第一幕 華麗なる舞台
琉金姫(1)
翌日、 明の十の刻 (午前10時)
陽が登りつつあるいつもの平日
路面電車は通勤途中の会社員、近場の遊技場に向かう人々を担ぎ、真っ白な帆布を塗装するように特色溢れる着物やドレスを来た人々で活気づく万華町から離れた森林の手前。
背の高い木に遮られても少し痛い直射がじんわりと汗を浮かばせる暑い日だが、神殿を彷彿とさせる巨大な劇場前では別の危機に直面していた。
「佳菜子。いい加減シャキッとしてください。今から依頼人と会うんですよ」
「うぅ〜ん・・・・・・ もっと陽ぃ、沈んでから起こしてぇ・・・・・・」
極端な夜型人間の佳菜子は日中に弱く、誰かが見張っていないとすぐに寝こけてしまう。
明の刻の間はセレナを監視下に置き仕事の手解きを受けると同時に書類仕事中、机に伏さないよう厳しい目を向ける事で惰眠への突入を防いでいるのだが、前夜の六時間睡眠に加え行きの電車で十五分程の仮眠を取っても彼女の眠気が解消される事は無いらしい。
既に途切れ途切れの言い訳も並べずうとうとする佳菜子を支える柚は、二人に打開策を求めた。
「さて、今回はどうしましょうか?」
「はいはーい!私にいい考えがありまーす!」
意気揚々と手を上げた氷六を指名すると、彼女の両手は球形を掴む体勢になっていた。
「あの豊満なお胸を強く触ったらさすがのかなかなも起きるのではないかな〜と」
「駄目です」
淫らな欲望を一早く感じ取った柚は、電光石火の速さで思惑を撃墜させる。
「ちょ、拒否んのが早いよゆーぽん!?」
「どうせあなたの興味で触りたいだけでしょう」
「いいじゃんかー!!私は才能と引き換えに失ってんだよ!? 巨乳キャラ作んのにちょっとくらい間近で観察したいんだよ!!」
柚と佳菜子の発達したそれを恨めしく交互に見比べ、尽きない言霊の機関銃を放ち続ける氷六と冷静に諭していく柚。
介入する暇も無く、一歩下がって見守る事になり呆れながらも微笑ましく眺めるセレナの隣から落ち着いた重低音の声が通った。
「相変わらず騒がしいな。こいつらは」
初めて見る大柄の男性にセレナは率直に尋ねた。
「あの、どちら様?」
「ん? あぁ、あんたと顔を合わせるのは初めてだったな。
万華町の中で強大な権力を持つ憲兵長と柚と同じ歳まで育て上げた一人娘の父親である麻沫は、非常に義理堅い頼れる男。
比較的新しく入社しているセレナを除いた縹電社の面々との初めての出会いは良いとは言えなかったが厄介な事件を共に解決する度、職種と性別を超えた信頼は深まり今では一緒に飲みに行く仲にまで発展していった。
いつも着用する典型的な黒い軍服は憲兵の証で真面目に着こなせば堅苦しい印象しか与えないが、麻沫は上着を肩に羽織る、派手な装飾のベルトをする事で払拭している。
「麻沫さんはなにしにここへ?」
「護衛依頼に決まってんだろ。腕利きの探偵もいるとは聞いてたが、まさか泡辻達だったとはな」
既に日中の活動が苦手な事を把握している麻沫は、無気力にもたれかかっている佳菜子を見ても動揺しない。それどころか麻沫は懐を探ると奇抜な包装紙に包まれた飴玉を取り出し、セレナに託した。
「ほれ、これでも舐めさせてやれ」
言われるまま赤と黄の刺激的な絵の袋を剥がすと苺果汁を使用した飴によく見られる鮮やかな紅色の球体が露わになる。
動物と接するように佳菜子に話しかけながら軽く口を開けてもらいそっと舌に置く。
すると眠気に呑み込まれそうになっていた佳菜子が、覚醒し必死に水を求めながら悶絶し始めた。
「す・・・・・・ 凄い。一瞬で佳菜子さんの目が覚めた・・・・・・ あの飴は一体?」
「さっきのは数種類の唐辛子粉末が含まれた海外産の飴だ。最初にやった時はここまで効果が出るとは思わなかったから、以来、白糸と会った時の為にポケットに何個か忍ばせているんだ」
大粒の涙を潤ませる程の激痛に耐える佳菜子に近付くと、麻沫は拭う手巾と大きめの水筒を差し入れる。
「目ぇ覚めたか? 寝坊助」
上手く口が開けない佳菜子は、無言で水筒を受け取ると一心不乱に水を注ぎ込む。多少の痛みが和らいだところで、普段の佳菜子からかけ離れた幼い精神を宿して強気に頬を膨らます。
「もっと優しく起こせないのあなたは!? いつも激辛飴ばかり舐めさせて!!」
「ガキみたいに喚くくらいなら、いい加減改善したらどうだ? それよりも早く劇場に入るぞ。約束の時間に間に合わん」
気付けば約束の時刻まで余裕は無い。
早足で歩を切り込んで行く麻沫に続いて、柚達も海外製の大きな扉を潜っていった。
劇場の扉の先は丹精に磨かれた石材が贅沢に敷き詰められ、万華町特産の硝子を贅沢に使用した巨大なシャンデリアが獲物を誘うように照らす待合室兼エントランスとなっていた
透き通った海中に良く似た明るい街並みの外観とは違う海の深淵を模した内装と庶民が座るのを躊躇うふかふかなソファに拠るおもてなしから、良識に優れた富豪を求めている事が察知出来る
