第5話「おまじないの話」

自分が初めて担当した患者さんはお酒と料理が好きなとても明るいお婆さんだった。

「これは治療なのか?」と自分でも疑問ではあったが、毎日のようにお婆さんと、お婆さんの旦那さんとの三人で酒や料理の話を楽しんでいた。


本来であれば『傾聴けいちょう』といって、理論により裏打ちされており、訓練を積み重ねて身についた技術をもって話を聞くのがプロである。

まだ新人だった……というのは言い訳になってしまうが、このお婆さんとの会話を僕はただ楽しんでいた。人として、この高齢のご夫婦の事が好きになっていた。言うまでもなく、プロとしては失格であるというのも理解しつつ。

そして、看護師長はもちろん気がついていらっしゃって、あえて見ないふりをされていた事も知っていた。


しかし、看護師長の意図にだけは気がついていなかった……。


 * * *


お婆さんが「散歩をしたい」と突然に言われた。これまで頑なに動かれようとしなかったので、これには驚いた。


「いいですね! 一緒にお散歩しましょうか!」


急いで許可を得て、お婆さんと僕はお婆さんの生まれた家と、その近所を一緒に散歩した。まるで夢のようだった。これまでどんなに先輩たちが外出を促しても動かれなかったお婆さんが自分から外に出られたのだ。


「あなたといると本当に元気になるわ。また、散歩に連れ出してね」


お婆さんは自分の生まれ育った街を見回しながら、笑顔でそう言ってくれた。


「もちろんですとも!」


僕も笑顔で返す。

患者さんに対する自分の関わり方は間違っていなかったんだと思った。

笑顔や笑いは人を元気にする。

病院に戻ると、看護師長や先輩たちに今日あった出来事を興奮しながら話した。

みんなは口々に「よかったね」「やったね」と言ってくれた。


 * * *


病院のお客様……すなわち、患者さんは……健康なはずはない。

驚くほどに急な話だった。


末期癌。ステージ4。


どうして誰も気が付かなかった?

僕は何をしていた?


余命一週間の宣告を受け、お婆さんは僕の勤務する病院から「ホスピス(死期の近い患者さんに安らぎを与え、看護する施設)」へと転院される事になった。

しかも運悪く、僕が休みの日に。


休み明けにホスピスへの申し送りついでに面会を希望するが、コロナ禍により親しい家族以外の面会謝絶を告げられる。

駄目で元々、看護師長に相談したが、他院に迷惑をかけられない事や病院で働く意味についてを説かれ、後ろ髪を引かれる思いで通常業務に戻った。


 * * *


心配事を抱えながら働くと疲れる。

起床、出勤、働く、帰宅、寝る、起床、出勤、働く……という日が3日ぐらい続いただろうか。いったん寝たら朝まで起きない僕だが、自然と夜中に目を覚ました。

ぼんやりする頭で『珍しいこともあるもんだ』と考えながら、部屋の時計を見やると時刻は3時21分。


「3,2,1…だな……」


だからどうした。そんな事より、もう数時間は寝れるぞ。

自嘲しながら部屋の中を見回すと、足元に白っぽい人影を見つけた。

怖いという感覚はなくて、どうしてそう思ったのかは今もわからないが『友達が来ているな』と感じた。


「今日は遊びに行く約束してたっけ? ごめん。寝てた……」


寝返りを打ちながら謝ると、その人影が肩を震わせて笑ったように感じた。

ああ、これはあれだ。呆れられてるな。

呆れるついでに多目に見てよ。もうちょっと寝る……


「おやすみ」


僕がそう言うと、人影は「じゃあね」と手を降ったように感じた。


 * * *


翌朝、業務用ケータイにお婆さんの旦那さんから電話がかかってきた。

旦那さんは落ち着いた声で僕に伝えてくれた。


「今朝、3時21分に妻が息を引き取りました」


 * * *


看護師長に許可を得て、お休みをもらって告別式に参加した。


お婆さんは綺麗な寝顔をされていた。

いつものように気持ちよく寝ていらっしゃるだけな印象。


「こんにちは。僕が来ましたよ。

 一緒にお散歩しましょうか」


そう伝えてみたけれど、返事はしてくれなかった。


お婆さんのご家族からは、病院のスタッフが来てくれるとは思わなかったと言われたのだが『そういうものなんだろうか?』と、ぼんやりと考えながら告別式に参加させていただいた事に対して感謝の言葉を述べた。

うちの病院からの弔電は無いんだな……そんな事も考えていたように思う。


ぼんやりとしながら帰ろうとする僕に、旦那さんが声をかけてくれた。


「今までありがとう。妻があなたに会いたがっていましたよ。

来てくれるのが楽しみって、いつも言ってました。

本当にありがとう。最後に散歩に連れ出してくれて本当に良かった。

自分の生まれた家が見たいって、ずっと言ってたから……」


旦那さんは、涙ぐむ僕の肩を抱きながらそう言ってくれた。旦那さんが言ってくれた言葉は覚えているけど、僕はなんと返事したのかを覚えていない。


ただ、告別式が終わって自分の車に戻ると声を出して泣いた。


 * * *


あれから僕にどんな変化があったんだろうと考えるが……


よく分からない。


看護師長から「担当患者の死を経験させなくてはならないと考えていたけれど、早すぎたと思っている」と言われた。そして、これが病院で働くという事だと。「この経験をどう活かすか、患者さんに感謝しながら考えてほしい」と言われた。

だが、あれから1年も経っても……よく分からない。


強いて言えば『自分の心を守るため』にドライになった気もする。

でも、病院ここにいる患者さんこのひととの出会いと別れは、大事にしたいとも考えるようになった気がする。だから、プロでなければならない。理論と技術をもって関わる。人間として。人間同士として。


でも、それって病院のスタッフとしては当然の事だよな?とも思う。


 * * *


最近、よく自分の住む街を散歩をするようになった。


「一緒にお散歩しましょうか」


なんて、誰もいない所に向かって言ったりする。

自己満足であるのは百も承知だけれど、何故か心が穏やかになる。


気持ちよく散歩をする時の『おまじない』みたいなもの。


案外『おまじない』なんてものは、こうやって生まれるものかもしれない。

そんな事を考えた。

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