第50話 寂しいことを言うなよな

 目尻に涙粒を溜めたまま、琴ヶ浜は虚を突かれたように目を丸くする。


「え……?」

「だから、お前と一緒にいたって俺は別に死んだりしないって言ってるんだ」


 正直、この時の俺は琴ヶ浜に対して若干腹が立っていた、と思う。

 琴ヶ浜のせいで俺が死ぬ? 

 琴ヶ浜と一緒にいたら俺が不幸になる? 

 だからもう、これまでのことは全て忘れて、スッパリ縁を切りましょう?


 冗談じゃない。そんな馬鹿げた話があってたまるか。

 だって。


「よく聞け、琴ヶ浜。──俺は、

「……!」

「お前からしたら瓜二つで、まるで生まれ変わりみたいに見えたとしても、俺は俺だ。鵠沼剣介だ。悪いけど……俺はやっぱり、お前の大好きだったペットの代わりにはなれないよ」


 突き放すような俺の言葉に、胸元で握られた琴ヶ浜の両手に力が入る。

 はぁ~あ。「ペット扱いでも気にしない」って決めたばっかりだってのになぁ。

 あんまり寝ぼけたことを言うもんだから、つい勢いで言っちまった。

 頭ではちゃんとわかっていて、それでもこいつがずっと目を逸らし続けていたことを。


「第一、あいつだって自分が死んだのが琴ヶ浜のせいだなんて、これっぽっちも思ってないだろ。……むしろ、お前に悲しい思いをさせちまったって後悔してたみたいだったし」

「……? 『後悔してた』?」

「あ、いやっ、ケンスケもきっとそう思ってるんじゃないかって話! と、とにかくお前はさっき、自分といると俺が不幸な目に合う、なんて言ってたけどさ。そりゃ違う。むしろ逆だ。こうしてお前と知り合えてから、俺は毎日楽しいぜ?」


 なにしろ、こちとら生まれつきこんなトゲトゲ頭と悪人面のせいで、周りの人間には怖がられて避けられるわ、週に数回は職務質問されるわ、バイトの面接に連敗するわ、とにかくつまらない日々を送っていたんだ。


 まぁ、ぶっちゃけ今でも避けられてはいるし、顔なじみのお巡りさんだっているんだが……。

 それでも、琴ヶ浜と一緒にバイトしたり、休みの日に動物園に行ったり、家に見舞いに行ったりと、この数か月は退屈する暇なんか全くなかった。

 ちょっと前までの俺からすれば、こんな充実した高校生活なんて想像すらできなかった。


「口で言うのはなんか照れ臭いけどな。琴ヶ浜に会えて、良かったって思ってる」

「せん……ぱい……」


 やっぱり今日の俺はどうかしてるとしか思えないな。

 よくもまぁこんなセリフを恥ずかしげもなく言えるもんだよ。どこかで録音とかされてないだろうな。

 違うんですよ。これはそう、きっと屋上から落ちてそのまま入院という(以下略)。


「こ、コホン! え~と、それにな」


 内心じゃ悶絶しっぱなしなのがバレないように、俺は必死に平静を装いつつ、


「不幸どころか、俺がこの程度の怪我で済んだのは琴ヶ浜のお陰なんだぞ?」

「……? それは、どういう……」


 頭上に「?」マークを浮かべる琴ヶ浜に、俺は教えてやった。


「俺が命拾いしたのは、まぁ色々な偶然が重なったからなんだけどな。それでもやっぱり一番ラッキーだったのは、屋上から落下した場所がちょうど柔らかい花壇だったかららしいんだ」


 そう。本当なら5〜6メートルの高さからの落下なんて、人間1人の命を奪うには十分すぎる条件なのだ。

 アスファルトでも地面でもなく花壇に落ちたのは、マジでラッキー以外の何でもない。

 

「んで、さっき照ヶ崎先輩がここに来た時に聞いたんだけどさ。あそこにあった花壇、お前がいつも一生懸命整備して、花を植えてくれてたんだってな」


 琴ヶ浜がハッとした様子で目を見開く。

 照ヶ崎先輩の談によれば、あの花壇は特別棟横の人通りの少ない場所に位置していて、うちの園芸部の人間もあまり整備をしてなかったらしい。


 つい最近まで花は枯れっぱなしだし、雑草は伸び放題。結果、人通りの少なさも手伝って不良生徒たちのたまり場になっていたという。


『そこで恵里奈くんに相談してみたところ、卓見たっけんを述べてくれたんだよ』


 いわく、そんな場所の花壇こそきちんと管理をすることで、「ここには普段から人の出入りがあるんだぞ」とアピールでき、治安維持や防犯に繋がるという話だった。


 そうして、琴ヶ浜が校内のパトロールの合間にせっせと整備していった結果。

 今では見違えるように色とりどりの花が咲き乱れ、不良生徒たちが寄り付くこともなくなったそうだ。

 そう考えると、ガーデニングっていうのもなかなかバカにしたもんじゃないよなぁ。


「いやまぁ、俺が派手に落っこちたせいで、そのせっかくの花壇もぐちゃぐちゃになっちゃったわけなんだけども……でも、そのお陰で助かった。俺が死なずに済んだのは、言ってみればお前のお陰なんだよ、琴ヶ浜。いっそ命の恩人と言ってもいいね」