まさに選ばれた者(入口前には係員が立っており、招待状を持っているか確認していた)の為の娯楽施設に柚達が踏み入ると、身分を確認しようと燕尾服の老人が流麗な動きで近付く。
「失礼、憲兵長の麻沫 仁様と縹電社の探偵の方々でございますね?」
「はい。招待状もこちらに」
柚と麻沫が招待状を示すと、老人はモノクルを調整しながら手早く確認しそれが自分達が配送した物だと認めて感謝を述べた。
「やぁやぁやぁ!! 遠路はるばるどうもありがとう」
語尾が後引く変わった話し方を引っ提げて劇員の力になるであろう心強い事件解決の専門家達を歓迎してくれたのは、百五十にも満たない佳菜子と同じかそれよりも低いかもしれない小太りの男性
水蓮華に精通している氷六は一目見るなり歓喜の声をあげた
「嘘!? もしかして煌木団長!?」
「いかにも。僕が水蓮華を創立し、現団長を任されている "
煌木が紳士的な礼儀を終えると変わって隣で控えていた老人が名を明かす
「皆様の案内を一任されている "榊" と申します。ここには私も含めた数十名の係員が待機しておりますので劇場内でお困り事が御座いましたら私にお申し付けください」
簡単な挨拶を終えた瞬間を見計らって煌木が切り出す
「疲れている所、申し訳ないが早速君達には依頼人と打ち合わせして欲しいんだよ。榊さん、お願いして良いかね?」
「畏まりました」
係員専用通路の道中は岩礁内部と沈没船の在りし日を再現した様な装飾で満たされ室内は橙色に発光する円柱のガス灯が健気に照らしていた
船の一部でもある錨や舵輪が愛らしく思える程、縮小され家具として澄んだ上品な海の壁紙と共存する芸術的な幻想は狙う上流階級の客層に見せてもあっと言わせる品性がある
舞台以外の内装の充実っぷりに感心する来客者達に氷六はもう一つの建物を紹介する
「これで驚いては駄目だよ。この劇場は舞台だけじゃなく関係者が寝泊まり出来る宿舎もあるんだからね〜 しかもホテルみたいに豪華なんだとか!!」
「 "ほてる" って・・・・・・ 確か海外の寝泊まりするとこだったか?」
この劇場は稽古と公演用の舞台と関係者専用の宿舎、二つの建物が池に見立てた敷地に建っており一本の長廊下で繋がっている。宿舎は稽古期間中、水蓮華のプライベート空間となる為柚達や麻沫が踏み入れる事は無いと思うが敷地は全て防犯砂利が広がっている為、不審者だと勘違いされたくなければ行き来の際は長廊下を利用した方が良いと榊は教えてくれた
現在、柚達がいる舞台は地上三階、地下一階建てとなっており二階と三階に客席が用意されている
一階はエントランスに加え貴婦人が化粧直しする為の部屋、舞台装置の調整を司る全ての施設が揃い客が来ない今は係員や作業員が行き交う階層になっており榊について行く道中も公演に使うであろう小道具や飾りを忙しなく運ぶ人々を何度も見かけた
依頼人が待つ場所は地下一階、楽屋エリアと呼ばれる関係者控え室が集合した階層。部屋を区別する為の手段として独自に振られた色や海洋生物型の窓硝子が特徴である扉が一つの街の様に並ぶ廊下は似た景色が広がっており曲がり角の先が見通せない。劇場に精通した案内人がいなければ初めて訪れた者は迷ってしまうだろう
依頼人の部屋まではもう少しかかる。構造の説明で余った時間を使い、煌木は依頼内容を先出しする。
「招待状にも書いていた通り、君達にお願いしたいのは女優の護衛だよ。正体不明の脅威から彼女を護って欲しいんだ」
「犯人に心当たりなどは無いのですか?」
「それがね、全く思い付かないんだよ。劇団員達に関する書類は目を通しているから仲間の仕業なら筆跡で判別出来るんだが手書きじゃないからなぁ」
軽い事件概要の確認と共にしばらく廊下を歩くと朱色に塗られた扉と金色の縁、鯨の象った琥珀色の窓硝子。度々見かけた他の扉とは一線を画す格式高い扉の前で榊が静かに振り返る
「こちらの部屋で依頼人がお待ちしております。しばしお待ちを」
榊が数回赤い扉を軽く叩くとかけられていた電子ロックが解かれ、中から高潔を体現した女性の声が一言で入室を許可した。
演劇界を支える大御所や海外の劇団の為に用意された楽屋にはエントランスと同じ豪華なソファや椅子、質素ながらも気品溢れるドレッサーに加えグランドピアノまで完備されている。
大人数でもゆったり過ごせるよう他の楽屋よりも広めに作られたこの部屋だが、そこにいたのは自分よりも大きな鏡の前で事件解決に尽力してくれる希望の光を待つ小柄な少女だけだった。
「それではご紹介しよう。
一本に束ねた艶やかな黒髪と
「初めまして。私が依頼人の朱音です」
琉金姫(1) (終)
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