第41話 遅刻、じゃないよな……?
最初にその異変に気付いたのは涼子さんだった。
「あれ~? まだ来てないっぽい?」
放課後、俺がいつものようにルピナスのスタッフルームで身支度を整えていると、何やら怪訝な顔をした彼女が入ってきた。
「おはようございます、涼子さん。誰か探してるんですか?」
「おはよう鵠沼くん。それがさ~、そろそろシフト始まるのにエリナちゃんがいないんだよ」
「え? ……そういえば、たしかに俺もまだ見てないですね」
俺は反射的に室内の時計に視線を走らせる。
時計の針は、もうすぐ午後五時五十分を指そうとしている。
いつものあいつなら四十分くらいには完璧に支度を終えてスタンバっているはずだが、まだ顔を見せていないなんて。
「でも、あいつに限ってまさか遅刻ってことはないでしょ。トイレにでも行ってるんじゃあ」
「ううん。女子トイレにも女子更衣室にもいなくてさ。カバンも見当たらないから、多分まだお店に来てないんじゃないかな。いやぁ、珍しいこともあるもんだねぇ」
少しおどけた口調で涼子さんが肩を竦める。
「遅刻なんて、アタシは彼女がそれをする最後の人だと思ってたよ。……いやまぁ、まだ遅刻じゃないけどさ」
たしかに琴ヶ浜がバイトの時間に遅れるなんて珍しい、というか、少なくとも俺がここで働き始めてからは一度もないことだった。
万が一遅れるようなことがあったとしても、規則や規律には人一倍ストイックなあいつのことだ。事前に一報入れるなり、きちんと何かしらの筋は通すはずである。
「きっと何か事情があるんだと思いますよ。ほらあいつ、学校じゃ風紀委員だし、それ絡みの用事が長引いてるとか。もしかしたら、藤恵さんにはもう連絡してるかもですよ」
ということで、俺は涼子さんと一緒にキッチンにいた藤恵さんの下に向かったのだが。
「恵里奈ちゃんから? いえ、特に何も連絡は来ていないけれど……何かあったの?」
実はかくかくしかじかで、と説明すると、藤恵さんは不安げに眉をひそめた。
「まぁ、そう。どうしたのかしら、恵里奈ちゃん。ちょっと心配ね」
「……ん~、ダメだ。電話も出ないや。カバンにでも入れてて気づいてないのかな?」
スマホを耳に当てていた涼子さんもひらひらと手を振っている。
藤恵さんにも何の音沙汰もないし、電話にも出ない。よほど手が離せない状況なのか、それとも……連絡を取りたくても取れない事態に陥っているのか。
何やら不穏な空気になってきたところで、俺はふと思いついて、ポケットに入れっぱなしだったスマホを取り出した。
「藤恵さん、すみません。俺も一本電話をかけてもいいですか?」
「ええ。私も恵里奈ちゃんのお家に連絡してみるわ」
藤恵さんに断ってから、俺は先日電話帳に登録されたばかりの番号を呼び出す。
〈──もしもし、照ヶ崎です〉
ほどなくして返ってきたのは、琴ヶ浜の
彼女とは前に琴ヶ浜への届け物を預かった際、念のためにと連絡先を交換していたのだ。
とはいえ、まさかこんなに早く電話をする機会が訪れるとは思っていなかったが。
「もしもし、鵠沼です」
〈おや、鵠沼くん。どうしたのかな〉
「突然すみません、先輩。ちょっとお聞きしたい事があるんですけど、いま大丈夫ですか?」
〈聞きたい事? もちろん。ちょうど放課後の業務が一段落したところなんだ。君には前に届け物の件で世話になっていることだしね、何でも聞いてくれて構わないよ〉
快くそう承諾してくれた照ヶ崎先輩は、それから少しだけ悪戯っぽく笑った。
〈それにしても……ふふ、鵠沼くん。君もなかなかどうして隅におけないようだね〉
「へ?」
〈ああ、すまない。こちらの話だ、気にしないで欲しい。それで、私に聞きたい事というのは何かな? ……その様子だと、少々厄介な用件みたいだけれど〉
「は、はい。実は──」
見透かすような先輩の言葉に緊張しつつ、俺はかいつまんで事情を説明する。
〈え? 恵里奈くんが?〉
「はい。あいつ、もうバイトが始まる時間なのに店にいないし、連絡もつかないしで。だから、もしかしたら風紀委員絡みの用事で手が離せないとか、そういう事情なのかな、と」
しかし、照ヶ崎先輩からの返答は
〈……ふむ、それは妙だね。たしかに今日の放課後、彼女には風紀委員室で少し作業をしてもらった。けれど、いつも通り五時二十分ごろにはそちらに向かう為に下校したはずだよ〉
琴ヶ浜は三十分前には学校を出発した。そして学校から店までは、ゆっくり歩いてもせいぜい十五~二十分といったところだろう。何事も無ければ、とっくに到着してるはずだ。
つまり……。
〈『何事かがあった』、ということかもしれないね。それも、あの恵里奈くんが最低限の遅刻や欠勤の連絡さえできないような事が〉
「う~ん、まだお家にも帰っていないみたい。困ったわね」
と、琴ヶ浜家に電話をかけていた藤恵さんが、隣でフルフルと首を振った。
おいおい。あいつ、本当にどこで何やってるんだよ……。
〈とにかく事情は把握した。そうとなれば、私も
「何か進展があったら連絡する」という言葉を最後に、照ヶ崎先輩が通話を切る。
俺は耳に当てていたスマホを無造作にポケットに押し戻した。
「琴ヶ浜、もうとっくに学校も出てるみたいです」
「ありゃ~。これは本格的にどうしちゃったんだろうね、エリナちゃん」
「やっぱり、何か事故に巻き込まれたりとか、ですかね?」
「いえ。それなら叔母さん……恵里奈ちゃんのお母さんが何も知らないはずないわ」
「もしかして、溺れそうになってる猫を助けようとして川に飛び込んだ、とか? エリナちゃん、猫好きだし。で、服はびしょ濡れ、スマホも水没で身動きとれない、みたいな」
「いやいや、いくら猫好きでもさすがにそこまでは……」
……いや、やりそう。
あいつ、動物のことになるとちょっと理性が溶けるというか、暴走しがちなところあるからなぁ……なんて、まぁ十中八九ない話だとは思うけど。
むしろ、そのくらいのトラブルであってくれればまだいいんだが。
「どうします、藤恵さん? スタッフの誰かでエリナちゃん探しに行きましょうか?」
「う~ん、そうねぇ。さすがに心配だし、そうした方がいいかもしれないわね」
あいつだってもう高校生だ。なんならその辺の大人よりもよほどしっかりしているし、もしかしたら取り越し苦労かもしれない。
けど、万が一ってこともある。
そう思うと、いてもたってもいられなかった。
「だったら……その役目、俺に任せてもらえませんか?」
話し込む藤恵さんたちに向き直り、俺は決然と申し出た。
「俺が必ず、あいつのことを見つけ出します!」
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