第39話 ハリネズミの決意
「……なるほど。じゃあ、前に言っていた『ナンパ男から助けてくれた少年』というのは、鵠沼くんのことだったのね?」
その後、やっとの思いで琴ヶ浜母をなだめすかし、一から事情を説明して全ての誤解を解くころには、俺は精神的にどっと疲れ果てていた。
「そうそう! だから言ったじゃんママ。剣介くんはそんな女好きのパリピみたいな人じゃないって。まぁ、たしかに見た目はいかにもワルって感じだけど、顔に似合わず優しいし、からかうと面白いし、めっちゃ良い人だよ?」
うん。フォローしてくれるのはありがたいけど、それ褒めてるのか?
制服からラフな部屋着に着替えてきたシーナ、改め琴ヶ浜
「ごめんね剣介くん。うちのママ、私たちのことになるとちょっと暴走しちゃうトコあるからさ~。私たちだってもう子どもじゃないのに、ほんと過保護だよねぇ?」
「十分子どもです。それと、お客さんが来ているのにそんなだらしない格好しないの」
「は~い」と面倒くさそうに返事をした椎奈がソファーに座り直す。
「でもでも、びっくりしちゃった! 苗字が一緒なのはただの偶然かなって思ってたけど、まさか剣介くんが、お姉ちゃんがいつも言ってた『鵠沼先輩』だったなんてねぇ」
「ああ、俺もびっくりだよ。琴ヶ浜の言ってた『妹』ってのがお前だったとはな」
そういやこいつ、ホムセンから家までは近いとか言ってたっけ。
ご近所さんかも知れないとは思ってたけど……やれやれ、世間は狭いな。
などと肩を竦めていると、椎奈が何やらニヨニヨとした視線を向けてくる。
「ふ~ん、そっかそっかぁ」
「な、なんだよ」
「ん~別に? ただ、どーりであのお姉ちゃんがよく構っているわけね、って思っただけ」
「それって……」
そうか。妹っていうなら、当然あいつがどれだけペットのハリネズミを可愛がっていたかっていうのも、ずっと間近で見てきていたんだもんな……。
今の琴ヶ浜の心境だって、きっと俺なんかよりよっぽど理解しているんだろう。
含みのある口ぶりで呟いた椎奈は、それから不意に部屋着のポケットからスマホを取り出し、
「あ、カナコから電話だ──もしもしカナコ~? うんうん、いま家着いたとこ~」
友達かららしい着信に応じながら、さっさとリビングを出て行ってしまった。
相変わらず嵐のように現れては、嵐のように去っていくやつだ。
「もう、本当にマイペースなんだから」
椎奈の背中を見送った琴ヶ浜母が「困った子」とため息を吐く。
それから仕切り直すようにゆっくりと頭を振ると、再び俺の方へと向き直った。
「とにかく、事情はわかりました。そういうことなら、むしろ鵠沼くんには感謝しないといけないわね。うちの椎奈がお世話になったみたいで、ありがとうございます」
先ほどまでの殺気をすっかり潜めた琴ヶ浜母が、ペコリと軽く頭を下げる。
どうやら、今度こそ本当に俺の身の潔白を認めてくれたようだ。
た、助かった……。
「……やっぱり、聞いていた通りの子みたいね。鵠沼くんは」
ほっと胸を撫で下ろす俺を見やり、琴ヶ浜母がクスリと笑う。
「へ?」
「実を言うと、あなたの話は前に藤恵ちゃんからもよく聞いていたの。『真面目で一生懸命だし、優しいし、とっても良い子よ』って。昔から人を見る目は確かな彼女がそう言うんだもの。だから、鵠沼くんが悪い子じゃないだろうということはわかっていたわ。さっき、椎奈もああ言っていたことだしね」
「そ、そうですか」
その割には、さっきはかなり俺への敵意をむき出しにしていらっしゃいましたが……。
俺が曖昧な返事をすると、琴ヶ浜母もバツが悪そうに苦笑する。
「それでも、ほら……年頃の娘を持つ親としては、やっぱり一度は自分の目でも確かめておきたいと思うものでしょう? だから、今日はいい機会だと思って。ごめんなさいね、さっきはあなたを試すようなことばかり言ってしまって」
「い、いえ。気にしてませんから。はは、ははは……」
「脅すようなの間違いでは?」という台詞はぐっと飲み込み、俺は乾いた笑いを返した。
感情が高ぶると突っ走り気味になるところも、なんというか、親子だなぁ。
「でも、こうして顔を合わせてみて安心したわ。あの子を動物園に誘ったのも純粋に日頃のお礼をするためという話だし、鵠沼くんのような子がうちの恵里奈と親しくしてくれているなんて、むしろとっても嬉しいくらい。あまり愛想の良い子ではないけど、これからもどうか仲良くしてあげてね?」
頬に手を当ててそう微笑んだ琴ヶ浜母は、それからふと、改めて対面に座る俺の風貌をしげしげと眺め回した。
