輝く泡沫の中で

Ryng

序章

瑠璃夜の静かな喧騒(1)

人の一生は、永遠と錯覚する程遅く感じる時もあるが、実際は泡沫の様に脆く短いものでもある。

神に恥じぬ善行を重ね、心身を気遣う健やかな暮らしを送っていても全ての人間が天寿を全う出来る訳では無い。


自分勝手な事故に巻き込まれたり、強欲や復讐に囚われた他者から命を奪われる可能性もありえるし、不治の病に体を蝕まれ急な体調変化に苦しむ事もあるだろう。

そんな一瞬の出来事で人生は泡のように弾け飛び幕を閉じる。


だからこそ人は生きた証を欲する。

例え、他人を蹴落としてでも


武勲を立て、歴戦の勇士として崇められた者。


新たな機械を発明し、世に革新を齎す者。


歴史に名を刻む形は様々だが、いずれも容易い事では無い。思い描いた夢や理想を追い求め人は只管ひたすらに一人で突き進み、偶に他人の手を借りて目標として具現化させていく。それが人の秘めた可能性であり力である。


ここ「万華町」はどこまでも広がる海原のその下、世間一般は"水中"と呼称する風景を閉じ込めたような美しい大都会であり危険は無いものの未だ原理が解明されない透き通る泡があちらこちらで漂っているのが特徴だ。

現代的、とは呼べない木造住宅の列の中には生物が住み着く岩の様な目立たない高層の建物もあれば、誰もが目を引く派手な色彩の住宅も混ざっている。

硝子の産地として知名を広げている万華町は近郊に多数の工房を構えており、今日も鋳造の火が新たな作品を産み続け民家や屋敷、教会や娯楽施設などの公共の場を華やかに演出する以外にも身近な道具の原材料に利用され、万華町市民だけで無く郊外でも生活の一部として馴染む程の知名度を誇る。

そして万華町に限らず、この世界は徐々に進化を果たしていた。

海外との交易が始まった二年前から見た事も無い逸品や文化が流通し街に組み込まれる機械や食卓に並ぶメニューには最早慣れ親しんだ面影は残っていない。

所々で文明開化の音が響く街の何処か

時代の変化についていけない事を悩みながら本紫の煉瓦で整備された街道を早足で歩く水晶の様に儚げで清純な女性が一人いた。


泡辻あわつじゆう 二十一歳


真っ直ぐに整えた長い銀髪と桜の花をモチーフに織られた桃色の着物を清純に着こなした容姿は大和撫子と例えるのが相応しいのだろうが、袖の切り込みから覗かせる腕とスラリと伸びた艶めかしい生脚が堅苦しい印象を払拭させている。

普段は探偵業を営む事務所「縹電社ひょうでんしゃ」に所属する探偵として忙しい毎日を送っている彼女。この日は少し遠めの街の古道具屋で起こった盗難事件を解決し、事務所に戻る途中であった。

外景を彩った淡紅の花弁が散り始めた春の終わり

現時刻は夕の八の刻 (午後20時)

永き冬を乗り越え、麗らかな暖気が戻って来たとはいえ日が暮れれば身震いする程の冷気が体温を奪う。

一刻も早く事務所に戻り、ストーブの柔らかな熱気に包まれたい。

その思いを原動力に変え、柚は透き通った髪をたなびかせながら足早に帰路を駆ける。だが、急ぐ彼女の目の前に少々厄介な事態が発生した。


「お〜っ? 姉ちゃん仕事終わりかい? おじさん共と一杯やろうじゃねぇかぁい!!」


「安心しろってぇ〜 金はこっちが持つよ。お前さんみたいなべっぴんと飲みゃあ、もっと酒が美味くなりそうだからな!!ガッハッハッハッ!!」


白シャツとスーツのズボン、頭に襟締を巻いた中年男性達が柚の進路を塞ぐように絡んできた。呂律が回っていない喋り方から見て典型的な酔っ払いだ。

柚もお酒は好きだが、生憎まだ仕事が終わっていないので付き合う時間は無い。それに知らない人と飲める程社交性にも富んでいない彼女はさり気なく断りその場を切り抜ける事にした。


「失礼。先を急いでいるので」


男性達の返答を待たずに合間を縫って去ろうとする柚だったが突然、右腕が力強い何かに繋がれ小走りが止まった。


「あぁ〜ん? ざけんじゃねぇぞぉ? 高級デパート勤務のエリート様の誘いを無視するって言うのかぁ?」


柚を引き止めた拘束の正体は男性の手。体幹が不安定になり偶然掴んだ訳では無い。無理矢理にでも押し通ろうとする柚を止める為の故意の行動であった。

今ならばセクハラ行為で警察沙汰の騒ぎを起こす事も出来るが、この時代はまだ男尊女卑の考えが少し残っている。力の無い女が叫んだところでこの場の収束はされても男性達のお咎めは無いだろう。

