第7章 俺の後輩がバイトに来ない

第40話 帰ってきた教育係

 俺が琴ヶ浜家を訪ねてから三日が経った、金曜日の放課後。

 無事に体調も回復したようで、琴ヶ浜が数日ぶりにルピナスに出勤してきた。


「この度は、私の体調管理が至らなかったせいで、スタッフの皆さんにはご迷惑をお掛けいたしました」


 店に来るなり琴ヶ浜は、藤恵さんや休み中にシフトに入ってくれたスタッフたちに律儀にも頭を下げて回っていた。

 風邪でバイトを休んだ、なんてそこまで気負うことでもない気はするのだが、そこはやはり責任感の強い彼女のこと。

 こうしてけじめをつけなければ気が済まないのだろう。

 何はともあれ、無事に復調したようで何よりだ。


「琴ヶ浜」


 そうして一通りの謝罪が終わり、お互いに始業の準備も終えたタイミングで、俺は琴ヶ浜に声を掛ける。


「おはようございます、鵠沼先輩」

「お、おう、おはよう。体調はもう大丈夫なのか?」

「はい。この三日間ゆっくり休養できましたので。先輩にもご迷惑をお掛けしてしまいましたね。三日も教育係を不在にしてしまって、すみませんでした」


「気にするなって。どの道、いつまでも琴ヶ浜におんぶに抱っこじゃいられないんだからさ。今回はある意味いい訓練になったよ」


 藤恵さんや涼子さんたちも、ちょくちょくフォローしてくれたしな。


「それに、お母さ……母から聞いたのですが、先日は私の家まで委員会の書類を持って来ていただいたみたいで、ありがとうございます。私、あの日はすっかり寝込んでしまっていて。せっかく来てくれたのに、ろくに挨拶もお礼もできずにすみませんでした」

「体調悪かったんだから仕方ないって。いつも世話になってるんだから、お前がダウンしてる時に手助けするくらい当たり前だ。謝られるほどのことじゃないさ。……それに」


 頭を上げた琴ヶ浜に、俺はポツリと切り出す。


「謝るっていうなら俺の方こそ琴ヶ浜には謝らなきゃだし」

「え?」


 思い当たる節がないのか、小首を傾げる琴ヶ浜を前に、俺は一度深呼吸する。

 この前の夜。たとえ一時の事とはいえ、くだらない感情でこいつに酷い態度をとってしまったこと。喉に引っ掛かった小骨みたいに、それがずっと頭の片隅で燻っていた。

 思いのほか時間が掛かってしまったけど、ここできちんとあの日のことを謝らなければ。

 そう思って、俺は次の言葉を口にしようとしたのだが。


「この前の、弁当の件なんだけど……」

「いらっしゃいませ~」


 カランカラン、というドアベルの音に続いて、他のスタッフの挨拶が店内に響き渡る。

 見ればちょうど五、六人くらいの団体客が入店してきたところだった。


「あれは……町内会の常連の皆さんですね。先輩、お話の続きはまた後で」

「え? あ、ああ、そうだな」

「はい。今日も一日頑張りましょうね、先輩」


 そう言ってニコッと俺に微笑むと、琴ヶ浜はくるりと身を翻して水とおしぼりの準備に向かった。

 その表情はすでに完全にお仕事モードへと切り替わっている。今は話に付き合ってくれる雰囲気じゃなさそうだ。


(……休憩時間にでも出直すか)


 肩を竦めつつ、俺もひとまず自分の仕事に着手する。

 だが、どういうわけか今日に限っていつもよりルピナスの客足が多く、その後もなかなか一息つけるタイミングが見つからない。

 日も完全に沈んだ頃になればさすがに落ち着いてきたのだが、


「恵里奈ちゃん、さっき叔母さんから電話があってね……」

「……わかった。じゃあ、今日はもう上がるね。藤枝姉さん」

「ええ。気を付けて帰ってね」


 ようやく話の続きができると思ったところで、琴ヶ浜はいつもよりも早めにシフトを終えて帰ってしまう。

 なんでも、「病み上がりなんだから今日のところは大事をとって早めに帰るように」という琴ヶ浜母からのお達しがあったらしい。

 そんなこんなで結局、俺は今日もまた琴ヶ浜に謝りそびれてしまった。

 今週は土日にシフトを入れていないので、次に琴ヶ浜と顔を合わせるのは来週だ。

 我ながら、なんともまぁ間の悪いことである。


「……しゃーない。週明けにもう一度話すか」


 退勤する琴ヶ浜の背中を見送りつつ、俺はため息交じりにそう呟いた。


 ──が起こったのは、まさにその週明けの月曜日のことだった。

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