「それにしても……そう。あなた、『剣介くん』というのね」
あ、そうか。そういえばさっきは鵠沼としか名乗ってなかったな。
「は、はい、鵠沼剣介って言います。すみません、俺、名乗りそびれちゃって」
「ああいえ、それは別にいいのよ。でも……なるほど。さっきの椎奈じゃないけど、私もあの子がやけにあなたを気に掛けていた理由がわかった気がするわ」
「それって……前に飼ってたっていうハリネズミ……ケンスケくんのこと、ですか?」
俺の言葉に、琴ヶ浜母がわずかに驚いたように「まぁ」と呟く。
「それは、恵里奈から?」
「はい。可愛がっていたけど、大怪我がもとで死んじゃった、って」
「そう。そこまでは、もう鵠沼くんにも話しているのね」
「……そこまでは?」
まるでその話には続きがあるとでもいうような彼女の口ぶりに、俺は思わず聞き返す。
どこか遠くの方を見つめながら、琴ヶ浜母は言った。
「あの子はきっと……ケンスケが死んだのは自分のせいだと思っているんでしょう」
「え?」
琴ヶ浜母はスッと席を立ち、リビングの壁際に置かれた胸元ほどの高さのタンスの前まで歩み寄った。
タンスの上には、一抱えほどの大きさの花柄の箱。よく見るとその横には線香立てやりんといった仏具も並べられていた。
あれはペット用の仏壇だったらしい。
「あの子がようやく前を向くようになったのは、本当に最近のことなのよ」
花柄の箱の横に置かれた小さな写真立てを手に取って、琴ヶ浜母はポツリと呟く。
「高校生になって、委員会にアルバイトにと忙しいながらも充実した学校生活を送るなかで、多少は心の傷も癒えてくれたんだと思う。……けれど」
琴ヶ浜母は手に持っていた写真立てをそっと仏壇に戻し、ふっと短く息を吐く。
「それでもきっと、あの子はまだ完全には立ち直れていないわ。今でも心のどこかでは、死んだケンスケの影を追ってしまっているんだと思うの。……だから、同じ名前を持つあなたに、ケンスケの姿を重ねてしまっているのかもしれないわね」
その言葉に、俺の脳裏で今までの出来事がフラッシュバックする。
俺が親指を怪我した時は、まるで別人のように慌てふためいていた。
俺と一緒に動物園に行った時は、心の底から楽しそうにはしゃいでいた。
そして昨日、俺が初めてあいつに背を向けた時は、ひどく悲しそうに俯いていた。
「……そう、ですか」
ケンスケが死んだのが琴ヶ浜のせいとは、一体どういうことなのだろうか。
事故で死んだとしか聞かされていない俺には、それ以上のことは何もわからない。
でも、少なくとも一つだけはっきりとわかった。
琴ヶ浜って、本当にケンスケのことが大好きだったんだな。
「ねぇ、鵠沼くん」
しみじみと考え込んでいた俺に、琴ヶ浜母がおずおずと声を掛ける。
「こんな話をしておいてお願いするのは、卑怯かもしれないけど……改めて、どうかこれからも恵里奈と仲良くしてあげてね? あの子……今、とても楽しそうだから」
懇願するような彼女の言葉に、俺は静かに決意する。
(……決めた)
この際、もう琴ヶ浜が俺のことをどう思っているかなんて気にしない。
俺のことをペット扱いしようと、それで少しでもあいつの気が晴れるんなら、それでいい。
だって……俺はもう、あいつがあんなに悲しそうにしている姿なんか見たくないんだ。
「鬼の風紀委員」としてビシバシ不届き者どもを取り締まり、泣く子も黙る「鬼教官」として同僚をスパルタに指導する。
一方で、動物のこととなれば子どもみたいに楽しそうに笑う、世話焼きで、甘やかしたがりで、そしてちょっとチョロい女の子。
俺が見ていたいのは、そんな琴ヶ浜なんだから。
「……線香を」
琴ヶ浜母の言葉に答える代わりに、俺はおもむろに席を立って彼女の隣まで歩み寄った。
「鵠沼くん?」
「俺も、
唐突なことでキョトンとしていた琴ヶ浜母は、けれどすぐに「ええ、もちろん」と嬉しそうに微笑んでくれた。
俺はゆっくりと香炉に線香を立て、りんを鳴らして手を合わせる。
ふと仏壇の端に目をやれば、なるほど、俺とよく似て目付きの悪い一匹のハリネズミが、写真の向こうからじっとこちらを見つめていた。
「……俺も、あいつにはいつも助けてもらっている身ですんで」
仏壇の写真から琴ヶ浜母の方へと向き直り、俺は力強く頷いた。
「これからも先輩として、後輩として……友達として、あいつの支えになってやりたいと思ってます。俺なんかでよければ、ですけどね」
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