く笑った
「別に台詞の読み合いとかならどこでも出来るけど、やっぱ舞台で動きながらやりたいからさ。早く舞台が出来るようにこうして俺らも手伝ってるってわけ」
今回の公演に向けて一ヶ月前から別の稽古場で本公演を意識した準備を重ねて来た水蓮華だが、脅迫状の送り主によって満足なクオリティに仕上がっていない
それに一度、本番の舞台の感覚も掴んでおきたい
プロの役者が賭ける芝居への情熱を再確認していると搬入口から新たな劇員が一人。男性にしては少し長めの常磐色の髪に包まれた、服装も話し方も理性的な眼鏡の男が三上を探しに来た
「三上。今から重めのやつ運ぶから手伝っ・・・・・・ん?」
「おおっ、谷川!! ちょっと付き合ってくれ!!」
少し強引に逞しい右腕で佳菜子達の前まで引き寄せ、三上は自分の腕に収まった痩せ型の男性を簡潔に紹介してくれた
「こいつは
「天才だなんて大袈裟だよ。俺の場合は器用貧乏って言うんだ。初めまして、谷川です。君達が朱音さんの警護を任された人?」
「二週間世話になる。忙しいのは承知で聞くが、この辺を案内してくれないか?」
朝礼で受けた団長からの丁重にもてなせという意志に従い、谷川は快く了承してくれた
合流も済み、一行は先程も通った輝かしいエントランスに戻り佳菜子の作戦に耳を傾けていた。
まずは舞台袖の担当
ここは縹電社の中でも"ぱるくーる"という摩訶不思議な動きが出来る、ずば抜けた身体能力を持つ氷六が適任だと予め考えていた事を伝えると全員一致で決まった
「ねぇねぇ、かなかな。休憩中は稽古見ていーい?」
「本業を放棄しなければ構わないわ。しっかり執筆に役立て頂戴」
次の場所は今いるエントランス
ここは柚が担当することになった
純粋な腕っ節で正面口から侵入、脱出を試みる敵から護る門番として任されたのもあるが、冷静な判断は観客を避難させるのに向いているのも一因に含まれている
楽屋エリアには佳菜子が自ら立候補した
全体的に狭く先が見通せない廊下は、佳菜子の能力を発揮させるのに好都合だったからである
最後に残ったセレナと麻沫は細かな部分の巡回だ。普通の客や関係者を装い不審な者の動向を伝える諜報的な役割を担う
「以上が今回の配置よ。各自、氷六の無線"いやほん"を忘れず着けて気になったことはすぐに報告するように」
氷六が一人一人に手渡している黒い機械は耳に着けるだけで何処にいても同じ物を着けている仲間と簡単に通話する事が出来、さらにこの時代では有り得ないらしいが他の機械から主導権を握られる "はっきんぐ" を防ぐ事も出来る。と氷六は言っていた
そんな時代を先取りした天才の傑作を片手に握りしめ、エントランスを担当する柚以外はそれぞれの役目を果たす為劇場の随所へ散開して行った
琉金姫(2) 終
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます