あなたに祈りを① ※マルグリット=フリーデンライヒ視点

■マルグリット=フリーデンライヒ視点


 夏が終わり、日差しが柔らいできた秋の日。


 私は、侯爵でありこのエストライン王国の内務大臣でもあるお父様の馬車の荷台に忍びこみ、息を潜めていた。


 それは、お母様の病気を治していただくよう、女神ダリア様にお願いするため。


 ◇


 お母様は、半年前からずっと咳の病に冒され、それ以来ずっと床に臥せっていらっしゃる。


 お医者様も色々とお薬を調合してくださったり、何か方法はないかと調べてくださったり、全力でお母様の治療にあたってくださっているけど、改善の兆しは見られない。


「ねえ……お母様は、どうしたら元気になるの?」


 私は幼いながらお母様を救おうと、家中の使用人達に尋ねて回った。

 でも、使用人のみんなはそんな私に悲しそうに微笑むだけで、誰も答えてはくれなかった。


 そんな折、私は使用人達の会話を耳にした。


 曰く、王宮には人の切実な想いを叶える泉があると。

 清い心を持つ者が、金貨一枚をその泉に投げ入れて祈りを捧げれば、女神ダリア様が祝福を与えてくださると。


 私はこれしか……これしか、お母様をお救いする方法はないと思った。


 幸い、お父様は内務大臣だから頻繁に王宮に行っている。

 早速、お父様の予定を執事に教えてもらい、私は仕舞ってあった金貨を一枚取り出すと。


「これで……お母様を救うんです……!」


 願いと決意を込め、私は金貨を力一杯握りしめた。


 ◇


「まだ着かないのかな……」


 荷台の中で、私はポツリ、と呟く。

 お父様に隠れているからなのか、この狭い暗闇の中だからなのか、それともその両方なのかは分からないけど、私は不安でたまらなかった。


 見つかったらどうしよう。

 このまま閉じ込められちゃったらどうしよう。


 私は心が押し潰されそうになり、思わず泣いてしまいそうになる。

 でも……私は、お母様を救うと決めたんです……!


 小さな手に持つ金貨をギュ、と握りしめ、心を奮い立たせる。


 すると……馬車が止まった。


「つ、着いたのかな……?」


 私はソーッと荷台の蓋を開くと、見たこともないほど広いお庭が目の前に広がっていた。


 うん……ここがきっと、王宮なんだ。

 そう確信した私は、周りの様子をうかがう。


 馬車を降りたお父様が、王宮の騎士に見守られながら建物の中を入っていくのが見えた。

 他の人達も、そんなお父様に注目している。


「今のうちに……!」


 私は素早く荷台から降りると、すぐに草木の陰に隠れてやり過ごす。

 しばらくすると、騎士や従者達は持ち場に戻り、馬車もどこかへ行ってしまった。


 さあ、女神様の泉を探しに行こう!


 私は小さな拳を握りしめ、この広いお庭を探し回る。

 ちょうど、草木が小さな私の背丈くらいしかないのもあり、幸いなことに衛兵や王宮で働く使用人達に見つかることもなかった。


 そして。


「あった……!」


 たくさんのマリーゴールドが咲き誇る庭園の中央に、私が探していたもの……女神ダリア様のがあった。


 ええ! これに絶対間違いないわ!

 だって、泉には女神ダリア様らしき女の人の像がありますもの!


 早速握りしめていた金貨を泉の中へ投げ入れると、私は両手を合わせて祈りを捧げる。


「どうか……どうか、お母様の病気が治りますように……お母様が元気になりますように……!」


 どれくらい祈っていただろう。

 私は何度も、何度も繰り返し呟きながら、祈りを捧げる。


 その時。


「……それは一体、何をしているのだ」


 突然、後ろから声をかけられた。


 見つかった!?

 私は思わず身体を強張らせ、おそるおそる振り返る。


 そこには……私と同い年くらいの、綺麗な顔をした男の子がいた。


 綺麗な黒色の髪に同じく紺碧の瞳。

 でも……その輝く瞳の奥には、どこか寂しそうな……全てを諦めているかのような、そんな色がうかがえた。


 そんな吸い込まれてしまいそうな瞳から目が離せない私は、何故だか分からないけど自然と目的を告げた。


「……お母様が、ご病気で臥せっているのです……王宮の泉に金貨を一枚と祈りを捧げれば、女神ダリア様が助けてくださると……」


 言ってから、しまった、と思った。

 そもそも、この男の子に衛兵を呼ばれたりしたら、私は捕まって追い出されてしまう。


 でも、そんなことを考えても今さらどうしようもない。

 ならばと、私は残された短い時間、祈りを捧げることに費やそうと考え、また泉へと向き直って祈りを再開した。


 ……そんな私を、ひょっとしたらこの男の子は笑っているかもしれない。


 だって、私だって本当は分かっている。

 こうやって祈りを捧げても、お母様の病気が治るわけがないことを。


 これは、ただの私の自己満足なのだと。


 なのに。


「あ……」

「……一人よりも、二人のほうが御利益はあるだろう」


 男の子は金でできたボタンを一つ、服からもぎ取り、それを泉の中へと放り込んだ。

 しかも、お母様のために見ず知らずの男の子が、祈りを捧げてくれたのだ。


 嬉しかった。

 思わず、涙をこぼしそうになった。


 そんな男の子の優しさに応えようと、私も必死で祈りを捧げる。

 男の子は祈りを終え、そのまま無言で立ち去ろうとした。


 だから。


「あ、あの! あなたのお名前は……?」


 私は男の子を呼び止め、名前を尋ねた。


「……“ディートリヒ”だ」


 男の子は振り返り、ファーストネームだけを告げて今度こそ泉の前から去った。


「ディートリヒ、様……」


 私は男の子の名前を、何度も何度も繰り返し呟きながら、いつまでもその背中を追っていた。

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