瑠璃夜の静かな喧騒(2)

酔っ払い達の対応を終えてから数刻

柚は街の一角に佇む三階建てのビルの前に辿り着いた。この目の前にある極彩色の建物の二階こそ柚が勤める探偵事務所「縹電社」の所在地なのだ。

少し厄介な応対に時間を取られてしまったがようやく戻る事が出来、胸の内は安心感で満たされていた。その気持ちは柚だけで無くずっと自分の肩に隠れていた相棒も一緒だったらしい。


「もういませんよ。怖い思いをさせたお詫びに好物の小海老をあげますからね」


柚が優しく頭を撫でると、黄色い雄のタツノオトシゴ「ウラシマ」は甲高い鳴き声を呟き頭を擦り付ける。

元は雨天の中、フワフワと彷徨っていた野良動物だったが献身的な世話を続けていたら懐かれてしまった為今はささやかな癒しの存在として柚が連れている。

ウラシマをお気に入りの左肩に戻しビルの正面玄関を通り抜けた先には、異国の海水浴場をイメージしたお洒落な喫茶店「とろぴかる」が出迎えてくれる。

店内に使われている照明("ねおん"という変わった物質を使ってるらしい)や音楽を鳴らす"らじかせ"は縹電社の一員の一人が作ったが、それ以外の道具は店主が実際に海外から取り寄せており、外と同じ開放感溢れた気持ちいい空間を演出している。昼は南の国で広く嗜まれている陽気な音楽が流れているが、夜になった今では収録されたさざ波の音と混ざり合った悠々なジャズが微睡みを誘う。


「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」


丁寧な物腰で歓迎してくれたのはよわい三十手前とは思えないうら若き美貌の持ち主。

このビルの管理人兼「とろぴかる」店主 潮鯨しおくじら みなと は客が少ない時間帯を使って食器を片付けていた。

迷うこと無くカウンター席に着いた柚は店主に向かっていつも通り伝えた。


「桜と共に乱れ踊るは」


「月光に照らされた」


「至極の銀刃」


毎月変わる秘密のやり取りが完璧に遂行されると、みなとは橙色のエプロンポケットから取り出した特殊なカードと労いをカウンター越しに渡す。


「今日もお疲れ様、柚ちゃん。夕食は後で持っていくわね」


「ありがとうございます。ウラシマの小海老もお願いします」


カードを受け取り従業員しか入れない扉をくぐると、そこには喫茶店の清掃道具が綺麗に羅列された古びた小部屋。

外に出る扉も上へ上がる階段もない最奥の部屋にあるとあるロッカーは姿形を良く似せた偽物であり、子供でも動かせる程軽い。それを退かすと壁に埋め込まれた小型の機械が起動し、八桁のパスワードを要求する。

先程、みなとに伝えた口頭の合言葉と違いパスワードは一日三回の指定時間毎にランダムに変わってしまう為、防犯性能は高いがメンバーも入るのに手間取ってしまう。そこでみなとから渡されたカードが文字通り鍵になる。

裏面のバーコードを向けた状態でガラス部分をタッチすると自動的にパスワードが入力され、電子施錠が解除される。

入所を許可され、からくりが用意した木製の階段を上がると並んで通れない程に狭い廊下。突き当たりを右折した先には、こぢんまりした片開きの引き戸を守るやや細身の男性が立ちはだかっている。


「お疲れ様です。泡辻さん」


夜の非常勤として雇った元軍人の若輩男性は柚の姿を確認すると軽く頭を下げながら横に退く。

礼儀正しい彼に倣って、柚も出来るだけ愛想良く返す。


「お疲れ様です。今晩も宜しくお願い致します」


縹電社の看板が掲げられた小さい扉の向こうに待っているのは、和と洋が融合した落ち着きのある広めの事務所と個性豊かな頼れる三人の女性達である。


「ただ今戻りました」


最初に柚の帰還報告に反応したのは、奥の机に居座り書類を見通していた小柄な美女だった。


「お帰り、柚。依頼はどうだった?」


白糸しらいと佳菜子かなこ 二十五歳


黒薔薇と茨の紋様が美しい漆黒の着物を纏ったしっかり者の彼女は、優秀な探偵でもありこの縹電社の社長も勤め上げる年長者でもある。

とろぴかるの店主、みなとは親戚にあたり万華町で商売する際、同じ血のよしみで住居と仕事に使える空き部屋を提供してくれた恩人に当たる。


「何事も無く解決しましたよ。ペットのカラスが犯人というしょうもないオチでした」


依頼人の深刻そうな面持ちからすぐに解決しないといけない事件だと感じ早急に引き受けたのにこのオチである。カラスを飼っており光り物限定で消失していると聞いてから何となく察したが大事に繋がらなくて良かった。

早急な解決にほっと一息ついた所で柚は机の上の報告書を一枚引き出す。


「そういえば厨房を覗いた時、殆どの料理が盆に並べられてましたよ。もうすぐ夕食かと」


「ほんと!? 今日、お昼食べ損ねたから待ちきれないわ!!」


またお昼寝と言って夕方まで寝過ごしたのか。と頭の片隅で呆れる柚

ストーブでじんわり暖まった室内で報告書を書こうと依頼人との応接に使うソファに腰掛けた時、隣の軽薄な女性が肩を組んできた。


「ゆーぽ〜ん!!なんか小説のネタになりそうな事無い〜?」


霧ヶ谷きりがや 氷六ひむ柚と同じ二十一歳


紫の地毛と "めっしゅ" と称されている白の差し色が合わさった派手な短髪と底抜けに明るい性格を持つ人付き合いを選ぶ快活な女性は "未来からの来訪者" と少し理解し難い妄言を掲げる怪しい人物だが、"ふーど"という帽子と服が一体化した上着を筆頭に着物とは違う動きやすい服装と「とろぴかる」の設備を作ってしまう技術には目を見張る物がある。