 だからさ、と続けて、俺はベッドからおもむろに上体を起こす。

 丸イスに腰掛ける琴ヶ浜にそっと左手を伸ばし、ポンッとその小さな頭に乗せた。


「『一緒にいない方がいい』なんて、そう寂しいこと言うなよな」


 琴ヶ浜は何も言わない。

 呆けたようにじっと俺の顔を見返したまま動かない。

 けれどやがて、泣き腫らしていてもなお端正だったその顔が徐々にくしゃくしゃになっていき、引き結んだ口から嗚咽おえつ交じりの言葉がこぼれる。


「…………いいん、ですか?」


 頭に乗った俺の手を、琴ヶ浜はすがるようにして両手で強く握りしめた。


「先輩は……ある日突然、私の前から消えたりしないって……信じても、いいんですか?」

「おう。勝手にいなくなったりしないって、約束するよ」


 っていうか、学校もバイト先も一緒だし、ついでに家だって近いんだから、いなくなりようもないけどな。


「……私、本当は皆が……先輩が思っているほど、強い人間じゃありません」

「ああ」

「……本当は人一倍臆病で、寂しがり屋で……ケンスケの死を受け止めきれなくて、勝手に先輩をあの子の代わりにしていた、そんなズルい人間なんです。自分勝手な人間なんです」

「そうかもな」

「そんな……そんな、ズルい私でも……自分勝手な私でも……もしかしたらいつか、先輩に取り返しのつかない迷惑をかけてしまうかもしれない……こんな、私でも」


 いつもクールでストイックで、機械のように淡々と仕事をこなす「鬼の風紀委員」。

 そんな彼女が今、いつもの鉄仮面をすっかり脱ぎ捨て、むき出しの感情を露わにしていた。

 もはや喋っているんだか泣いているんだかわからない声で、痛いほどに俺の左手を握りしめながら。


 琴ヶ浜が。


 俺がそばにいてやりたいと、そう決めた女の子が。


「これからも──先輩と一緒にいて、いいんですか?」


 不安とか期待とか、その他もろもろの感情が入り混じったような顔をして、そう聞いてくるのだ。


 ……だったらさ。


「当たり前だ」


 俺の答えは、もうこれしかないだろう。


「俺みたいな冴えなくて、頭も悪けりゃ人相も悪くて。ついでに歯並びとか要領とか色々悪くて。おまけにこんなトゲトゲした……ハリネズミみたいな髪型の奴でも良いって言うならさ。こちらこそ、これからもよろしく頼むぜ、琴ヶ浜」


 そう言って俺がニッとギザギザの白い歯を見せたところで、もう限界だった。


「ああ……あああっ…………あああああああぁぁ~……」


 それまで必死にせき止めていて、なんならさっきからすでに決壊しかけていたダムが、いよいよ音を立てて崩れたらしい。

 コクコクと何度も頷いた琴ヶ浜は、それから急に丸イスから立ち上がり、そのまま倒れ込むようにして俺の懐に飛び込んでくる。


 病院の中ということも忘れてしまっているのだろう。ルールや規則には厳しすぎるほど厳しい彼女らしくもなく、琴ヶ浜は子どもみたいに大きな声を張り上げて泣きじゃくった。


「いっつつ! お、おい。俺ってば一応怪我人だし、そんなきつく抱き着かれるとさすがに傷に響くっていうか……そ、そうでなくとも色々というか、ですね!?」

「よかった……先輩、ほんとに……えうっ……生きてて、良かったよぉぉ……」


 って、聞こえちゃいないか。

 この感じ、前にもあったなぁ。

 あの時はただただ別人のようだとしか思わなかったけど。

 今となってはこのぐしゃぐしゃな琴ヶ浜も、ある意味こいつの素なんだと納得できる気がする。

 そうだよな。どんだけ大人びて見えても、やっぱりこいつも年相応なんだよな。


「……まぁいいか。今日くらいは、俺が琴ヶ浜を甘やかしてあげましょうかね」


 よしよーし、と頭を撫でてやると、それでいくらか気分も落ち着いたようで、琴ヶ浜の泣き声がちょっとだけ静かになる。

 時折せぐり上げながら、俺が頭を撫でるリズムに合わせて「ううぅ~、ううぅ~」と声を漏らす仕草が、まるで喉を鳴らす猫みたいで思わず笑ってしまった。


 結局、その日の面会時間が終了し、藤恵さんたちが病室に迎えに来る直前まで、琴ヶ浜はずっと俺の胸元を涙で濡らし続けていた。

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