幕間2 琴ヶ浜さん視点

第44話 思わぬ遭遇

 時計を見ると、もう少しで午後五時二十分になろうかというころ。

 私はルピナスへと向かうため、ぼちぼち風紀委員室での作業を切り上げた。


「お疲れ様、恵里奈くん。そろそろ時間じゃないかな? あとは私がやっておくから、今日はもう上がってくれて構わないよ」


 ほぼ同時に、風紀委員長の照ヶ崎先輩からそう声が掛かる。


「ありがとうございます、委員長。では、本日はこれで失礼させていただきます」


 ペコリと頭を下げてから帰り支度を始める私に、委員長は苦笑した。


「本当は、アルバイトの日くらいは放課後の業務を休んでくれて構わないのだけれどね。君に始業前や昼休みの業務を中心にお願いしているのも、そうした事情を加味してのことでもある。いつも助かっているけれど……君は少し、こんを詰め過ぎる所があるから心配だよ」


 彼女はいつもそう言ってくれるけれど、それでも、風紀委員の活動とアルバイトを両立させると決めたのは自分だ。どちらかを理由に、どちらかを疎かにはしたくない。

 それに、委員長には抜け殻のようだった私を気にかけて風紀委員に勧誘してくれた恩もある。

 たとえバイトに行くまでの数十分でも、私にできることはしてむくいたいのだ。


「お気遣いいただきありがとうございます。でも、大丈夫です。風紀委員の活動はやりがいがありますし、私がしたくてしている部分もありますから。無理はしていません」

「……そうか。なら、いいのだけれど……おや?」


 どこか複雑な表情を浮かべていた委員長が、そこでふと私の学生カバンに目を向ける。


「可愛らしいストラップだね。君の趣味なのかな、そういったものは?」


 見れば、彼女の視線の先には、私のカバンに付けられたハリネズミのストラップがあった。


「こ、これは、その……」

「ああ、別にとがめているわけではないよ。度が過ぎて華美なものであればともかく、カバンに装飾品を付けるくらいは、校則違反でもなんでもないしね。ただ、君がそういった物を身に着けているのが少し意外だっただけだよ。単なる好奇心さ」

「いえ、そうではなく……貰ったもの、なんです。このストラップ」

「貰った?」

「はい」


 以前、例のバイト先の男の子、鵠沼先輩に誘われて動物園に行ったこと。

 彼が帰り際にカプセルトイの機械でハリネズミのストラップを取ったこと。

 彼からプレゼントされたそれを手元に置いておきたくて、カバンにつけてみたこと。

 私が経緯を話すと、委員長は興味深げに頷いては何事か呟いた。


「ははぁ、なるほど……『鬼の風紀委員』とデートとは、鵠沼くんも隅におけないじゃないか」

「はい?」

「いやいや、なんでもないよ」


 ヒラヒラと手を振った彼女が、思い出したように時計に目をやった。


「おっと、すまない。引き止めてしまったね」

「いえ、大丈夫です。まだ時間には余裕がありますから」

「改めて手伝ってくれてありがとう、恵里奈くん。アルバイトの方も、頑張って」

「はい、ありがとうございます。失礼します」


 見送る委員長に再び頭を下げて、私は風紀委員室を出た。

 くるりと振り返った本校舎一階廊下には、すでに昼間の喧騒はない。

 大半の生徒は帰路についたか、各々が所属する部活動へと向かっているようで、人の気配はあまり感じられなかった。この時間の校舎内ではいつものことだ。

 昇降口を目指して、私は人気のない廊下に一歩を踏み出す。

 どこか遠くの方から微かにセミの泣き声が聞こえてきた。


(そっか……もうそろそろそんな季節だっけ)


 なら、先輩には徐々にルピナスの夏季限定メニューについても覚えてもらわないと。

 さっそく今日のシフト中に、まずはかき氷系のデザートの作り方でも教えてあげよう。


「先輩、ちゃんと作れるかな……私がしっかり見ててあげないとダメだよね」


 かき氷機とにらめっこする彼の姿を思い浮かべて溜息を吐きながら、けれど不思議と軽くなった足取りで歩き出そうとして。


「え~、マジで?」

「マジマジ。あたしも最初聞いた時は超ビビってさ~」


 静謐せいひつを保っていた廊下の向こう。

 特別棟への連絡通路の辺りから、不意に賑やかな笑い声が響いてくる。振り向けば、特別棟へ向かう三人組の女子生徒の後ろ姿があった。


 首元の青いネクタイを見るに、どうやら自分と同じく一年生らしい。

 よく見れば、その三人には見覚えがあった。前に風紀委員会の二年生とひと悶着を起こした三人組だ。 

 あの後、私は彼女たちを追いかけてきっちりと服装を改めさせた。にも関わらず、三人ともまた性懲りもなく制服を着崩している。まるで反省の色がない。


 中でも特に派手なのは、中央の一人。

 たしか、隣のクラスにいる和田わださんという名前の子だ。少し赤みがかった明るい茶髪に、大きく胸元を開けた制服のブラウス。腰にはカーディガンを巻いているけど、スカートは私の半分くらいの長さしかないだろう。

 おまけに、校内であるにも関わらず堂々とスマートフォンを使っている。

 風紀委員が取り締まるべき生徒の、まさに見本みたいな人物だ。


(それに……特別棟に何の用事が?)


 この時間ではすでに食堂も閉まっているだろうし、二階には三年生の教室がいくつかあるだけだ。放課後に彼女たちが足を運ぶ目的がわからない。

 遠ざかる彼女たちの背中と手元の時計とを見比べて、考える。

 僅かな逡巡しゅんじゅんの後、私は昇降口へと向きかけていた足で特別棟へと歩き出した。

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