ちなみにこの時代を訪れた理由は趣味で執筆している小説の舞台の参考にする為の取材らしい。


「氷六・・・・・・その変な呼び方止めてください」


「いーじゃーん。私なりの親愛の証だよ? で、今日は刺激的な出来事無かったの?」


「残念ながらご期待に添えれるような出来事はございません。まぁ、酔っ払いには絡まれましたが」


「マジ!? ゆーぽん可愛いから男子に声かけられそうだよね〜」


氷六は一度話し始めると中々会話が途切れない。

正直疲れている状態で氷六の長話に付き合うのは少し面倒だと思っている柚。そんな困惑を汲み取ってた目の前の外来の少女が本の隙間から助け舟を出してくれた。


「氷六さん、読み終わったよ」


セレーナ・コストゥリカ 十五歳


元々、青国せいこくの王族として生を受けた生粋の姫君。通称、セレナは命を狙う刺客から逃れる為この万華町に逃げ込み現在は縹電社で生活している。

大勢の侍女達から守られてきた上品な絹同然の柔らかさを持つ長い金髪と日焼け知らずの真っ白な肌は高貴な存在である事を無意識に証明し、召している純白のワンピースが更に汚れなき美を引き立たせる。

読破完了と聞き作品の評価をすぐにでも聞きたかった氷六は、セレナの狙い通り柚から離れ机から乗り出す。


「どうだった? 今回の話は殺人鬼をテーマに書いてみたんだけど」


「ちょっと新鮮な設定で読んでて飽きなかった。殺す理由が性欲を満たす為の殺人鬼なんて中々聞かないね」


「殺人鬼・・・・・・ですか。なんでそれをテーマに?」


「そういやゆーぽん、いつも早く出掛けるから新聞読む暇ないんだっけ。ほらっ」


手渡された新聞の一面には黒い四角形に囲まれた『裏路地で多量出血の死体。噂の殺人鬼の仕業か?』の見出しと殺された男性に関する詳細が記載されていた。

氷六の説明によると、この事件は二年前から世間を恐怖に陥れているらしい。直接的に繋がる手掛かりが少ない (氷六は自分の時代だったら使われた刃物の形状もすぐに分かるとまた真偽が掴みにくい事を言っていた) 為、判明している事は少ないが唯一分かっているのは死体の状態だけ。

いずれもわざと大量出血するように腹部を刺されており、失血が原因で亡くなっている。


「気味の悪い犯人ですね。必要以上に痛ぶりたいのか別の目的があるのかは知りませんが、人のやる事じゃないですよ」


あくまでも冷静に犯人の心理を辿ってみるが理由ははっきりと判明しないし、人道から外れる理由も分かりそうに無い。

目的不明の殺人鬼に唯一出来る事を氷六は何故か紳士の真似で伝通する。


「ゆーぽん君も、外出する際は細心の注意をはらい給えよ。なーんてね」


「そういう氷六さんもね」


暫く殺人鬼への作戦会議を続ける談笑の空気が流れる中、荷物運搬用の小型エレベーターの到着音が短くなる。

待ちに待った夕食の時間である

温かみのある木目調の盆に美しく食べやすい配慮も兼ね備えた並びで乗っているのは黄金色に輝く栗も入った山菜ご飯、香ばしい鮭の味噌焼き、人気の副菜であるほうれん草の胡麻和え、油揚げとわかめの味噌汁が暖かく食欲を刺激する。

縹電社の食事は流行りに疎い柚に合わせて毎日、四品の和食が提供されどれも繊細な味付けで好評を得ている。

手を合わせたり、砕けた言い方で挨拶を言ったり、首から提げた十字架を握りながら等多様な方法で食への感謝を済ませると思い思いに絶品の和食を食べ進めて行く。


「さて、食事中で申し訳ないけど明日の依頼について説明するわよ」


少し透けた黒レースの手袋を纏った手で佳菜子が取り出したのは普通の封筒と一線を画する豪華な金のふちが施された黒い手紙。

今日の昼に配達員から直接届けられた代物は寄せ付けぬ品位に溢れ、例え正確に届けられた送り主でも開けるには勇気がいる。


「めっちゃ特別そうな奴だね〜 かなかな、これ誰から〜?」


「水蓮華からよ。昼頃に郵便から届いたから、社内での仕事が多い私とセレナは確認済みなんだけど深刻な依頼よ。簡単に説明しておくわね」


万華町一の劇団の名を聞き、興奮する演劇好きの氷六を鎮めながら佳菜子は水蓮華から届いた手紙を見せながら内容を要約して伝える。

まず前書きに書かれていたのは他言無用の頼み。今回の依頼は限られた人物にのみ送っている極秘依頼であり、絶対周りには明かしてはいけないとの事。

肝心の依頼内容はというと一週間前、何者かから脅迫を受けた為憲兵と連携して主演女優の護衛、あわよくば犯人を確保して欲しいという依頼だった。

その後は文面では伝えられなかった事項の補足と顔合わせも兼ねて会いたいという要望が綴られているがセレナが変わって説明してくれた。


「詳しい説明は明日、劇場で依頼人と打ち合わせ。明の八の刻には出発するから、寝坊はしちゃ駄目だよ。特に佳菜子さん」


「ぜ、善処するわ・・・・・・」


早起きは大の苦手である典型的な夜型人間にはとても痛い忠告が刺さった後、佳菜子の箸は数刻止まっていた。


瑠璃夜の静かな喧騒(2) 終



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