どうにか自分の力で切り抜けようと柚はちらりと分析した後、一度冷静になり表情や抑揚に変化を付けないまま男性達に尋ねた。


「逆に私なんかを誘って大丈夫なんですか?お二人共、見た所ご結婚されているようですが」


「なっ!? 姉ちゃん、なんで分かんだよ!?」


簡単な事ですよ。と指差す先には固く右腕を掴まれている間、瞬時に見抜いていた両者の左手薬指の指輪があった。

無表情を保ちながら柚は服に着いた糸くずを払うように軽い力でしわが寄った大きな手を退け、更に問い続ける。


「良いんですか? 奥さんが家で待っているのに、外で他の女を誘うなんて」


「けっ、俺達はもう結婚してから二十五年も経とうとしてんだい!!お互い嫁とガキからは愛想尽かされてんだから誰と飲もうが自由だろい!?」


「そうだ!!こっちは毎日夜遅くまで働いてんだから多少の労いくらい・・・・・・あってもいいじゃねぇ〜かぁ〜。ヒック!!」


前の店で散々飲んでいてもアルコールが足りていないのか男性達は片手に持った瓶の中の発泡酒を流し込む。

余程、現実に相当な不満を抱えている二人だが他人の柚を巻き込んだ上、了承を得ずに体に触れてきた行いは看過出来ない。

だが柚としては面倒事を起こし、事務所に戻る時間が長引くのは御免である。帰宅を待ちわびてるであろう男性達を家族の元に帰らせる為にも穏便に済ませたい。

湯上がり後の様に顔を火照らせた酔いどれ親父達に、せめてもの慈悲として柚は少しだけキツく睨む。


「あの、そろそろ離れてくれませんか?今なら何も無かったで済ませますから、ヤケ酒なんて止めて早くお家に帰ってあげてください」


そう警告した後、少し前まで能天気に明るかった男性の一人が苛立った様子で空瓶を叩きつける様に地面に投げ捨てた。


「・・・・・・黙って聞いてりゃ小言ばっかり垂れやがって。うぜぇんだよ!!女の癖によぉ!!」


行き交う人々が慄然する怒号が街中に響いた。

続けてもう一人も先程の様な乱暴さは無いが、同じように瓶を放棄する。


「あぁ、同感だ!!そもそもお前が黙って俺らに付き合ってくれりゃもっと気持ち良く酔えたってのによ!!」


「俺が女を拘束する!!少し殴って痛い目合わせてやりゃあ泣き付いて付き合ってくれるだろうよ!!」


尋常ではない気迫と共に今度は喉元を掴みかかろうとする男性。

最早酔っていたでは済まされない行動が接近しているこの場面でも柚は変わらず虚ろな顔を貫いていた。


「・・・・・・仕方ありません。警告は前もってしてありますので恨まないで下さいよ?」


柚は迫る腕を掴むと、力では無く技術を駆使して推定七〇キロ以上はあるであろう長身男性を軽々と投げ飛ばす。

既にこちらの言葉が届かない男性達に対抗する為、柚も念を入れて距離が離れた僅かな間に納刀状態の刀を構える。

柚が常に腰に携えた愛刀の名は「朧雲」

淡い水色の晴れと雲が絶妙に織り成す空の一片を閉じ込めた鞘の中に眠る細身の刀

その名の由来は降雨を告げる高層雲から着想され、泡の様に淡く輝く鞘に納められた刀身が抜かれた時、戦場に血の雨が降り注ぐ事を敵に伝える事から付けられた柚専用の刀である。

酔った勢いと拒絶された怒りに任せて柚に殴り掛かる男性達の動きは常日頃から鍛えている柚から見れば陳腐なアクション映画のスローモーションよりも遅く見える。

タイミングを見計らい急所の間合いを捉えると、柚は本来の力を抑えた朧雲で撃ち込む。首筋を撃ち込まれ、間抜けな声を上げながら通りの中心に倒れ込んだ男性達はようやく落ち着いてくれた。


「全く、酔っ払いの接待はこれっきりにして欲しいです」


最初で最後の経験になる事を祈り、気絶している内に本で読んだ酔いに効くツボを押した後、柚は立ち尽くしていた観衆の一人に僅かばかりの札を握らせた。


「すみません、そこの男の人。一緒にあの人達を安全な所まで運んで頂けないでしょうか?」


突然の一万と大の男二人の介抱の手伝いを無理矢理押し付けられた真面目そうな青年を置いて、柚は何食わぬ顔で男性の片方の腕を担いだ。


瑠璃夜の静かな喧騒(1) 終







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